現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

米津玄師、新CDシングル「PaleBlue」が今日発売です。

12/05、同日アップされたLINEニュース記事の感想を追加。

 

ゆえのです。

いつも読んで頂いてありがとうございます。

米津さんの新しい シングルCD「PaleBlue」が今日6/16に発売されました。

私は、フラゲ日の昨日に届いているので感想を書いていきます。

 

 

 感想。

リボン盤とパズル盤を購入しました。

開けたのはリボン盤で通常のCDの入れ物は使われていなくて一回りくらい大きめでした。

リボン盤はリボンで括られていて解かないと開けられないのかなぁと思って解いたらマジックテープ仕様になっていて…配慮がすごい!と思いました。気がつくの遅かったけど。

歌詞カードもくっついていて、柄とか素材とかオシャレでした。

 

特典のフレグランスもいい匂いで秘密のお手紙も入っていて嬉しかったです。色々凝っていました。

自分で買ったんですけど、大きなプレゼントをもらったような気分になりました。ありがとうございます!

 

曲の感想。

「PaleBlue」はもう感想も解釈と考察も書いてあるのでいいかなと思ったんですが……もう、歌詞カードが時たま当てにならんっていうの米津玄師あるあるにした方がいいんじゃない?とか思いました。

こちらのインタビューで

米津玄師「Pale Blue」インタビュー|ポップソングの面白さを追い求めたどり着いた、究極のラブソング - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

 

>これから始まる恋の歌にも、別れの歌にも聴こえるものにしたいなあというのがまずありました。

と書かれていて、この時点で嫌な予感はしてたんですけど…。

まぁ歌詞の「抱きしめ合った」だと思っていたところが「抱きしめて」だった、という話です。

 

「ゆめうつつ」の感想。

やっとフルで聴けました。最初の方が今まで聴いていたのと全然違う感じで、一瞬別の曲?とか思いました。1番と2番の間奏の所では、繰り返しの旋律の継ぎ目?が段々と離れていく感じがして、段々不協和音になっていくように感じられました。そういうところが「ゆめうつつ」のうつつの部分を表しているようにも感じられました。

 

 *****

3曲めの「死神」の感想。

初聴きから笑えてきました。イントロが、最近ブログでアウシュビッツのことを書いていたせいか私には軍隊の足音みたいに聴こえましたw

部分部分で声色が違うので3人の米津さんが歌っているように聴こえました。

大サビのスタッカートがまた調子良くて、そこの最後の歌詞の所だけ声にエフェクト?がかかり過ぎてて…ホント人外の声みたいに聴こえましたw

そして…最後ー!消してるしwww

面白いですwうん、分かった。ありがとう米津さん。

ステキな曲を創ってくれて。

 

以上です。

※※※※※※

2021/12/05

そういえば、この日にアップされていたこちらのLINEニュースで

"居心地の悪い状態"が心地よい──米津玄師、活動の「本質」とコロナ禍に覚えた「違和感」 - LINE NEWS

抜き書きーーーーーー

たとえ自分が思い描いた未来が訪れたとしても、きっとまた別の場所へと向かってしまう。では米津にとって、本当の意味で「居心地の良い未来」は、あり得るのだろうか。

「そういう意味では、恐らくどういう未来になったとしても、ずっと居心地が悪いんだろうなと思います」

「でも一周回って、居心地の悪い状態であることが心地よいのかもしれない。そういう環境じゃないと、真に面白いと思えない。バランスが悪い状態に身を置きながら、バランスを良くしていこうとする。その過程にこそ、意味を見いだしている節があるというか」

ーーーーーーここまで

とあって、じゃあ居心地のいい場所ほど逃げ出したくなるっていうことでいいのかしらんwとか思ったことを思い出しましたw

 

終わり。

【超閲覧注意】15-2 微細なアウシュビッツ、って何だろう?

ゆえのです。

いつも読んで頂いてありがとうございます。

 

4つ前に書いた

『君の命の誇りを示せ』と15、微細なアウシュビッツ - 現実と妄想のはざま(改)

の記事の「微細なアウシュビッツ」って何だろう?ということを考えてみました。

それに関連して、アダルトチルドレンの本質も分かったような感じがするので、題名に【超閲覧注意】と付け。閲覧注意よりも上だと感じたので前に“超”を付けてます。

 

結論から言うと、「こころに宿る“微細なアウシュビッツ”」とは『生殺与奪』のことだろうと考えました。

生殺与奪の意味を書いておきます。

ーーーーーー

せいさつ-よだつ【生殺与奪】
生かすも殺すも、与えることも奪うことも自分の思うままになること。絶対的な権力を握っていることをいう。

ーーーーーー

つまり、生殺与奪の権利を“自分が”握っていることに悦びを感じるまたは気持ちいいと思う、ということが“微細なアウシュビッツ”の正体だと感じました。

 

前の記事で抜き書きしている投稿から、「微細なアウシュビッツ」の部分だけをまた抜き書きします。重要な所には*****を付けました。

ーーーーーー

『夜と霧』は、アウシュヴィッツを生き抜いたユダヤ精神分析学者フランクによって執筆された。一緒に収容された家族は命を落とし、たった1人残されての生還だった。

『夜と霧』は世界中で読まれ続けている。これほど過酷な状況が描かれた書物がなぜ広くロングセラーになるのか。

*****

ドキュメント、社会的、思想的、愛…、いろいろな角度で読まれて来たことだろう。

だが、もっとも核をなす理由はそんなことではないと思う。人はこころに微細なアウシュヴィッツとその収容者を宿している、そしてそれを自身が知っている、だから読んでしまうのだ。

アウシュビッツの悲惨、過酷に瞠目するなら、それは自己に向ける視線である必要があると思う。われわれにも、同じ悲惨・過酷が棲むことに気が付くべきだからだ。

「そうかもしれないがアウシュヴィッツほど酷くはない」、と思うならもう一度問い直したほうがいい。こころに宿る微細なアウシュビッツは、あのナチスアウシュヴィッツほど悲惨でも過酷でもないのか、それは本当か?と。

*****

「被収容者はショックの第一段階から、第二段階である感動の消滅段階へと移行した。内面がじわじわと死んでいったのだ。」(フランクル

ーーーーーーここまで

そして、なぜこの「微細なアウシュビッツ」がアダルトチルドレンに繋がるかというと、人は親になった時に子供の“生殺与奪の権利”を一時的に預かることになると私は考えたからです。

 

ameblo.jp

こちらの記事で書かれていることが、子育ての基本にして理想的なことだと私は思っています。 

上記の記事から一部抜粋します。

*****

「境界線とは」という記事で、
一人一人が自分の部屋を持っている
とイメージしてくださいと書きました。
ーーーーーー
この部屋というのは、
「自分のことを自分で決める権利」
つまり人権とも言うことができます。

赤ちゃん生まれると、
赤ちゃんの「自分のことを自分で決める権利」は
保護者が一度預かります。
ーーーーーー
子どもが成長するにつれ、
保護者は、少しずつ「自分のことを自分で決める権利」を
子どもに渡していきます。
ーーーーーー
だんだん渡していき…
ーーーーーー
あるとき、保護者は、子どもの
「自分のことを自分で決める権利」を
全部子どもに渡します。
ーーーーーー
私は、この過程こそが子育てであると
考えています。
ーーーーーー
ところが…
いつまでも、子どもの「自分のことを自分で決める権利」を
手放さず、持ち続ける大人がいます。
*****ここまで

つまり、「自分のことを自分で決める権利」が言葉を変えると、「生殺与奪の権利」になると考えています。

最後の文章で、その権利を手放さず、持ち続ける大人というのは、一番最初に書いた

>生殺与奪の権利を“自分が”握っていることに悦びを感じるまたは気持ちいいと思う、

から手放したくないのだと私は思いました。それほどに絶大な権力として受け止められると思うからです。

そして、普通?に生きてきたらそういった大きな権力に触れることはほとんどないと思うので、つい嬉しくなってしまったり?したのかなぁと考えたりしました。

 

自分の中の幼い頃にあった殺されると思うくらいの恐怖は、この「生殺与奪」の恐怖から来ているのかもしれないと考えました。

とりあえず苦しくなってきたので、今回はこの辺で。

終わり。