前回の記事で書いた「パワーか、フォースか」の本では、
「偽りと真実を区別するための客観的な手段」または意識のエネルギーレベル(通称・意識レベル)が検証できる方法として、キネシオロジーやOリングテストが採用されていて、1人でも出来る方法としてOリングテストが紹介されていました。
そして、スピ某所でもOリングテストのアレンジ?みたいなことをやっていたので、すぐ理解はできて、いざやってみようとした時に、なんかとんでもないことに気づいてしまったのです。
それは、判別基準が真逆になっている、ことです。
私は、「YESは切れる、NOは切れない」と覚えていました。
スピ某所でも、長年それでやってきていたのです。
でも、この本にはキネシオロジーテストの例ですが、
簡潔にいうと、
被験者の腕が強く反応した場合は「イエス」ポジティブで身体に対して有益である
弱く反応した場合は「ノー」ネガティブで身体に対して有害である
という答えです。
それはYESは(強く反応するから)切れない、NOは(弱く反応するから)切れる、ということだと書いてあったのです。
ここはOリングテストの原理原則だろう、と思いました。
>「原理」とは、その物事が成り立つための宇宙・自然界の性質(理)のことであり、
>「原則」とは、その性質に対してどのようにするかを人間が決めた規則のこと
原理は
ポジティブで有益な対象は、筋力が強くなってO-リングが開きにくくなる、
ネガティブで有害な対象は、筋力が弱くなってO-リングが開きやすくなる
の部分にあたり
原則は
筋力が強くなってO-リングが開きにくくなるから切れない=YES
筋力が弱くなってO-リングが開きやすくなるから切れる=NO
のことだろうと思いました。
キネシオロジーやOリングテストは「筋肉反応・筋力反射テスト」だからです。
私は、その判別基準が真逆になっていました。そして、それって私だけなの?という疑問を持ちました。スピ某所にはMLもあって情報交換は主にそこで行われていました。
今はもう聞けないし、特にそんなことなど誰も言ってなかったし、気にも止めないくらい当たり前で些細なことだったから、かもしれませんが、それこそ本に載っている通りのやり方でテストしてみたら、私だけが誤解しているわけではないようだという結果が出ました。
なので、このOリングテストが登場した初期のML、2013年のものを読み漁ってみました。残してあったのでね。
そしたら…まぁ出るわ出るわ…。これは誤解してもおかしくないでしょうという表現がたくさん、たくさん出てきました。
それにツッコミを入れる、という形で検証していこうと思います。よろしくお付き合いください。それで何を測定していたか、何を物差しとしていたかは不問にさせて頂きます。あくまで、Oリングテストを基準にしたやり方解釈の問題点を検証します。
かなりの今さら突っ込みですが。
まず、 最初は確かに
筋力が強くなってO-リングが開きにくくなる=YES と設定
逆に筋力が弱くなってO-リングが開きやすくなる=NOと設定します。
となっていました。
ん?でもちょっと待て。設定って何だ、ってなったんですが、これは意味は、
ーーーーーー
大辞林より
ある目的に沿って、新たに物事をもうけ定めること。 「規則を-する」 「抵当権を-する」
ーーーーーー
ということですが、スピ某所では、意識のことを扱っていることもあり、顕在意識が行きたい方向に潜在意識を合わせる、という目的で「設定する」という言葉を多用していました。(そしてそれを邪魔している潜在意識を捨てる、という形で、設定したことが叶いやすくなる、向かいやすくするというやり方を取っていました)
でもここで「設定」という言葉は適さない、というツッコミが入ります。
怪我しても血は出ないと「設定」すれば血は出ないのか?
死なないと「設定」すれば死なないのか?というレベルです。
これは「反応」であり先ほど言っていたOリングテストの原理原則に当たります。
ここを「設定」の範囲に収めてしまったことが大きな要因になっていると感じました。
そして、YES/NO測定と数値測定というやり方が出てきます。
本では、基本的にYES/NO測定が基準になっていて、数値測定に関しても、
例
ラマナマハリシの教えは700以上です。(YES/NO)
ヒットラーは200以上です(YES/NO)
ヒットラーの20代のときは〜〜以上です(YES/NO)
ヒットラーの30代のときは〜〜以上です(YES/NO)
ヒットラーの40代のときは〜〜以上です(YES/NO)
ヒットラーの死んだときは〜〜以上です(YES/NO)
という具合に、基本的に数値を言ってそれがYES/NOか、という測定方法です。
対して、スピ某所では、
「1が最小、5が最大として、〜〜の数値は?」
→ 1、2、3、4、5と言いながら段階的に腕を引く力を強くしていく
→ 切れたところが答え
というやり方になっていました。
うん。まあ、面倒くさいor効率よくっていうのがよく出てます。
1(YES/NO)
2(YES/NO)
3(YES/NO)
4(YES/NO)
5(YES/NO)
っていう考え方、って思えば本のように出来なくはないです、が、
>段階的に腕を引く力を強くしていく
>切れたところが答え
って何。
原理原則の
>筋力が強くなってO-リングが開きにくくなるから切れない=YES
>筋力が弱くなってO-リングが開きやすくなるから切れる=NO
でいくなら、段階的に力を強くしていく必要はない、意味はないといえます。
というより、力を入れても入らなくて開いてしまう、というのが実情だと解釈しています。
そして、>切れたところが答え というのが1番の元凶だと思いました。
後でこんな質問も出てくるのですが、
>YES/NOの判断だと、切れるのは「NO」のときじゃないですか。
> ということは、力価測定も、「1、2、3、4、5」の「4」で切れたら
> 正確な数値は「3」っていうことにはならないですか?
で、それに対しての上の人の答えは、
> これは純粋に設定の問題で、「切れたところが力価」
> と「自分で決めてキメれば」それでOK。
>
> もしも「切れたところの一つ前が力価」と「自分で
> 決めてキメれば」それでOK。
>
> どっちでもOKです。
になっていました。これは設定の問題ではありません。
ついでに言うと、「力価」と「数値測定」 と言葉は違いますけど、同じ意味に捉えています。つまり、「量の数」ってことだよね、と。
一応意味を書くと、
力価の意味
医薬品が一定の生物学的作用を示す量のこと。抗生物質や生物学的製剤では、同じ力価を示す重量が製造者により異なることがある。
数値の意味
1 計算や、計量・計測をして得られた数。
2 文字式の中の文字に当てはまる具体的な数。
です。
そして、この質問をした人は、スピ某所でのOリングテストのルール表記を作ってくれている人だったので、
>なるほど。了解です。
>シンプルにしたいので、そのまま「切れたところが力価」にしておきます。
>ありがとうございました。
と返して、これがそのままその時いたML内全員への暗黙の前提と化してしまったのです。それはシンプルとは言わないよ…。そうしたいなら、YES/NO測定が基準ってことでいーじゃん(ToT)
はい。ここが全ての元凶になっていました。
ここでNOがYESという意味に変わってしまったってことです。…囧rz
要するに、YES/NOの判断と数値測定の判断は別物だと思っているんだと思いました。
まぁきちんと分けられる猛者もいて、臨機応変に、数値/力価測定の時は「切れたところが力価(でYES)」YES/NO判断の時は「切れない=YES」として判断できていたのかもしれませんが、私には出来ませんでした。
この、理論とは言えないようなモノを基準にして、それで何を測定していくかとか、何を物差しとしていくか、の(めちゃくちゃにしか思えない)論理発展に繋がり、今もやっているであろう物差し修行というもののやり方になっていったのだと思っています。
これは2013年2月にあった話です。
今なら突っ込みを入れられることも、この時には何も分からず、つい最近まで気づきもしてませんでした。
それは他の人も同じで、誰も何の疑問も持たずにやっているんじゃないかなと思います。。っていうか猛者が基準なのかもしれません。
疑問を持った人たちは、直接的にここに疑問があった訳ではないかもしれないし、スピ某所のやり方に疑問を持った、ということばかりでもないのかもしれませんが、色々な理由で去っていきました。
これが始まってから7年で、人数的には始まった当初にいた約50人から26人くらいに減りました。 約半分ですね。1年で約3人ずつくらい消えていった計算になります。
物差し修行をやらないで、残っている人も何人かいましたけど。やらない人はやめてくださいってあれだけ口酸っぱく書かれているのにね。そこもおかしいけど。
その前まではRさんも含め去っていく人は時々居ましたけど、はっきりいって異常な数のように私には思えます。
それが、ここで間違えたことが、真実が誤魔化されてしまったことが発端であるとするなら、余りに@@過ぎると思いました。
私はもういいんですよ。やめてるから。
これからも誤魔化し続けるかどうするのかは、上の人たちが決めることなので。
誤魔化されていることが分かったらどうするかを決めるのは下の人たちですけど。
もーピッタリすぎて怖い。。。
ここまでお付き合いいただいて、読んで頂いてありがとうございました。