こんにちは。ご無沙汰してます。ゆえのです。
一回閉鎖しましたが、再開することにしました。
また読んでやってください。
再開一回目は、結構月日が経って色々考えたりあったりしたので、それを書いていきます。
まず、受講していたRCメソッド認定カウンセラー養成講座ですが、挫折しました。
カウンセラーにはなれません。
挫折した原因は、私の未熟さゆえに万紀子さんに対して無意識に境界線侵害を行なってしまってしまったことです。そういう人とは関わりたくないとはっきり言われました。
そして、境界線侵害をしてしまった理由を自分で色々考えてみましたが、私の発達障害特性である、「物事を捉えたくない、理解したくない」が大きく関わっているのだろうと考えました。
つまり私の潜在意識は、発達障害特性を使って「現実なんてどうでもいい、面倒くさい」と言っているわけです。
でも実際には現実を生きていかなければ、生きていけないですよね。
そういうものがあるということは、潜在意識は私に「死ね!」と言っているのだろうかと無意識に考えて、その答えを知るのが怖くてずっと目を背けてきていました。
そして、RCメソッドでありのままの自分を受け入れて存在の肯定をする、ということが私には、私に死ね!って言っているのか、という風にしか無意識に捉えていなかったみたいで、そのストレスを万紀子さんにぶつけてしまった、ということだと思いました。
でも、生きていけないと思っていながらも生きていくことができている、ということをこのカウンセラー養成講座で知ることができました。
私、今年で45歳なんですけど、少なくとも45年は、生きていけないと思っていても生きてこれている自分がいる。その現実がある。
潜在意識は私に死ね!と言っているわけではない。
そのことには凄く安堵はしましたが、「現実なんてどうでもいい、面倒くさい」と潜在意識が言っていることは何ら変わりなく、このままで自分は生きていける訳がない。でも現実的には生きていけてる自分がいる。
何だ、このダブルバインド状態。とも思いました。
生きていけてる、のはいいんだけど、この先は?
現実なんてどうでもいい面倒くさい。で 現実を生きていける訳ないんだから死ねばいい、とも思ったんですけど、死ぬ勇気も生を諦める覚悟もないんだから、生き恥晒して生きていくしかないんじゃない?とも考えました。
そういえば、これの状態が凄く出ていたと思える心理状況が過去にあったことを思い出しました。
三年ほど前に母方の祖母が亡くなったんですが、その前に特設老人介護施設にお見舞いに行っていた時に、凄く不可思議な心境になってると気がつきました。
それを言葉にすると、私もおばあちゃんみたいに今すぐ歳を取ってこういう風に死にたい、というものです。
つまり、生きているのが面倒くさいから死にたい、というのが私の基本的な深層心理みたいなんですよね。生まれた時から負け犬みたいな感じです。
それに気づいてから、米津玄師さんの「LOSER」が頭から離れなくなりました。
とりあえず、その面倒くさい自分を肯定して、じゃあ何なら面倒くさくてもできるのか、を探していくことにしました。
その話はまた後日。