5、裏切り・後を書いていきます。
で書いた、神の領域の話は、始源から流れていた縦の光がエントロピーの増大によって流すことができなくなり、横の光を創造するようになった、という話でした。
では「縦の光」「横の光」とは一体何なのか?ということを、存在世界ではなく物質世界まで次元階層を落として考えてみます。
私が勝手に考えたことですが、双方に使われている「光」は「関係性」という言葉に置き換えることができるのではないかと思いました。
つまり言い換えると、縦の光は「縦の関係性」、横の光は「横の関係性」といった具合です。
縦の光は、神さまから人や世界やその他のものへ上から下へと光が流れる、上から下に恵みが与えられる、上から下に関係ができるいうことだと考えるからです。
対して横の光は、共に光を創造する、一瞬でも関わり合って今までにはなかった新しい光を生み出していく、というものだと認識しています。
その方法として、スピ某所では「共創造」という手法がトップの人が宇宙との交渉を重ねに重ねた末に生み出されていて、今では存在世界・意識世界に広く浸透しているそうです。
顕在意識では意識できません。一秒間に一万回くらいその共創造を潜在意識はやってる、という話だったので。
私は、そのトップの人が「横の光」を属性として持っている人ではないのかなと推測していました。質問したことはないです。まともに答えを返してもらえるとは思えなかったので。それくらいブレがない方のように思えました。
縦と横の「存在」構造はわかりませんが、次元階層を落として考えてみると縦と横の「概念」構造なら理解できるように思いました。
それでいうなら、縦の構造は「上下」、横の構造は「前後左右」というふうに言えるのではないかと考えています。
MLの中で
>縦が強い人は共創造をそもそも好みません。
>自由には縦の人が感じる自由(感じてしまう自由)と横の人が感じられる自由があると思うので上記のように書きました。自由という同じ言葉でも意味は全く違います。
という言葉があって、その縦の人が感じる自由と横の人が感じる自由って何?ということを考えていきます。
まず縦の人が感じる自由とは、上にいる人が下にいる人の人生を「自由にできる」という意味での自由、だと考えています。
そして横の人が感じる自由とは、RCメソッドで教わった個人の決定権の範囲内で自分が自分の人生を「自由にできる」という自由、だと考えました。
そして同じように、「美」にも縦の美、横の美があるではないということを考え始めました。
横の美とは、4、論痴でも書いた「機能美」のことだと思っています。
そして縦の美とは、美の項目から抜き書きした下記のことだと思うのです。
ーーーー抜き書き
日本語で使われる「美」の文字は漢字であり、中国において3000年以上前に発明されたものである。この「美」という漢字は、「義」や「善」と同様に、一種の要素合成によって造られており、それぞれの上半分の部分は、「羊」という文字である。
「羊」と「大」の合成が「美」であり、「羊」と「我」の合成が「義」である。孔子の『論語』の中にも記されているが、「羊」は宗教的祭式において献物として利用された動物で、「犠牲の動物」の意味があり、そこから「羊」を要素とする合成漢字には、「犠牲」の意味が含まれている[10]。あるいは、「犠牲」の意味を持つ概念を表現するために、これらの漢字は合成され造られたとも言える。
「義」とは「我の責任の限りの犠牲」という意味があり、「善」は、「儀式の祭具に盛る限りの犠牲」という意味があるが、「美」とは「大いなる犠牲」である。この場合の犠牲とは、「自己犠牲」であり、共同体の命運などに対し、人間として行える最大限の犠牲、つまり己が命を献げて対象を高めるという含意があり、言い換えれば、人の倫理の道において、最も崇高な行いが「美」であったのである[10]。
ーーーーここまで
つまりは「自己犠牲」のことだと考えています。
MLでも投稿されていましたが、それは縦の美だと私は思っています。
縦を徹底的に排除すること、を命題とされていましたが、「美の希求」の美に縦の美を持ってくるとか、本末転倒ではないかと思ったのです。
あと、美の希求をするために「美しく見る」ということを推奨されてましたが、それを唱えていると私の場合、なんだか気持ち良く?なってきてしまって、何でも許されるような気になることがあって、美しく冷静に見る、という風に変えたこともありました。
いくら美しく見たところで、洗脳は洗脳だし、モラハラはモラハラだし、暴力は暴力だから。ダメなものはダメだから、って思います。
ドラマのノーサイド・ゲームの最初の回でも大泉さんが言っていましたが。
「横の光」を縦の関係性で(つまり上に据え置いて)使っているように私には受け取れました。それがどれほどの裏切りになっているのか、考えたことはあるのでしょうか。
私じゃなくて、宇宙や世界に対してこの上ない裏切り、になっていると私は思うのです。
もう届くこともないと思いますけど。気づきませんでしたね、最後まで。
これでこのシリーズは終了です。
読んで頂いてありがとうございました。