現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

占星術から見る、運命の相手と運命の恋

8/9、少し追加。

 

さてさてまた気持ちを新たに切り替えまして、記事を書いていこうと思います。

今回は、占星術から見る運命の相手と運命の恋、です。

 

あなたは上記の話を信じますか?私はかなり前にそういうものがある、らしいということを聞いたことがあって、それはそれでラクそうだなぁなんて今思えばかなり気楽に考えていました。

実はあまり婚活などに積極的に動いたことはなくて、無意識のうちに上記の話を信じていたから、なのかもしれません。

 

 

宝瓶宮占星学を本格的に学び始めてから、こんなブログの記事を見つけました。

hoshiman.jugem.jp

 

以下、抜き書きです。

ーーーー

他の記事でもお話しましたが、「海王星」という天体は、
「ただ一つの正解へと導き、他の虚構を全て無に返す」
作用があると考えています。
したがって、金星と海王星がハードアスペクトを形成すると、
正解とされるただ一つの愛以外は、容赦なく消えてしまいます。
「この人のことが大好き!愛してる!」と思ったところで、
その愛が本物ではない「不正解」ならば、相手ひっくるめて消えちゃうんですよね。

(※ここでの「消える」とは、文字通り相手が目の前から消えてしまうとか、
何らかの現実的な問題によって、その相手が「愛の対象者」ではなくなり、
幻滅し、目が覚める、という意味も含みます。)

そしてその愛・または愛の対象が「消える」という体験をした人は、
また今度は別の対象を「運命の人だ」などと思い込んで愛そうとするわけですが、
またそれが不正解ならば、やっぱりその相手は消えてしまいます。
そうして何回も何回も、手当たり次第に「不正解」をつかまえては、
勝手に幻滅していく、というループに陥りやすいのがこの金海ハードの特徴です。

どこまでいっても愛されない、愛することができない。

さて、そうなるともう自暴自棄になって、一時的にしか愛情が満たされないような
悲しい恋愛を続けてしまう人もいれば、苦しさに耐え切れなくなって
必要以上にアルコールに手を出したりしてしまう人も出てくるでしょう。
でも、その気持ちはとてもよくわかります。
この天体間のアスペクトを持っている人は、愛情問題で満たされることがとても難しいのです。

ーーーーここまで

こちらのブログの著者の場合は、「金星海王星スクエア」というアスペクトのことを主に指しています。

ネイタルホロスコープにおいて、金星と海王星の角度が90度で形成されている、という状態です。

 

 

そして私事ですが、実は少し前からとある人からアプローチを受けてまして。

でもそれが、なんだかちょっと普通の感覚からは逸脱しているような違和感を覚えてて、その人の生年月日を知ってホロスコープを作ってみたんですよね。

そうしたらありました。「金星海王星スクエア」

 

つまり私にアプローチをかけてきてくれた人は、その人生の中でたった一人しか愛することができない、という宿命を背負った人だったのです。

まぁ相手がそれを理解しているのかいないのかまでは私にはわかりませんが、でも無意識のうちに分かっていて動いているのかなと思いました。

 

そしてその人にとってのたった一人がなぜ私なのか、は相性ホロスコープを見てなんか分かりました。

 

相手の海王星が私の月に、トライン(=120度)しているのが、金星海王星スクエアの人の運命の相手という受け皿になりそうなアスペクトだなと思いました。

 

宝瓶宮占星学において、このアスペクトは自然に流されてしまうパワーを持つ、何もせずに星たちが勝手に「簡単に関係を持つ」象意があるらしいのです。

 

上記で抜き書きした、海王星の「ただ一つの正解へと導き、他の虚構を全て無に返す」という象意と、月の「個々の現実」by宝瓶宮占星学より、を考えて、星同士の力関係を見るなら、1番大きい所から2番目にある海王星と、1番身近で1番力が小さい月とでは、どう考えてみても勝てるわけがないのです。

 

これは私一人の検証なので、他の人たちにも当てはまるかどうかは分からない、ということは明記しておきます。

 

 

そして、私は金星海王星スクエアというアスペクトは持っていないので、正直なところ「別にあなたじゃなくてもいい」という気持ちになりやすくて(年齢的にいって何、贅沢なことを言ってんだ!お前は!なんですが)金星海王星スクエアの相手の「絶対にあなたでなければならない!」という勢い?には正直怖いし、ついていけないような気持ちになることもあります。

 

 

でも少し前に、魔女の下僕と魔王のツノの12巻を読んでいて、気になる言葉がありました。

「助ける力があるのに  それをしないのは  きっと悪いことよ」

「助けを求める人がいる

人を救う力がありながら  それをしないのは  罪だ」

という2つです。

 

あー、これここに繋がっていたのかぁorzと思いました。

 

上記のブログで、こういう言葉もありました。

ーーーー抜き書き

私が考える愛、特に女性側に言えることなのですが、
それは、「相手を生かすこと」ではないかと考えています。
これは、「自分を犠牲にする」という意味ではありません。
自分が生きることで、相手を生かし、
自分が幸せになることで、相手を幸せにする、ということです。

相手が苦しんでいたら、同じように自分も苦しむのではなく、
まず自分が苦しみを手放し、健全な心身を維持しようとする。
そうすることで、相手の苦しみを解放し、生かす。

相手がいつ何時でも健全な心身でいられるように願い、
そのために生きようとする。

それが、私の考える「愛」です。

どちらかが不幸で、どちらかが幸せ、というアンバランスな関係ではなく、
どちらも幸せになれるような関係、また、そうなるように
努めようとすることが、本物の愛なんじゃないかなーと思います。

ーーーーここまで

 

私も「本物の愛」をちゃんと分かっている訳ではないですが、相手のためにまず努力していこうと思いました。

 

追記。

なんか書いた後に読んだら、書いていることと伝わることの剥離が凄い…。

この辺でまだまだ整理ができていないのかもしれないので、また明日くすぶっていることを書いてみようと思います。