前回の記事で、書いていることとそこから伝わることがほぼ真反対なことを言っているようになっていると感じたことについて書いてみようと思います。
さて、題にも書いた「ヨッド(60・150・150)」についてですが、これはグループアスペクトと呼ばれるものの1つで、一般の西洋占星術では「神の手に捕らえられたように逃れることの難しい宿命的なアスペクト」と紹介されています。
前から私のホロスコープには1つあるのは分かっていましたが、宝瓶宮占星学で鑑定してもらったらもう1つあることが判明しまして。晴れて(といってはなんだけど)2つ持ちになってしまいました。
前から自覚していたのは、「土星」を頂点として底辺に「海王星」「火星」を置くもので、今回発覚したのは、「天王星」を頂点とし、「太陽木星合」「ドラゴンテイル」を底辺とするものでした。
後者のヨッド(60・150・150)は、発達障害と自分の潜在意識の声「現実なんかどうでもいい、面倒くさい」が発覚したのを受けて、認識できるようになったのかもしれないとも考えました。
宝瓶宮占星学で教わった象意を考えると、そういうことなのかなと思ったのです。
頂点、天王星ー自由・個性・友愛精神
太陽木星合ー太陽は生命エネルギー、木星は拡大・膨張、発展、そしてどうでもいい
ドラゴンテイルー習性面
ヨッド(60・150・150)の説明に「自分でない状態を繰り返すアスペクト」とあって、
潜在意識が私を生かしてくれているのを自分とするなら、もう1つの潜在意識の声「現実なんかどうでもいい、面倒くさい」は自分でない状態を繰り返す、そしてそれが習性になっている、でもそれが自由で個性的な状態になっている、と受け取ることもできると思いました。
そして、元から自覚している前者のヨッド(60・150・150)は、
頂点、土星ー誤魔化すことのできない現実
ーただ一つの正解へと導き、他の虚構を全て無に返す(by漫画好きの占星術)
ー簡単に言うと、現実無視(by宝瓶宮占星学)
火星ー行動・アクション
で、私は無意識にスピ某所で使っていたのだと考えています。でもそれが頂点、土星の象意と合わなくなってきてしまったため、抜けて自分でなんとかやっていこうと思っていました。
あと、他にも色々なグループ・アスペクトを持っているみたいなんですが、それを活用することを考えるとだんだん面倒くさくなってきた所に、運命の相手の受け皿的な役割まで覆いかぶさってきて、キレたのが原因かとも思いました。最初に書いたほぼ真反対になったことの。
運命的なものに流されるのが嫌いなんだと思います。
その運命の相手を認識してから、上記で書いたヨッド(60・150・150)の意味もがらりと変わってしまって、その運命の相手のためのヨッド(60・150・150)になってしまったような気がします。
自分でない状態を繰り返すアスペクト、であることだけは変わらないですが。
それか、ただただ全てが面倒くさいだけ。なのかもしれません。
あーあ、ダメ人間。
スピ某所のことを書いた後から、米津玄師さんの「灰色と青(+菅田将暉)」が気になって聴いていました。
菅田将暉さんが歌っている所の
「どれだけ無様に傷つこうとも 終わらない毎日に花束を
くだらない面影を追いかけて 今も歌う今も歌う今も歌う」
の所がすごい響きました。
最後の歌詞の「始まりは青い色」の部分も、ブルーな気持ちの方に今は受け取れてしまって、「嫌い」っていうことをちゃんと受け止めて、そこから始めていこうと思いました。
まとまっていない感じもありますが、これで終わりです。
次回は、2日後に更新します。