現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

私も、理解という名の愛が欲しかった

9/5、コメント欄消しました。特に誰にも書かれないので。

 

Evernoteを整理していたら、山田ズーニーさんのおとなの小論文教室の保存した記事を見つけた。

 

Lesson 291 理解という名の愛がほしい

www.1101.com

 

才能の話になるけど、私には「自分の才能を発揮したところで、喜ぶ人は誰もいない」という思いがある。

 

スピ某所にて、同じく山田ズーニーさんの本、

伝わる・揺さぶる! 文章を書く (PHP新書) | 山田 ズーニー |本 | 通販 | Amazon

を紹介したことがあった。

文章を書くだけでなく、考え方というか思考能力をつける上で大切なことが書かれている。論理の展開で必要な、論点・論拠・意見の見つけ方?が分かりやすく解説されていると思ったからだ。

 

でも、他の人たちにはそんなに響かなかったようだった。

 

そして、この本を読むことで、トップの人の論痴にも気づいて

気持ち整理4、論痴 - 現実と妄想のはざま(改)

指摘してしまったことが余程ウザかったみたいで(まぁ当たり前)私のことを一番理解してくださっていると思っていたけど、嫌味で返されてしまって、粉々に砕かれてしまった。

 

 

気持ち整理2、モラハラ - 現実と妄想のはざま(改)

ちょうどこの時の事件の時の話だ。

 

 

そんで同じ頃に、従姉妹の子供さんにも上記の本良いかも!って思って、まだ中学生だったけどちょっと早いけど出来がいいからまぁいいかと思ってあげたことがあった。

 

その後、なんか従姉妹の乳がん疑惑が出てきて、結局それは違ったんだけど、彼女は自分の体への不安に数年苛まれた。

 

私とは関係ないと思いたいんだけど、彼女の乳がんが発覚した経緯、健康診断で影が見つかって確実にそれが乳がんだという確率は低いにも関わらず、なんか彼女の、自分が乳がんであると思い込む姿を見て、ひょっとしてなんか別のことを訴えたい、またはなんかの思いから目を背けたいのかなということが見えた気がした。

 

つまり、私が彼女の子供にあげた本を彼女が読むことで、私が、彼女が考えていた以上に頭が良いのかもしれないということに気づいた、ということから目を背けたいのかな、と。

 

違うのかもしれない。でも……タイミング的にそう考えることもできる。

 

 

スピ某所にちょっと話を戻すけど、去年の7月に止めるまでに、私には1回スピ某所での投稿を一切しなくて、傍目からは行方をくらませたようになった時期が2018年(訂正済)にあった。

2月くらいから12月くらいまで。理由は色々心が疲弊してきて、その時にRCメソッドと出会って境界線を勉強することで自分の心を守る方法を習得したんだけど。

 

戻ってみてから分かったけど、その中で、1人の人が乳がんになって手術をしたという事実だった。

彼女は数は少なかったけどリアルでの接点があり、彼女の方から話しかけてくれたのもあって私は彼女に好意的な気持ちもあった。

 

でも、私が上記の本を読んで論理的な方に才能?を発揮していく中で、彼女の投稿には私への嫉妬の色が垣間見えたこともあった。

 

全然関係ないかもしれない。違うのかもしれない。

でも従姉妹との共通点、病気が出た場所が同じ乳がん、を考えると、ワタシノセイカモシレナイ、という思いが浮かぶ。

従姉妹の疑惑と違って、彼女には間近で私の投稿を読んでいた経緯があるからね。

 

 

私が自分の才能を発揮しても喜ぶ人は誰もいない。

 

私がこんなブログを書いていることは、身近な人には、言っても大丈夫だと思える人にしか言っていない。また病気になられても困るしね。

 

 

そういえば、学生の頃は両親からはあまり頭が良くなって欲しくない、という思いを受け取ってきた。高校生になった頃にはその当時の最低レベルの学力の高校を無意識に選んでいた。

 

私が才能を発揮したところで、喜ぶ人は誰もいない。

 

それでも諦めきれなくて、こんな所で才能を発揮しているかもしれない。