9/23、後半部分の引用を全文掲載しました。
スピ某所で教えてもらった文章や本などを、差し障りのない範囲で紹介していっています。
今回は「ラムサー真・聖なる預言」です。
この本は、2012年の3月に最初に紹介されて、その後も度々MLにその時に必要な抜き書きで登場していました。凄く好きな本の一つです。読み込んで落としきるところまでできていないところがダメダメな部分ですが。
MLに書かれていた「ラムサ」のことについて少し抜き書きしておきます。
抜き書きーー
ラムサは、JZ・ナイト(この本を著した米国の女性チャネラー)がチャネリングする宇宙人でJZ・ナイトはその娘ということになっているようだが、これは間違っている。
ラムサは「人」ではない。
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JZ・ナイトは、ラムサをチャネルしたものの中で最初に出版された『真・聖なる預言』で一番正確にラムサの言葉を聴いている。
それでも、時代背景とJZ・ナイトが感染しているミーム*によってバイアスも掛かっている。
これより後、JZ・ナイトはいくつか本を出しているし、ワークショップをたくさん開催しているが、最初の『真・聖なる預言』以上にラムサの言葉を聴くことは出来なくなっている。それは、存在世界が反転したことによる。
だから私がラムサと接して感じたことを追記しておこう。
縦構造の意識世界において、神としてのポジションはけっして高くはなかった。階級は平社員といっていいだろう。
しかし、存在世界に暮らす無数の神仏の中で、ラムサは「人」をよく知り、理解する希有な存在だ。
そして、神仏特有の妙なこだわりから自由になっている存在。
「横」に対する理解があり、そういう姿勢を持っていた。だから「人」をよく理解した。
『真・聖なる預言』が傾聴すべき一冊になったのは、ラムサがそういう存在だったからだ。
人の歓びは何か、という問いに応えたラムサの言葉、
「人生最大の歓び、楽しみは、積み上げてきたものを全て捨て去ってしまえることでしょう。」
この言葉には、ラムサが「人」を深く理解していたことが端的にあらわれている。
ーーーーここまで
ミームの意味を書いておきます。
Wikipediaよりーーーー
ミーム(meme)とは、脳内に保存され、他の脳へ複製可能な情報である[1]。例えば習慣や技能、物語といった社会的、文化的な情報である[2]。
エジプト文字(ミームの一例)
文化的な情報は会話、人々の振る舞い、本、儀式、教育、マスメディア等によって脳から脳へとコピーされていくが、そのプロセスを進化のアルゴリズムという観点で分析するための概念である(ただしミームとは何かという定義は論者によって幅がある)。ミームを研究する学問はミーム学(Memetics)と呼ばれる。
ミームは遺伝子との類推から生まれた概念である。それはミームが「進化」する仕組みを、遺伝子が進化する仕組みとの類推で考察できるということである。つまり遺伝子が生物を形成する情報であるように、ミームは文化を形成する情報であり、進化する。
さらに遺伝子の進化とミームの進化は無関係ではなく、相互に影響しあいながら進化する。
ーーーーここまで
そしてあと、確か2018年頃に「1日1つのラムサ」として16個(表紙を入れて16なので実際は15でした)にまとめた格言のようなものが配布されたことがあって、それも掲載しておきます。
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1章
「自分自身について無知なままだといかに無力であるか」
「知識の中に身を置くとどれほど偉大な存在となるか」
「ただ望むことを通じて何かに長い時間思いを馳せれば、人はそれそのものになる」
2章
「今日この日、あなたが在るがままの姿が、自分がこれまで求めてきたものすべてに対する答えなのだ」
3章
「皆のすべての中に潮の満ち引きのごとく流れ、皆をつなげ、絆を持たせ、死後の生存と果てしなく続く永遠を約束するこの不思議なる生命の力とは、いったい何なのだろうか」
「それは、思考によって生まれる“在るということ”なのだ」
「生命が存在し続けている姿が“在るということ”なのである」
「在りて在るものすべてを愛するこの“在るということ”なのだ」
4章
「明日というものはすべて、今日という日の自分が抱く思考によって設計されているのだ」
「自分はいったい何者なのか」
「自分がなりたいと望むものなら何にでもなっていける力を持つ者」
「それが自分だ、自分を阻むものなど何もない」
6章
「身体は内臓ではなく、分泌腺からの滋養で生きるようにつくられているのです」
「心臓のそばに宿っている魂が、感情というシステムを通して、身体をすべて管理しているのです」
「この魂が、化身の生命を維持するために、全身にホルモンを分泌させています」
「魂はこれを独自にではなく、あなたの価値観や思考過程の指示のもとに行なっています」
7章
「創造されたものは、思考が感情へと進化した姿です」
「これが物質の創造を可能にします」
「これこそ、あなたが創造し、進化し、なりたいものになり、自己を表現すること」
「つまり、何でも自分の選んだとおりのことを させてくれるものなのです」
8章
「この世界は、もしあなたが自分の魂の内にある感情を通して知覚する目を持っていなければ、存在し得なかったものなのである」
「何もなくなってしまうのだ」
「智慧は知的な理解ではない」
「それはまさしく、体験から得られる、感情レベルでの理解なのである」
11章
「最も偉大な現実、偉大なる真実とは何でしょう」
「それは、思考において事実を真実として受け容れたときに感じるフィーリングなのです」
「これが真の事実です」
「最も偉大なる現実とは、感情なのです」
「そこにすべての真実があるのです」
12章
「あなたが学ぶべきことはただひとつ、この瞬間、このいまこそが、まさに永遠そのものだということです」
「それは途切れなく続いているのだということです」
「そしてこのいまという瞬間の継続性の中では、あらゆる瞬間がまったく新しいものなのです」
「あなたが明日のことを夢見て現実化していくためにつくり出したのは、まさにこのいまなのです」
13章
「あなたがここにいる目的とは何だろうか」
「それは、よろこびあふれる存在になるということだ」
「よろこびとは何なのか」
「価値判断のない表現の自由だ」
「恐れや罪悪感のない存在のことだ」
「人生において自己に対する愛ほど偉大な愛はない」
「自己を抱き、受け容れるという、その場所から自由が存在していくからである」
「そして、よろこびが生まれるのはその自由からなのだ」
14章
「存在の内面では自分が卑しい存在だと“知っている状態”になったのとまったく同じように、いま、自分は内面では神なのだということを知れば、あなたのすべては神となる」
「自分が神であると知るとき、それを確信したフィーリングは、この“知っている状態”が真実であることを教えてくれる体験と智慧をつくり出す」
「神が自分とひとつであると知ると、思考過程から分離という価値観を取り除き、神である自分の頭と再び連結することができる」
「これだけは言えます」
「すべてとひとつであるという状態は、本当にわずか一瞬、ほんの一呼吸しか離れていないところにあるのです」
15章
「ここにいる誰もが幸福です」
「なぜなら、誰もが自分の意志にしたがって自分のしたいことをしているからです」
「もし、病気になりたければ、病気になっています」
「もし、不幸になりたければ、不幸になっているのです」
「それはそうなりたいからで、そうなることが彼等を幸せにしてくれるからなのです」
「ここにいる誰もが自己を表現し、生を楽しんでいます」
16章
「あなたの肉体は、オーラの場と呼ばれる光の場で包まれている」
「あなたのオーラの電磁的な部分が、あなたの思考過程と、存在の感情面での状態にしたがって、想念を引き寄せてくる」
「想念があなたの養分となる」
「望みとは、それが満たされるという想念を、物、人、あるいは体験を通して見たものに過ぎない」
「あなたが自分に感じることを許した“満たされるという想念”は、すべて電磁場を通ってあなたの身体を離れ、意識の流れに入っていって、あなたが身体で体験した欲求と同じフィーリングを生み出すものを引き寄せてくる」
17章
「身体が治癒するのは医師や薬を通してだけだとあなたは思っている」
「確かにそういうものは効く」
「それが効くと誰もが信じているからだ」
「また、あなたは、こうも言われ、それを信じてきた」
「曰く、自分で身体を治すことはできないのだと」
「だから実際にあなたはそれができない」
「なぜなら、そのことを“知っている状態”にあるからだ」
18章
「ホルモンの流れを使って脳の眠っている部分を目覚めさせるには、いったいどうすればいいのだろうか」
「それは、単に望むことを通じてなのだ」
「知ること、知ること、知ることだ」
「必要なのはそれだけなのである」
「知らない、あるいは知ることはできないと言えば、絶対にそれを知ることはない」
「もう知っている、と言うこと」
「そうすれば、すべてを知ることができるのだ」
「あなたの朝はもうすぐやってくる……私の朝がやってきたように」
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引用はこれでは全部です。