現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

5、ミラーニューロン3

 スピ某所で教えてもらった文章や本などを差し障りのない範囲で紹介していっています。

 

ミラーニューロン関連を検索していたら、他にも色々な投稿があったので、紹介していきます。これらは、2011年9月ころに投稿されたものです。

 

【模倣とか、パクリとか】

19世紀末、この時点ですでに「模倣」、「パクリ」の本質を本格的に哲学した
タルド。その内容は濃い。

リエーターならパクられるものが秀逸であることを知っているし、
音楽シーンでは、ディジタル・サンプリングが確実に定着してヒットを飛ばして
いる。

中国は著作権に無節操だ、とばかりは言ってらんないのだ。

■以下、ガブリエル・タルド「模倣の法則」について、
千夜千冊/松岡正剛より抜粋。

世の中には抑圧しても抑圧しきれないものがあって、
それは「自由」ではなくて、
実は「模倣」や「類似性」なのだろうということだ。

模倣や類似はどんな時代のどんな場所にも発生し、波及し、蔓延する。
それを流行といってもいいけれど、それだけではない。
模倣や類似は、
家庭にも学校にも、
言葉づかいにも文体にも、
絵画にも音楽にも、
商品にも価値観にも浸透する。

意識も社会も、模倣と類似によって成り立っているのではないかと思われるほどだ。

それにもかかわらず、どんな権力も模倣を制限し、禁止しようとする。
「自由は束縛しませんが、模倣はいけません。」
わかりやすくいえば、「模倣の自由」こそがつねに抑圧され、収奪され、ひそか
に独占されてきた。

歴史の本質の中核には、
この「模倣の自由」をめぐる闘争があったのである。

ーーーーここまで

1318夜『模倣の法則』ガブリエル・タルド|松岡正剛の千夜千冊

 

 

【理解することの正体とは?】

以下抜き書きーーーー

この話、以前のMLポストにもあった話題ですが、
そもそも自分や他者を「理解」する、その正体は何か?

「理解」にはなにがしかの「共感や共鳴(シンパシー)」がある。
そして、「共感」は、存在することを見つめる時に、大切なテーマになる。
最初に「共感」があって、「理解」が生まれる。
その逆ではない。

犬に好かれる、猫に好かれる、虫に好かれるなど、
そこには「共感」が存在する。

特に犬や猫は、人に対する共感性が高いと言われる。
だから人の友達や家族になった。

「共感」は、自分や他者に向かって「心を揃える能力」から生まれる「コヒーレ
ントな心持ち」のこと。

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コヒーレントの意味

コヒーレント【coherent】
[形動]《「干渉可能な」の意》波動が互いに干渉しあう性質をもつさま。二つ(または複数)の波の振幅と位相の間に一定の関係があることを意味する。代表的なものとしてレーザー光がある。干渉的。可干渉的。⇔インコヒーレント。

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これは時空を越える。そして、遮蔽することが出来ない。
受容するか、受容しないか、ただその選択によってのみ「共感」が行き交う。

人は宇宙に共感する能力を備えている。
宇宙を感じるにはこの「共感」を発露すればいい。
そしてそれは、
皮肉なことに自らの「負の意識」から導かれることが多い。

なぜか?

存在世界の基本エネルギーは、
「妬み」、「恐れ」、「分化」によって構成されている。

そして、その「恐れ」は、
「失敗への恐れ」、「成功への恐れ」、「拒絶への恐れ」から構成される。

「失敗への恐れ」は、
「アナロジー(類似性)」の探求と「真似るこころ(模倣)」を導き、
生物学的には「ミラーニューロン(模倣ニューロン)」を導いた。

「成功への恐れ」は、
「硬軟を選択するこころ」を導く。

そして、「拒絶への恐れ」は、
「情感のこころ」を導く。
そこに「共感」がある。

われわれのドラマツルギーは、
ベーシックには「悲劇」であり、
感情移入や共感がたやすい。

*****

ドラマツルギーの意味

ドラマツルギー【ドイツDramaturgie】
1 戯曲の創作や構成についての技法。作劇法。戯曲作法。
2 演劇に関する理論・法則・批評などの総称。演劇論。

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「喜劇」は、
「悲劇」の畸形性から生まれてくるものだ。

「悲劇」が畸形なのではない。
「喜劇」が畸形なのだ。

「喜劇」が、常に、どこか「泣き笑い」なのは、
それが、存在の基本エネルギー「恐れ」を
引きずっているからに他ならない。
物語のマザーは「悲劇」なのだ。

古代ギリシャソクラテスの「詩学」、
釈迦の「煩悩と無明」、
ニーチェの「ルサンチマン」など、
一貫して、悲劇的に生まれつく人間の性を起点にしている。

若干ノーテンキなことを言ったのはキリスト教くらいのもんだ。

だから、傷をなめ合うことを否定し過ぎるのは、
強者の論理に強くバイアスされた結果なのだし、
それで失うものは大きい。

「共感」と「悲劇」は通底している。
自らの「悲劇」から目を逸らさないこと、
その「負の意識」を「共感」を持って動かしていくこと、
それは、宇宙を理解する最初の一歩になる。

そして、次の一歩が最大の課題だ。

ーーーーここまで

 

【「共感」から「交感」へ】

抜き書きーーーー

「共感力(共感性)」によって理解が進み、新たな「心」が生じる。

「共感」は、
「真似るこころ(ミラーニューロンの働きを含む)」、
そして、
「他者の抱える問題(困っていること)を察知するこころ」と、
「自分が困っていることを深く見通すこころ」が
相互に行き来することによって生じる。

自分や他者が「満足していること」から深い「共感」は生まれない。
このことはよく理解される必要がある。

これによって、「共感」は「創造性」の糧となる。

物質身体において、
皮膚意識(腸内絨毛突起を含む)から「共感」はやってくる。
内胚葉に裏打ちされた意識だ。

そして、その「共感」はあなたの「心」に属する事態だ。
もちろん他者なくして「共感」は起こらない。
しかし、それでも「共感」はあなただけに起こっている「心」の事態なのだ。

●「共感」が「交感」に昇華する。
あなたの「共感」と他者の「共感」が交わりを結ぶ時、
「交感」が生まれる。

「交感」は場の意識なのだ。

「共感力」が高まると「交感の場」が開けてくる。

「交感」はあなたと他者の間(交感の場)に属する事態で、
一方的にあなただけに帰属したり、
他者だけに帰属したりするものではない。

「共創造(Co-Creation)」とは、
存在論的な「交感」であることに気が付かれただろうか。

ーーーーここまで

終わり。