現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

幸せを目標にしない。古代ギリシャ人の考え方

今回は、迷惑メールに入っていたけど気になって受信箱に入れたメールの内容について、書いていきます。

 

 

結論から先に書くと、

古代ギリシャ人は人生で「幸せを目標としないで満足感を目標」とした

ということらしいです。

 

以下抜き書きーーーーーー

それで、面白いなーと思ったのがギリシャ人は人生の生き方の話で、

幸せになることってのを第一に考えない、みたいな話があるのですね。

それ自体を目標としないわけです。


たぶん日本人の価値観だと幸せになりたい、とか幸せな人生を、とか考えてる人が多数じゃないっすか?

けど、ギリシャ人は、「その考え方には限界がある」って気づいていて別の価値観を持ってるんですね。

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それで、今の日本人の悩みってのは、ずばり「幸せ」だと思うのですよね。


幸せになることが悩み、ってなんとも皮肉ですが、

多くの人は「私、僕、幸せになりたい!」という価値観がおそらく主体で日々生きてるんだけど、実際の世の中はキツイこと、辛いことばかりでありまして、

もう世の中幸せになりたい!なんて言っても基本的にキツイこと、辛いことのほうが現実は多いわけですね。

それを無視する態度もあるんだけど、しかし、自分に嘘つけない人ほど、この幸せになりたい、っていう考え方と、現実の厳しさのギャップに悩むことになってまして、おそらく、それが日本人の心の悩みの根源的なものですよね?

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ただ実はギリシャに来て古代ギリシャ人の哲学とか興味あって学んで分かったけど、

幸せを求めると人間は苦しむ、

ってのは古代ギリシャ人たちはもう数千年も前に気づいていたそう。


それで面白いのことに古代ギリシャ人たちは幸福になることを重視しませんで
それよりも「Eudaimonia」というものが大事である、とその大量の対話から気づいてたのですね。


このEudaimoniaはすなわち日本語でいうと満足感です。

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まあそれで、なんでギリシャ人たちは古代から幸せより満足感を大事にしたのか?ってことですが、この幸せと満足感の違いってのは


満足感を得るためにはやはり痛みを伴う場合もあるわけですね。

ここが違いです。

身体的にも精神的にも実際の生活で満足感を得るためにはその過程で痛みや苦しみは付いてきたりするんです。それを幾分肯定する。


例えば投資なんかでも、結果出すためには他の人がしないような学習したり、時には失敗できつかったりしますが、苦しみとか大変さはあるわけです。


けど、それと同時にその後何かを達成する可能性はあるわけでして、

それが満足感ですよね。


一方、幸福というと何か楽しくないときや落ち込んでる時は幸福の定義から外れてしまいますよね。


それで古代ギリシャ人たちは幸福を求める生き方ではなく満足感を得る生き方を大事にしたのですが、これがすごいわけですね。
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それで古代ギリシャ人のこの基本的な幸せよりEudaimonia満足感を得ようとする生き方の何がすごいか?っていうと
幸せを求める生き方ってのは世の中の現実を直視していなくて、っていうのは世の中って苦しいこと、大変なことが多いのですよ。


人生甘くない、とか言いますが、ほんと大変なことに囲まれて人類は生きている。


けどこの 満足感を得ようという生き方はその大変な現実を受け入れて、その上でその人生の大変さを認めた上でそこで構築されてる考え方なのですね。

ーーーーーーここまで

まだ、私もちゃんと理解できている訳ではないんですが、結構重要な考え方じゃないかなと思って少しずつ実践していこうと考えました。

終わり。