現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

【閲覧注意】アダルトチルドレン再燃

3/30、話をするの話を追加

ゆえのです。

読んで頂いてありがとうございます。

 

前回の記事で、その当時のブログとか色々思い出してたら…アダルトチルドレンの側面?が再燃してきた感じになってしまいました。そういうものでもないのかもしれないけど。

なので題名に【閲覧注意】と書いています。心当たりがある方は読まれない方がいいかと思われます。

 

 

 

 

最近はほとんど気にしなくなっていたんですけど、当時のブログを読んでいた人は、そのブログ主が両親がいる実家に戻る選択をしてたなんて考えもしなかっただろうなぁなんて思いました。あれだけ書いといて、よく戻ったなというか。

自分でも一人暮らしをしているときは帰省しても3日ほどしか居られない、いたくないような所によく戻ったよなって思ったんですけど、10年前の3月の地震で結構精神的に参ってしまったみたいで、あの当時はその後職場に行くときは必ず自分なりに用意した非常袋を持ち歩いてないと不安だったし、実家に戻ってからも1年くらいそれは続けて持ち歩いていたし、2年目くらいに入った時に地元でもちょっと大きめの地震があった時があって、自分でも驚くくらい動揺してしまって泣けてきてたりしてましたね。

今はもうそんなことはないんですけど。

 

だから…いつまた地震が起きるかもしれない恐怖の中で1人でいるより、地獄でも誰かいる実家に戻ることを選択したんですよねー。

 

そういえば、勝間和代さんの動画を見ていると時々話題に上るものに「選択理論」というのがあって、

選択理論とは | 選択理論.jp―ウィリアム・グラッサー博士の提唱する、より良い人間関係を築くための心理学

この中に

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5つの基本的欲求とは、身体的な欲求である生存の欲求と、心理的な欲求である愛・所属の欲求、力の欲求、自由の欲求、楽しみの欲求の4つをあわせた、私たちの誰もが遺伝的に持っている欲求です。

ーーーーここまで

というものがあって、私の場合「生存の欲求」というものが飛び抜けて高かったんですよね。

私は何よりもそれを最優先するということも上記の例を考えると、凄く納得がいくものでした。

 

 

それと、最近ホロスコープの講座を受け始めていてその先生とやり取りしている時に、私には「困る」という感覚が分からない、という所があるのではないかということが判明しまして。

一応「困る」の解説等を載せておきます。

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こま・る【困る】 の解説
[動ラ五(四)]

1 ある物事をどう判断・処理してよいかわからず悩む。取り扱いがやっかいで苦しむ。困惑する。もてあます。手を焼く。「返事に―・る」「聞き分けがなくて―・る」「あいつときたら―・ったもんだ」

2 つらいことにあって苦しむ。難儀する。「人手が足りなくて―・っている」「家が狭くて―・る」

3 不都合である。迷惑する。「人に知られては―・る問題」「隣の騒音に―・っている」

4 金や物がなくて生活に苦しむ。困窮する。

「奥さんのような―・った事のない方にゃ…解 (わか) らないでしょうがね」〈漱石・明暗〉

ーーーーーーここまで

 

今の困った問題は、私は結構な遅刻魔で、今の職場にもなんとか朝起きて支度して行ってはいるんですが、段々家を出る時間が遅くなったりして結構ギリギリに会社に着いたりしてるんですけども、その時はなんつーのかすごい反省してたりするんですけど、次の日その時間になっても修正できずにまた同じことを繰り返すということが何度もあって、自分で困ることだと認識してないから、だったのかなぁと思いました。

前にカウンセリングでこうしようという目標を持ってそれで一時期直せたりしてたんですが、気になることがあったりするとほぼ全神経がそちらに向かってしまって、ガタガタになったりしてましたね。

 

あと、困らないように無意識にしている可能性はあるかを聞かれて、後々思いついたのが

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歯医者に2ヶ月に1回は行って歯石を取ってもらっています。
まだ20代の頃に面倒くさくて歯を磨かないでいたら、当たり前ですけど歯をダメにしてしまったことがあります。前歯2本を失ってしまっていて、今はニセモノの歯をブリッジでつけています。ただ学習しただけなのかもしれないけど、前に困ってしまったから今これをしている、という感覚はないですね…。

最初は、歯周病の治療をしてもらっていたんですが、それでも歯を磨く回数を増やすとかいう努力する意識もなくて、その治療も終わって、定期検診のために最初は1ヶ月に1回行っていて、その途中で菌が増えるのは夜寝てる時だから、朝1番で歯を磨いた方がいいという情報を得て、それを実行しています。

ーーーーーーここまで

ということでした…。

 

それで考えたのは、「困る」という感覚はあるんだけど、

>ある物事をどう判断・処理してよいかわからず悩む。取り扱いがやっかいで苦しむ。困惑する。もてあます。手を焼く。つらいことにあって苦しむ。難儀する。 不都合である。迷惑する。

それが「困る」という概念である、ということと全く繋がっていない、というのか結びついていないというのか、そんな感じなのかなと思いました。

 

そんでここまで書いてやっとアダルトチルドレンの話になってくるんですけど、多分父親もこの「困る」という概念が分からないところはあって、子供の時は「困る」ことは許されてなかった感覚があります。

 

自分が育ってきた家庭が、今思い返すと「おままごと」みたいだったなぁって感じる時があります。まぁここまで育ててもらったことへの感謝はありますけど。

一つは、話をしないこと。もう一つは、この「困る」ということが許されてなかったことだったのかなぁと思い至りました。

困った事態が起きても両親ともにそれに対処する力がなかったというのか…解決する手助けができる人たちではなかったというのか、何かが起きても逆に迷惑そうにされるとか、もてあましているのがよく分かるような感じでしたね。

 

母親も時代背景もあって祖父が興した会社で腰掛け的に就職したくらいのお嬢様だったし、結婚してからずっと専業主婦をやっていて愚痴や色々言っていても、いざという時には私の父を頼りにしているところも見受けられましたけど、その父も「困る」感覚が分からないから、なんていうか頼もしそうに見えていただけ、というのか。

 

ちなみに「困る」という概念が分からないとは、私は「体の痛み」とかを認識できないのと同じくらい厄介だなと感じました。

困った事態が全然起きない訳ではないし、何かしんどいつらい感じはあるのにそれがなんなのか分からないから適切な対処ができないのと一緒だからです。

*****

3/30、追加。

そして、上記で書いた自分が育った家庭が「おままごと」みたいだったことのもう一つの要因の“話をしない”ことについて書いていきます。

まあ単純に言うと、両親ともに自分たちが話したい時接したい時だけ話をしてきて、私が話を聞いてほしいということにはほぼほぼ無頓着であった、ということです。

父はほぼ自分の価値観や意見を押しつけることが子どもと話をしているということだと思っている節があるし、母に至っては長年私は愚痴聞き係でしたね。

 

だからというのか何というのか…私は何となく「話をする」ということを信用していない感じがありました。相手に自分のことを知ってもらう理解してもらう方法として信用していないというのか。

以前の記事でこちらのページにリンクを貼らせて頂いたことがあります。

私達は都合よく情報を切り取って、理解したいように解釈している | Books&Apps

 

抜き書きーーーーーー

>相手がみたいように見せてあげる。それがコミュニケーションのお作法である
*****
>相手が自分を気持ち良くみてくれるよう、こちらから整備してしまえばいいのだ。

ーーーーーーここまで

ということを考えると、「話をする」とは、“自分が”相手を知る理解するということであると言えるのではないかと思いました。

私が育ってきた中で全く逆のことだと感じ取ってきたということかなとも考えました。

上記のことが全てではなく、相手に自分のことを知ってもらう理解してもらう場面も時にはあると思うけど、基本的には「話をする」とは“自分が”相手を知る理解することだと思っていた方がいいなと思いました。

 

アダルトチルドレンが再燃してから、久しぶりに谷山浩子さんの曲を色々聴いたり、米津さんの楽曲「Neighbourhood」を聴いたりしてます。

考察動画のサムネイルを見ただけですが、どういった曲かはなんとなく知っていたので、今聴くのにはふさわしいような気がして聴いています。

 別の方のカバーですが、貼っておきます。

youtu.be

終わり。