現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

米津玄師、新曲「PaleBlue」とドラマ「リコカツ」の感想と「ゆめうつつ」の解釈

ゆえのです。

いつも読んで頂いてありがとうございます。

 

金曜ドラマ「リコカツ」で米津玄師が主題歌を担当するということで、リアルタイムで観てました。

youtu.be

最後の方で新曲「PaleBlue」が流れたんですけど、曲が良すぎて…昨日はほとんど使い物にならなくなってました。鬼リピしてましたし、聴いていない時でも頭の中で流れまくっていました。

 

ドラマも見ていて、前半はうーんちょっとわざとらしさ?が見てられなくて、消音にして流してたりしてたんですが、後半になってきてから段々のめり込む感じになってきて、米津さんの楽曲目当てで観ていたのに、いざ流れた時にはえ、ちょっと待って!今はストーリーの方に集中したいんだけど!みたいな感情と、でも曲もちゃんと聴きたいんだけど!という感情で大混乱を起こしていました。

 

いやいや結構面白かったです。

2話目の予告も貼り付けておきます。米津さんの楽曲「PaleBlue」は0:34くらいから流れています。

youtu.be

いやいや、1話目で「PaleBlue」が流れている時も、結構伏線が張られていて、

旦那さんの父親は自分が認めなければ、何も起きない(奥さん“旦那の母親”が出ていくとかなくいつも通りとか)と思っていたんだろうなぁ、家族4人の食事の時にあれだけはっきり宣言されていたにも関わらずとか、

嫁の母親がレディースクリニックからの書類を見て顔を曇らせていたりしているので、後々病気とかが発覚したりするのかなぁとか、

色々予想したりしてました。

 

そんで、米津玄師の楽曲とドラマのタイアップをリアルタイムで聴くのは、完全に今回が初めてなんですけど、色々調べてみて「PaleBlue」を台詞とか無しフルに聴けるのって約1ヶ月くらい先のようで…なんか凄いがっくりしています_| ̄|○

仕方ないので…録画したドラマから「PaleBlue」の所を録音して聴いています。

 

 

そういえば、1月からnews zeroで流れている「ゆめうつつ」の方もだいぶ公開されてきたけど、未だフル解禁になっている訳ではなく、MVも配信されておらずで、まだ全容は分かっていないんですよねー。どうなってんの?って感じですけども。

 

yuki637.hatenablog.com

一応今分かっている歌詞はこんな感じです。

ーーーーーー

間抜けな惑星に住み着いた羊の群れ

風と花と鳥に開かれた 瀟洒な宇宙船
何かを探し何かを 見捨てるアドバルーン
わたしは何処にいるんだろう

眩い光に絶えず 誘われている
零れ落ちた羊は まだ夢を見る
どうせわたしも 風になり消える
ならば 今夜くらいは

声が出せるような喜びが
君に宿り続けますように
革命家の野次も届きはしない
夜の淵で踊りましょう

君が望むなら その歌は
誰かの夢に繋がるだろう
あんな人には解らない
物語の裏 隠れたままそれじゃ
また明日

ゆめうつつで生きていく 一つずつ愛し合う
躊躇わず渡っていく 君の元へ
やるせなくて嫌んなる 面影は遠くなる
疲れたら言ってよ 話をしよう

Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kenshi-yonezu/yume-utsutsu/

ーーーーーーここまで

上の記事で、

>眩い光に絶えず 誘われている

以降の歌詞の内容は少し考察しているので、今頃ですが、

 

>間抜けな惑星に住み着いた羊の群れ

>風と花と鳥に開かれた 瀟洒な宇宙船
>何かを探し何かを 見捨てるアドバルーン
>わたしは何処にいるんだろう

の部分を考察していこうと思います。

 

“間抜け”かどうかは置いといて、“惑星”を地球とするなら、

>風と花と鳥に開かれた 瀟洒な宇宙船

の“瀟洒な宇宙船”とは「月」のことなのだろうと思いました。そうすると「花鳥風月」が揃うからです。

ちなみに瀟洒(しょうしゃ)の意味は、

すっきりとあか抜けしているさま。俗っぽくなくしゃれているさま。 

です。

 

そして、

>何かを探し何かを 見捨てるアドバルーン

とは、現代の「資本主義」のことを指しているのかなぁと推測しました。「アドバルーン」はほぼ宣伝広告だろうし、それが

>何かを探し何かを見捨てる

というのは、その宣伝しているものを買ってくれる人を「探し」別に欲しくない人や購買対象として該当しない人は「見捨てる」ということになるんだろうと思うからです。

そして、

風と花と鳥に開かれた 瀟洒な宇宙船=ゆめ(夢)
何かを探し何かを 見捨てるアドバルーン=うつつ(現実)

という対比になっているのだろうと思いました。同じように丸いし、宙に浮かんでいるものですしね。

 

>ゆめうつつで生きていく 一つずつ愛し合う
>躊躇わず渡っていく 君の元へ
>やるせなくて嫌んなる 面影は遠くなる
>疲れたら言ってよ 話をしよう

その夢と現実を行き来する、その往復をすることを「愛し合う」と表していて、ここで出てくる「君」とは、自分とは違うある意味“対岸”にいる“夢”を表しているような人で、そういう人の「元へ渡って行く」ことで、「やるせなくて嫌んなる面影(現実)は遠くなる」ということを指しているのだろうと思いました。

まぁそのままなんですけど。私の解釈は割といつもそのままに解釈するんですが。

ホントに、ここの歌詞の部分の範囲でしか解釈してないので、その前の「君」との辻褄が合わなくなってきている気がしてきました。やっぱなんか部分的にやるとダメだなぁ。

 

全容が分かってないのでアレなんですけど、これって2番なのかな。Cメロが>ゆめうつつで生きていく〜、になるんでしょうし…。

もう4ヶ月経ってるんですけどー、まーだー?みたいな感じでほぼ焦れてきていますが。今回の新曲「PaleBlue」と同時に出すのかなとか思って、とりあえず…楽しみに待ちたいと思います。

終わり。