現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

【閲覧注意】インナーチャイルドの軸を見つけてしまったかも2

11/1、ジェラートの感想を追加。

ごきげんよう、ゆえのです。

いつも読んで頂いてありがとうございます。

 

前回書いたことの続きというか分析というかそれを書いていきます。

小学校低学年か中学年くらいの頃、異常に母の容姿を褒めてた?時期があったことを思い出しました。今考えると媚びていたんですけど、当時はそんなこと分からなくて。

笑顔になって欲しかったり愛されたりしたかったんだと思うんですけど、当然のことながら下卑た笑いというか意地の悪い笑顔しか返ってこなくて。

それで、というか他にも色々あったかもしれないけど自分の能力を全否定してしまったような気がします。自分ではダメなんだと、母さえも笑顔にしてあげられないんだとか思い込んでしまったんだと思います。

(母の容姿は一般的に見ると多分普通で、そこから自分の容姿も人様の容姿に対して何か意見?とか文句とか感想とか言えるようなものではないっていう考えになっていったのかもしれないけど。でもそれだと容姿に秀でている人は人の容姿にも何か言えるような立場になれるとかいう理屈になってしまう気もするんですけど、そーゆーことではなくて…うーん難しい)

 

それが思春期頃になって、自分の能力を発揮して役に立つことが利用されるとかハイエナのようにたかられるように感じたりしてこじらせていったのかもしれないなと思いました。反抗期、自分はないと思ってたんですけどこれが反抗期だったのかもしれないと考えました。

 

そんでこれを更にこじらせて潜在意識面からの自殺行動にまで発展していったんですがね。ブログの前の方でも書いた気がするんですけど、ちょつ探し出す気力がないので割愛します。

 

ツインレイ関連の記事を読んでいて、「ツインレイ男性の孤独を癒せる、助けられるのはツインレイ女性である貴女だけ」とかいう言葉を読んだりするんですけど、

私の場合、この時の母を助けられなかったという思いが「自分にしか助けられない人がいる」らしいことを知ることで、そっちに向いてしまっている所があるような気がしています。

なんて甘美な響きなんだろう、もうツインレイとか運命の相手とかどうでもいいや、とか思って仕事していたら使っていた機械が壊れてしまったりしてて、エネルギー的にあんまりよろしくなかったかもしれないとも思いました。

前の方の記事で、ツインレイを利用するというような言葉も書きましたが、あくまでツインレイの概念を利用しようとしてただけで、ツインレイのお相手本人を、ということではないです。

 

星野源のこちらのインタビューなども読んで、

「歌うことは人生最大の恐怖だった」 怖さを乗り越え自己肯定力を手にした星野源の決断(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

「自分の力で自己肯定力を手に入れた。」という言葉も自分に響いて、やっぱり自分の力で超えていくものなんだなと思い直しています。

なんかまとまりがなくなってきたけども。

終わり。

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11/1

今ごろですが、米津玄師のジェラートが10/23に届いていまして、だいぶ寒くなってきたけど暖かい日に少しずつ食べていってやっと一通り食べたので感想を書いておきます。

 

どれも美味しかったですが1番好きな味は「ゆめうつつ」でした。元々ミルク味系が好きなので。

楽曲を聴きながら食べたりしたのですがなんていうか面白かったです。こういう風に五感の感覚を繋げてみるっていうのは初めてだったからかもしれません。

以上、感想でした。