現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

マンガ「その着せ替え人形は恋をする」の紹介と心の癖の気づき

ごきげんよう、ゆえのです。

いつも読んで頂いてありがとうございます。

 

本日2回目の更新です。

最近ハマった漫画を紹介します。

「その着せ替え人形(ビスク・ドール)は恋をする」です!

時々弟が買ってくる掲載雑誌て前々から知ってはいたんですけどコミックを買うまではいってなくて、最近AmazonKindle Unlimitedで一巻が入っているのを見つけて読んでみたら、その後全巻買ってしまうくらいにどハマりしました!

 

話の概要は、表紙の女の子がコスプレをしたいんだけどうまく洋服が作れないので主人公の男の子にお願いして作ってもらうというようなお話です。

男の子は雛人形の頭を作る技術士?を目指しているんですけどトラウマがあって、女の子の「好き」を形にしたいっ!っていう原動力や行動力に救われていくっていう感じで、結構そこのところが泣けたり女の子の行動力に見合わない不器用さとかに笑えたりもして、かなり面白く読めました。

掲載誌が大人向けコミックなので結構エロいところもあるんですけど…まぁそれはそれということで。

 

コスプレ用の洋服を作るっていうのも自分が20代前半の頃コミックマーケットっていう同人誌即売会に買いに行ってたこともあるので、興味深く読ませて頂きました。コスプレもやってみたかったけどやる勇気も気力もなかったもんでこういう漫画を読んで擬似体験できるって良いなぁとか思いました(笑)

 

絵も可愛いし、上手いと思うし、最新巻では学校の文化祭で女の子が男装をするんですけど、文化祭だけど真剣にやるということで、両者共に目が据わる瞬間があって、かなり胸アツでした。

 

 

その読んでいく中で自分の心の癖に気づくことがあって、それを書いていこうと思います。ちょっと要【閲覧注意】案件かなと思うので、一応書いておきます。

 

7巻で下記のようなシーンがありました。

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必要な所しか撮っていないので実際にはこのコマつながりではありません。

 

自分が気になったのは、

「特別感がいいんだよね〜」

「自分だけが特別に扱われているから」

の部分。

 

前にTwitterで、ちょっとリンク張れないんだけど、

ーーーーーー

「私にとって貴方は特別に大切な人です」「私にとっても同じです」

というやりとりから得られるものはとても大きくて、でもそれは別に恋愛や結婚である必要はない。ペットと飼い主、友人同士などでもいい。本来なら親子間でまず築かれるその関係が得られなかった人でも、あとの人生で得ることは可能だ。

※※※※※※※

難しいのは、そのやりとりを継続して続けやりとりへの満足感をキープし続けることの方で、それは時に「誠意」や「優しさ」と呼ばれる。一瞬だけ確認しあって満足できても、それを末長く続けて確認し合うのはとても難しい。「確認できない」「やりとりが続いていない」はそのまま関係性への不満となる。

ーーーーーーここまで

というツイートを読んだことがあって、上記と合わせて考えたんだけど、たぶん私は「特別に扱われる」という感覚がよく分からないでいるんじゃないかなということ。

 

両親と「私にとって貴方は特別に大切な人です」「私にとっても同じです」という感覚的なやりとりをした覚えがない、感じがするんですよね、何となく。

母とは確実にした覚えはなくて(占星術的に言うとこれかな?って思う理由があるんですけどそれは占星術ブログで書きます)

父とも、、何て言うんだろうな、前者を投げつけられて後者を私が返すことを別に期待されてこなかったような感じしかなくて、やりとりなんてものじゃなかった気がします。

 

なので、ツインレイのお相手に関しても、過去から現在の時間軸をかけて「私にとって貴方は特別に大切な人です」ということを伝えられても、最初は戸惑ったけど最近は「私にとっても同じです」ということを返すことができていると思うんだけど、その一往復で終了してしまうというのか、、。

 

相手から現在進行形でそれを伝えられても、私は過去から現在の時間軸で捉えてしまっていて「ああそうだよね、うんありがとうございます」が枕詞に必ず付いていて、私が応えた「私にとっても同じです」の答えとして、またサイクルが開始されていることに気がつかないでいた、というのか。

 

相手は"現在進行形"で伝えてくれていることを、私は過去から現在の時間軸で捉えていることで、やりとりを継続して確認しあっているようで実は絶妙に食い違っていることに気がつきました。

 

だからというのか、漫画で読んでいた「特別感」や「特別に扱われている」ということが理解できていなくて、実際相手からそういう風に扱われることに対して、戸惑いとか違和感を感じていたんですけど、受け取っているようで受け取れていなかったんだなということに気づきました。

 

そういう風に「やりとりへの満足感」というものを自覚するにつれて、本当は両親からそういうものをもらいたかったことと、もらえなくて寂しかったことに気がついて昨日とか号泣してたんですげも。

 

今までなくて当たり前だったから、これからもなくていい訳じゃないのに無意識のうちになくていいものになってたなと気がついて、ホントにツインレイのお相手には感謝だなと思いました。

終わり。