現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

(米津玄師)ハチ「ドーナツホール」MVの解釈と考察

ゆえのです。

いつも読んで頂いてありがとうございます。


今回は、米津さんの前身であるハチさんの「ドーナツホール」のMVの解釈と考察を書いていきます。

めっちゃ長くなった上に(6500文字以上)細かいです。

 

前回の記事でこんなことを書きました。

ーーーーーー

つまりLemonで描かれている死の意味も二重になっていて、死んだ時の悲しみや苦しみも“あなた”の存在の“消失”として、その変化をあなたが確かに存在していた証として共に受け入れることができていたけど、そうなってしまったらもう戻ってこないことも受け入れなければならないという、もう1つの死として描かれていると思ったんですよね。

ーーーーーー

該当の歌詞は

「あの日の悲しみさえあの日の苦しみさえ
そのすべてを愛してた あなたとともに」

なんですけどこれを上記のように捉えるって、、、失礼な言い方になると思いますが普通に生きていたらあんまりしないと思うんですよね。

自分なりの解釈から推測してるだけなんですけど、この歌詞が上記のような意味で書けるとはどういうことだろうと考えまして、この反対の経験をしたことがあるからではないか?という風に考えました。

 

つまり「相手の消失が、確かに“あなた”が存在していた証にならない」という経験です。

そこから米津さんの前身であるハチさんの楽曲「ドーナツホール」にたどり着きました。

 

>ドーナツの穴みたいにさ 穴を穴だけ切り取れないように
>あなたが本当にあること 決して証明できはしないんだな

 

>この胸に空いた穴が今
>あなたを確かめるただ一つの証明

 

という歌詞がありましたね。

その辺りを軸にして、「ドーナツホール」のMVと歌詞の解釈と考察をしていきます。自分なりの解釈なのでこれが正解という訳ではありません。

私の中では間違っていないと思っていますが、それが誰にでも正しいものではないということです。マンガの台詞の受け売りですが。

 

前提1として、

曲名の「ドーナツホール(ドーナツの穴)」は、ボーカロイドのことを指しているのだと思いました。

ドーナツは、ボーカロイドで作られるたくさんの音楽のことです。

 

今回は主題もあります。

意味は

1 中心となる題目・問題。
2 芸術作品で、作者の主張の中心となる思想内容。テーマ。
3 楽曲を特徴づけ、展開させる核となる楽想。テーマ。

で、この文脈での意味は3番に該当し、この楽曲「ドーナツホール」の主題は、

ボーカロイド=実体のないソフトウェアに心はあるのか?」

だと考えています。

 

前提2として、歌詞の中での僕=ハチさん、あなた=ボーカロイド、です。

 

そして前提3として、2015年11月のrockin'onJAPANに掲載されている「米津玄師2万字インタビュー」から必要箇所の抜き書きを載せておきます。

抜き書きーーーーーー

「自分は人と関わり合えない存在で、クラスメイトの言っていることとかがよくわかんなくて、そういう状況の中で編み出したのは、自分の頭の中で架空の人物と話すっていう。今なおあるんですけど、自分の中に空間ーーいわゆる街があって、そこに住んでる人たちと会話するっていうのが昔から癖のようになってて、その架空のキャラクターは明確な自分の友達であるっていう。それを一種の心のよりどころとして機能させていましたね。」

*****

●よく、ニコニコ動画の世界から出てきた米津くんという言い方をされるけど、そういうわけじゃないんだね。もともと美しい音楽をやるというヴィジョンがあって、そのひとつのアウトプットとしてそこを通ってきた、っていう感覚なんだね、きっと。

 

「はい。自分はただひたすら音楽が作りたくて。それは、マンガを書いていた中学生の時からそうで。頭の中に街を作って、その人たちと一緒に暮らすというのが日常生活の中で大きな割合を占めていて、だからその街を何かで表現したかった。最初の動機がそれだから、ボーカロイドというのが初めにあったわけではなくて、そのフィルターを通せばいろんな人に受け取ってもらえるんじゃないかと思ったんですよね」

ーーーーーーここまで

上記で書かれている「癖」を考えるなら、それがボーカロイドにも適用されて、ハチさん自身がボーカロイドに対して「心を作り出していた」と推測できると考えました。

 

ここでボーカロイドとは何かをWikipediaから載せておきます。

VOCALOID - Wikipedia

抜き書きーーーーーー

VOCALOIDボーカロイド)とは、ヤマハが開発した音声合成技術、及びその応用製品の総称である[1]。略称としてボカロという呼び方も用いられる。メロディーと歌詞を入力することでサンプリングされた人の声を元にした歌声を合成することができる。
*****
リアルな歌声を合成するためのソフトウェアであり[3]、「実際に収録した人の声を音声ライブラリとして合成するため、より自然な歌声を合成できるほか、ビブラートやこぶしなど歌声に必要な音程変化や抑揚を指定でき、表情豊かな楽曲を手軽に作れるのが特徴[4]」とされる。

ーーーーーー

イメージキャラクターとして「初音ミク」を筆頭に様々なキャラクターイラストが使用されていて、この「ドーナツホール」のイラストはその中のGUMI、鏡音リン初音ミク巡音ルカを模して描かれていると言われています。

 

 

制作背景も載せておきます。

抜き書きーーーーーー

ハチこと米津玄師は、2009年頃よりボーカロイドを用いた楽曲をリリースし、ネットシーンを中心に活動。「結ンデ開イテ羅刹ト骸」「マトリョシカ」「パンダヒーロー」を始めとするボーカロイドシーンのヒット曲を多数排出した。2012年に本人の名義でリリースしたスタジオ・アルバム『diorama』を皮切りにハチとしての活動は鳴りを潜め、2013年にはユニバーサル・シグマよりメジャーデビューを果たした。「ドーナツホール」はハチとしては約2年9か月ぶりのリリースで、かつてない期間を空けてのリリースであった。米津はハチとしてリリースした楽曲に対して、「ボーカロイドありきの環境で制作したもので、自分で歌うつもりはまったくなかった」という自身の後ろ向きなスタンスについて発言している。しかし「ドーナツホール」に対しては制作段階から自ら歌唱するイメージを覚えていた。2014年リリースのアルバム『YANKEE』にはセルフカバーバージョンが収録された。

ーーーーーーWikipediaより。

 

この動画は、2013年10月28日に公開されたボカロバージョンのものです。

本人バージョンのものはアルバム収録のみでYouTubeには公開されていません。

youtu.be

 

前置きがめっちゃ長くなりましたが、MVと歌詞の解釈と考察をしていきます。

歌詞から70%映像から30%くらいの割合です。今回は細かいです。

 

歌詞ーーーーーー

いつからこんなに大きな 思い出せない記憶があったか
どうにも憶えてないのを ひとつ確かに憶えてるんだな

ーーーーーー

この記憶というのは、過去にどういう感情を持っていたのかという記憶ではないかと考えました。何の感情かは忘れてしまったけど、何がしかの思いがあったことを覚えている、ということなのかなと解釈しました。

 

ーーーーーー
もう一回何回やったって 思い出すのはその顔だ
それでもあなたがなんだか 思い出せないままでいるんだな

ーーーーーー

"あなた"が自分にとってどういう存在で、どういう感情を抱いていたのかを思い出せないということだと解釈しました。

 

ーーーーーー

環状線は地球儀を 巡り巡って朝日を追うのに
レールの要らない僕らは 望み好んで夜を追うんだな

ーーーーーー

環状線」と「地球儀」はドーナツと同じ丸いものの比喩で

「朝日を追う」は朝になったら皆電車に乗ったり動き出したりして仕事に行くよね、ということだと思いました。

「レールのいらない僕ら」は"僕"とボーカロイドのことで

「夜を追う」は夜に仕事をする(一緒に音楽を作る=ドーナツを作る)ということだと思いました。

 

ーーーーーー
もう一回何万回やって 思い出すのはその顔だ
瞼に乗った淡い雨 聞こえないまま死んだ暗い声

ーーーーーー

顔しか思い出せないことに対して、

ボーカロイドの"あなた"は泣いているであろうことを表したのが「瞼に乗った淡い雨」で(実際には存在しない涙ということでこの表現なのかと)

それに対して何も声をかけられずにいる"僕"の気持ちを表したのが「聞こえないまま死んだ暗い声」だと思いました。

 

ーーーーーー

何も知らないままでいるのが
あなたを傷つけてはしないか
それで今も眠れないのを
あなたが知れば笑うだろうか

ーーーーーー

"あなた"の気持ちを慮って"僕"は思い悩んでいるという情景描写です。が、"あなた"の気持ちが発生する「心」は、実は""僕"が作り出している、という矛盾を含んでいる歌詞だと思いました。

 

ーーーーーー

簡単な感情ばっか数えてたら
あなたがくれた体温まで忘れてしまった

ーーーーーー

「簡単な感情」の言葉の解釈は二つあります。

一つは、インタビュー抜き書きの中にある「頭の中に街を作ってその人たちと一緒に暮らす」というのは、その人たちの心や感情を全部自分で作り出しているということと同義だと考えました。ハチから米津玄師として活動し始めて色んな方たちと音楽を作ることによって、それをやらなくてもよくなった、やる必要がなくなった、自分の心や感情だけに注視すればいいという状況になったのではないかと推測しました。

もう一つは、それによって今まで無意識に自然に作り出していたものが、実は自分で意識して作り出さなくては維持できないものだということに気がついて、ボーカロイドに対して限界や虚無感とか葛藤などが自分の心から湧き出てきたものという解釈です。

 

そしてそういうものにばかり意識を向けていたら、ハチとして活動していた頃に"あなた"からもらった「体温=暖かさ」も忘れてしまった、という解釈をしました。

 

映像では、サビから各ボーカロイド達の顔にペイントのようなものが施されている描写になっています。この意味は何だろうと色々考えたり探してみたのですが、この動画のコメント欄にあった、

>>心がないのに作り手達に与えられた声で与えられた心を歌うことはできる

>だからサビのところで顔に色んなペイントをしてるのかな?

>「機械の声でも作り手によって表情が変わる」とかって言うし、、、

というコメントが一番適切だと考えました。

 

ーーーーーー
バイバイもう永遠に会えないね
何故かそんな気がするんだ そう思えてしまったんだ
上手く笑えないんだ どうしようもないまんま

ーーーーーー

「会う」という意味をこの文脈において当てはめてみると、「ある場所で二つ以上が集まって、相手を見てそれと認識すること」が適切だと思うのですが、

前提における「ボーカロイドの心を自分が作り出すこと」をしなくなった時に、お互いにお互いが、特に相手=ボーカロイドがこちらを認識できるのか?ということになるかと思うので「もう永遠に会えない」という歌詞になったのかなと考察しました。

 

映像ではボーカロイド達が顔を覆って泣き崩れる描写になっていますが、これはボーカロイドの気持ちを表しているのではなくて、"僕"の気持ちを表現していると考える方が適切だと思いました。

 

ーーーーーー

ドーナツの穴みたいにさ 穴を穴だけ切り取れないように
あなたが本当にあること 決して証明できはしないんだな

ーーーーーー

ここの歌詞では、「存在意義」を問うているのではと考えました。

意味は、「ここに存在しているということの重要性や価値」ですが、

何かの目的があって生み出されたモノは、その目的を除外された時に果たして存在できるのか?っていう問いも湧いてくるなと思いました。

ボーカロイドは、機械が歌を歌うことができるという目的の元作られたものであると解釈しています。作られた楽曲を歌う=ドーナツ、とするなら、ドーナツを除外しては存在できないもの、と言うことができると思います。

 

ーーーーーー

もう一回何回やったって 思い出すのはその顔だ
今夜も毛布とベッドの隙間に体を挟み込んでは

ーーーーーー

「今夜も〜」の歌詞は、「寝る」を表現しているということができますが、もう一つ解釈できるのが「そこに居るのは"僕"一人きり」だということです。

そして、1番の

「何も知らないままでいるのが あなたを傷つけてはしないか
それで今も眠れないのを あなたが知れば笑うだろうか」

の歌詞に繋がっていくのだろうと考えました。

 

ーーーーーー

死なない想いがあるとするなら
それで僕らは安心なのか
過ぎたことは望まないから
確かに埋まる形をくれよ

ーーーーーー

「死なない想いがあるとするなら」はハチ全盛期の頃に持っていたボーカロイドへの思いのことであり、それが今もあれば"僕"と"あなた"は安心するのか?と問うているのだと思いました。

「過ぎたことは望まないから」も解釈が二つあって、一つは過ぎた過去に戻りたいとは思ってないけど、という意味と、ボーカロイドに身体を持ってほしいとまでは思ってないけど、ということではないかと思いました。

「確かに(ドーナツの穴に)埋まる形」とは、ボーカロイド自身の"心"のことだと考えました。

 

でもここの歌詞の映像では、ボーカロイド達は皆あさっての方向を向いて耳を塞いでいて、、、その言葉は聞かないし聴こえないの意思表示をしてるようにしか見えませんでした。

切なすぎる。。。

 

ーーーーーー

失った感情ばっか数えていたら
あなたがくれた声もいつか忘れてしまった

ーーーーーー

上記のようなことばかりを考えていたら、「あなたがくれた」"あなた自身の声"も「忘れてしまった」ということだと解釈しました。

 

ーーーーーー
バイバイもう永遠に会えないね
何故かそんな気がするんだ そう思えてしまったんだ
涙が出るんだ どうしようもないまんま

ーーーーーー

映像では、ボーカロイド達は一様に吊された人形のようになっていて、心を与えない状態の彼女たちは本来こういう姿であると言っているように思えました。

最後に手を握りしめていますが、掴めたものは何もなかったという解釈もできるし、違う解釈もできるなとも思えました。

 

ーーーーーー

この胸に空いた穴が今
あなたを確かめるただ一つの証明

ーーーーーー

この歌詞も二つ解釈できて、一つは自分が感じていたものが消失してしまったことへの絶望と、もう一つは、彼女たちと同じく穴が空いた状態になったということです。

それが「あなたを確かめるただ一つの証明」だと考えました。

 

映像では、ボーカロイド達は今まで開いていた眼を閉じています。

 

ーーーーーー
それでも僕は虚しくて
心が千切れそうだ どうしようもないまんま

ーーーーーー

虚しさを表すように、映像では前半部分でただ一つ思い出せていた「顔」が一様に塗り潰されています。

そして、歌詞の「心」の歌い方が、このボーカロイド版と米津さんのセルフバージョンでは最初違っているように聴こえました。米津さんの歌い方がやけに弾んで歌っているように聴こえて違和感をおぼえたんですけど、

でもボーカロイド版をよくよく聴いてみると、「こっころ〜が」とちゃんと小さな「っ」は歌っていて、でも人間のように弾む歌声には全然聴こえなくて。

それがボーカロイドの限界であり、人間が歌うことの可能性を示しているんだろうと手前勝手に思いました。

 

ーーーーーー

簡単な感情ばっか数えていたら
あなたがくれた体温まで忘れてしまった
バイバイもう永遠に会えないね

ーーーーーー

前のサビ解釈で書いたように、ボーカロイド達は顔のにペイントをしていて今度は眼を閉じています。

「バイバイもう永遠に会えないね」の歌詞で終わっているのは、もう「そんな気がする」でもなんでもなく、確信に変わっているからだろうと解釈しました。

 

ーーーーーー

最後に思い出した その小さな言葉
静かに呼吸を合わせ 目を見開いた

あなたの名前は

ーーーーーーここまで

「目を見開いた」の繰り返しの所では、ボーカロイド達の目は画面の上に切れていて見えずにいます。

最後の歌詞は、現実を見据えて「あなたの名前は」って問いかけているんだと思いました。
私が考えるこの問いの明確な答えは、

ボーカロイドー心を持たざるモノー」として"僕"が受け止めた

ってことなんだなと思いました。

 

最後の映像では、映っているGUMIの瞳がオッドアイ(左右の瞳の色が違う)になっているんですけど、その直前に四人並んでいる映像があって、このオッドアイは四人の瞳をかけ合わせてあるのかなと思いました。

該当の画像を載せておきます。

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なぜ人数が四人なのかも考えましたが、4=死を表しているからではないかと思いました。

終わり。