9/6、このMVの表現が「男女の恋愛」で狭まっているということについて自分の見解を追加。
9/13、少し言葉を編集。
ごきげんよう、ゆえのです。
読んで頂いてありがとうございます。
さてー、本日の更新第二段ですが、8/23の0時にまた突然公開された「がらくた」MVの感想とちょっと色々とがんばって…解釈と考察を書いていこうと思います。内容についての考察ではありません。
すでに色々なところで色々賛否両論が交わされているのを見ました。
私も例に漏れず、初見で(んん?うーーーーーーん…)と感じた勢です。
予告動画もあったので公開されるまではそれを見てたんですけど、米津さんが歌っているところの背景って“病院”かなぁ?とか思ったりしてました。
歌詞の内容を分かりやすく目に見える形で描写するなら、病院関係はマストだろうと思っていたからです。
ところが蓋をあけてみたら全然違ってて、そこでんん?ってなりました。
ついでに書くと、“マイノリティ”の発達障害関連を分かりやすく描くなら、職場や学校等で人間関係がうまくいかない描写や家庭でぎこちなく居る描写など、目に見える形ならそういったものが来るのかなと考えていたんですけど、そういうのも一切なく。
MVから考えるなら、女の人が神経質症な不安定な感じに見えたし、性的マイノリティならちょっとボーイッシュな服装をしているところがあるからそれなのかなと思ったりもしたんですけど、他のシーンではそんなにボーイッシュっぽくしてなくない?なんか普通に女性が着る服を普通に着てて、ボーイッシュっぽく見せてるのって該当する歌詞のところだけだったりして…そういう描写を意図的に避けているのかもしれないなと思いました。
男性の方も普通の人のようにしか見えないし、確かに内面的なマイノリティは隠されてしまえば傍目から見たら全然分からないし何とも言えないんですけど、でもこれは「MV」だし、表現されていないのならそれは存在しないものと思うしかないので、見る限りそういった要素は私には全く感じられませんでした。
イチャイチャのシーンと喧嘩というか険悪な雰囲気の場面の繰り返しで、最後の場面もどこから繋がったシーンなのか全然分からないし。そもそもこれにストーリー、起承転結ってある?とか色々思いました。
制作された方々や出演された方々には本当に大変申し訳ないんですけど、米津さんのMVの中で1番の駄作だなと思わざるを得なくて…え、何?「がらくた」のタイトルの通り“がらくた”みたいなMVってワケなの?とも思いました。
がらくたの意味をWikipediaで見ると、
一般的に使い道のない、役に立たないもののこと。値打ちのない雑多な品物や道具類などをいう。
とありまして、もし上記を意図して作ったのだとしたらその意味とは?ということを考えました。
そして思ったのは、前の前の記事にも少し書きましたけど「二人はがらくた」とか「壊れていてもかまわない」とかって、あまりにも強すぎるんですよね。言葉の意味として。
“がらくた”本来の意味を歪ませてしまうくらいに。
これを米津さんが歌ってくれていることで救われたり癒されたりしている人たちには大変申し訳ないんですけど「がらくたでも構わない」→「がらくたでもいい」→「がらくたって良いもんだ」「がらくたが良い」みたいな変換が為されないかな、その危険が伴いそうだなって考えたりしました。
そして、この曲では全面的に「がらくたでもいい」と言っているわけではないんですよね。最後のサビのところで「どこにもなかったねと “また”笑ってくれよ」と歌っているのですが、これは「あなたがずっと壊れていても 2度と戻りはしなくても」に対して“絶望”してる歌詞だと感じました。
つまり、「がらくたでも構わない」というのは、願っても願っても願っても願っても願っても願っても願っても願っても、叶わないから選ばざるを得なかったという最終選択肢にしか過ぎないのだと思いました。そうするしかなかったという覚悟の上で言っている言葉だと感じました。
本当は、そんなのない方がいい。
実をいうと同じような意味を持つセリフが映画の中にもあったんですけど…。
この言葉に救われたり癒されたりしてる人を傷つける意図は微塵もないんですけど、結局“がらくた”じゃダメだってことを言っているんじゃないのかなと思いました。
米津さんがインタビューなどで言っていることとは真逆なので、そんなの嘘だって思ってもらっても構わないです。私なりの解釈と考察なので。
そして、歌詞の
「唇を噛んで滲んだ血が流れていく
嫌いだ全部 嫌いだ」
の部分は、「がらくたでも構わない」と心の底から思えない“僕”自身も含まれているのではないかと考えました。
“がらくた”みたいなMVを作ったことで酷評されているでしょう?賞賛している人もいますが、まあそれはそれで。
「がらくたでも構わない」と歌詞では歌い、“がらくた”みたいなMVを作って「それじゃダメだ」と世間が思うことで、「がらくた」という言葉の両義性を表現しているのだと考えました。
映画に絡めて考えるなら、舞台となっているショッピングサイトの上層部もある意味壊れている、“がらくた”とも言えるし、そもそも関わる全ての人を幸せにできないシステムも“がらくた”と言えるのかもしれない。本来の意味からずいぶん拡大解釈してしまいましたが、そんなことを考えたりしました。
あと自分の感覚の問題なんですけど、MVが「男女の恋愛」に狭めているという意見に関して、あんまりそういう風に捉えることができていない側面が自分にはあります。ノンバイナリー的というか、あんまり「男性」「女性」といった枠組みに当てはめて見ていないので、そういったところでモヤモヤされている方もいるとは思うんですが、そういった観点からは見ることが私自身できていないので、その辺りのことは省かせていただきます。ご了承ください。
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9/6、もう少し具体的に書いてみます。
私自身は、MVが「男女の恋愛」にしてあることで、この楽曲の表現が狭まったとは微塵も思っていません。
それはなぜなのかを自分で深掘りしてみたんですが、「男女の恋愛」はあらゆる関係性を内包している、大元になると考えているからだと思いました。
理由は、話が大きくなるんですが歴史で人類が誕生してから今日まで「男女の恋愛(性愛)」無くして生まれてきた人は誰もいないし、あらゆる関係性はまず「あなた」と「わたし」から始まっていて、その誰かが存在しないことには関係も何もないと思っているからです。そしてその誰かが誕生するには「男女の恋愛」が必ず必要であるから、普通だけど“普遍”なのだと考えています。
そういった点から見ると、あらゆる関係性は「男女の恋愛」から始まっていると思うので、全ての関係性を内包している、大元になっていると言えるのではないかと思います。
老若男女問わず、男性同士でも女性同士でも男(女)女(男)関係でも、“人間関係”として捉えているのだと思いました。
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解釈と考察は以上です。
終わり。。