ごきげんよう、ゆえのです。
読んで頂いてありがとうございます。
今ごろですが、8/21に発売されたアルバム「LOST CORNER」映像盤に付いている『ライブツアー空想』のDVDをようやく見始めました。ライブ申し込み期間に見ちゃうとやっぱ行きたくなるのでちょっと寝かせておいた感じです。
まだ全部は見てないんですけど…観た楽曲の感想を書いていこうと思います。
まず、アルバム「LOST CORNER」の最後の曲にもなっている「おはよう」
発売前はどんな楽曲かと思っていましたが、蓋を開けてみたらその正体は、ライブツアー「空想」で最初と最後にかかっていたSEを元にしたインストゥルメンタルで、ライブに行った方々のざわつきが凄かったのを覚えています。
一応アルバムで先に聴いてはいたんですけど…DVDで観てからすっごい思うんですが、これ「ETA」の続き…だよね?と。
なんていうかこの「おはよう」を聴いた後にすごい「ETA」を聴きたくなってたんですよね。
(前に「ETA」の歌詞解釈と考察を書いたことがあるんですが、簡単に書くと“闇落ち曲だよね”的なことを書いたんですけど、米津さん本人がインタビューかなんかで“暗すぎるからやめようと思った”というようなことを書かれていて、ちょっとこれは置いておくのマズいかなと思って引っ込めたので今は載せていないです)
そんで、最後の歌詞のところ「Wake up」を何回も繰り返してその後に「Good night」を繰り返し歌っているんですけど、私の耳には「Good night」と交互になるように「Wake up」を被せてあるように聴こえるということも書いたりしたんですけど(偶数回の「Good night」が少し聴き取りにくい気がする、という程度のものですが)
伝え聞くところによると、ライブツアー「変身」のエンディングで「ETA」が流れていたという話も聞いているので、…「おはよう」を「ETA」の続きとして捉えるなら…何が起きた(目を覚ました)んだろ〜((((^^;)ということをちょっと思ったりしました。な〜んてまあ私の憶測にしか過ぎませんが(笑)
そして一曲目「カムパネルラ」
いやぁ〜エグいですねぇ。なんていうか…米津さんのライブ映像は脊オパで止まっているので…もぉ別人みたいに進化されてるなぁというか、眩しっというか、なんというか…でした。
あと、「迷える羊」「感電」「街」「Décolleté」…「LOSER」「Nighthawks」「ひまわり」「ゴーゴー幽霊船」と観ていきまして、「Décolleté」の色気が凄いってのがあんまりよく分からなかったりしたのと、セトリで知ってはいたんですけど、「ひまわり」から「ゴーゴー幽霊船」の流れが…実際に聴いてみたらまた、エッグいなぁ〜ということを思いました。
そして、「Nighthawks」
間奏でBUMP OF CHICKENの楽曲「天体観測」のギターリフを弾かれている映像も入っていて、初めて見ました。
かなり前になりますけど、Nighthawksの歌詞解釈と考察を書いたことがあったんでした。
米津玄師、楽曲「Nighthawks」歌詞の解釈と考察 - 現実と幻想のはざま(三改)
その時に感じてたんですけど書かなかった、米津さんから観た『天体観測』ってこうだったのかなってことを、今回歌詞の解釈と考察として書いてみようと思います。私の推測に過ぎないし、これが正解とかいうわけではないです。
この歌を、私も知ってはいたんですけど(有名だし)パッと聴いた限りでは、子供の頃に天体観測をした友達と今は離れ離れになってしまったけど、その頃の気持ちを思いだしてまた天体観測をする、その友達も同じ思いでいることを信じて、というような内容なのかなと思っていました。
でも上記の解釈をした時に、米津さんが「天体観測」の楽曲をどう受け止めたのかが分かって、全く解釈が変わりました。分かったといってもつもりになっているだけかもしれないですけど、ライブDVDを観た時に、前からそうしたかったと聞いたこともありましたが「Nighthawks」と「天体観測」がギターリフという形で繋がるのを見て、あながち間違っていなかったのかもしれないなぁと感慨深くなりました。
解釈と考察の軸は「Nighthawks」とほぼ同じです。
「君」の設定は子供で、男の子か女の子かは分からなくて、「Nighthawks」ほどではないかもしれないけど、何らかの病気で入院などをしている子、としています。
「天体観測」歌詞引用 https://j-lyric.net/artist/a000673/l000bea.html
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午前二時 フミキリに 望遠鏡を担いでった
ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい
二分後に君が来た 大袈裟な荷物しょって来た
始めようか 天体観測 ほうき星を探して
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天体観測は、周りに障害物などがないどこか広い場所か建物の屋上でないとできないと思うので、場所を「君」が入院している病院の屋上と解釈しました。
「フミキリ」が全体的にキーワードになっている感じですが、踏み切りが近いところにある病院とか、その病院に行く時はいつも「フミキリ」を通っていくことが印象に残っている、というようなそういう意味でのキーワードではないかと思いました。
状況としては、病院の屋上の鍵は壊れていていつでも入れる状態だったとか、夜中に病院に忍び込んで、君に病室から抜け出してもらって一緒に「天体観測」をしようとした、ということだったのかなと考えました。
そんなこと実際にできるのか?という疑問は色々ありますが、そこら辺はちょっと横に置いといて。
>二分後に君が来た
という歌詞は、一旦病室で合流してはやる気持ちで先に屋上に来てしまった主人公に追いついてきた時間なのかなと考えました。
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深い闇に飲まれないように 精一杯だった
君の震える手を 握ろうとした あの日は
見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ
静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ
明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった
「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけていた
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>深い闇に飲まれないように
というのは、「君」の病気が長丁場になっていて退院するのが難しい状態にあることを指しているのではないかと考えました。
>「イマ」という ほうき星
というのは、今という時間を生きている自分たちやこれからも一緒にいられる保証のようなものなのではないかと思いました。
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気が付けばいつだって ひたすら何か探している
幸せの定義とか 哀しみの置き場とか
生まれたら死ぬまで ずっと探している
さぁ 始めようか 天体観測 ほうき星を探して
今まで見つけたモノは 全部覚えている
君の震える手を 握れなかった痛みも
知らないモノを知ろうとして 望遠鏡を覗き込んだ
暗闇を照らす様な 微かな光 探したよ
そうして知った痛みを 未だに僕は覚えている
「イマ」という ほうき星 今も一人追いかけている
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時間軸としては、一緒に「天体観測」をした日から時間が経っていて、「君」と一緒にはいられない状態になっているのが窺えます。
>気が付けばいつだって ひたすら何か探している
>幸せの定義とか 哀しみの置き場とか
ここの歌詞からは、正直言うとこの楽曲を通して見た時に、「天体観測」をきっかけにして“最悪の事態”が起きてしまったのではないかと推測しました。
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背が伸びるにつれて 伝えたい事も増えてった
宛名の無い手紙も 崩れる程 重なった
僕は元気でいるよ 心配事も少ないよ
ただひとつ 今も思い出すよ
予報外れの雨に打たれて 泣きだしそうな
君の震える手を 握れなかった あの日を
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最悪の事態というのは、この日の雨に打たれたことで、“君”の病状が悪化してしまって「天体観測」のあとこの曲の主人公とは一度も会うことがないまま亡くなってしまったことです。
主人公も同じように雨に打たれたと思いますが、風邪を引いて寝込んでしまったけど回復して、でもその時にはもう“君”はいなくなってしまった、という物語なのかなと思ったりしました。
>君の震える手を 握れなかった あの日を
この歌詞は、雨に打たれて寒さを感じて震えている“君”の手を握って体温を分け与えるというようなそういう行為ができなかった(それだけでは足りなかったかもしれないけど)
または、病気である“君”の体調を気遣えなかった後悔、ではないかと考えました。
>気が付けばいつだって ひたすら何か探している
>幸せの定義とか 哀しみの置き場とか
そして、2番のAメロに戻りますが、上記のことについて誰も主人公を責めなかったのではないかと考えました。まだ子どもだから、とかそれか、仲良くしてくれてありがとうとか言われたのかもしれない。そんなことを思ったりしました。
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見えているモノを 見落として 望遠鏡をまた担いで
静寂と暗闇の帰り道を 駆け抜けた
そうして知った痛みが 未だに僕を支えている
「イマ」という ほうき星 今も一人追いかけている
もう一度君に会おうとして 望遠鏡をまた担いで
前と同じ 午前二時 フミキリまで駆けてくよ
始めようか 天体観測 二分後に君が来なくとも
「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけている
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>もう一度君に会おうとして
ここの歌詞は、今度の「天体観測」の目的が星になってしまった“君”を探すことではないかと考えました。
>「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけている
の歌詞は、星になった“君”も反対側から主人公を観てくれていることを信じて、の言葉ではないかと思いました。
以上です。
終わり。