現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

ホ・オポノポノという手法?を知りました

ごきげんよう、ゆえのです。

読んで頂いてありがとうございます。

 

最近と言ってもちょっと前なんですけど、「ホ・オポノポノ」というネイティブハワイアンの伝統的な考え方を知りました。

やり方としては、簡単に書くと「ありがとう(ございます)」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」の4つを“潜在意識の自分”に向かって唱える、というものです。

ただ大前提とするものがあって、自分に起きている全てのことは、自分自身がつくりだしたものだと、まずは気がつく必要がある、ということです。

 

ホ・オポノポノのWikipediaからの抜粋ですが、

ホ・オポノポノ - Wikipedia

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問題は外部の現実ではなく自分自身であり、全ての責任は自分自身の投影とされ、完全な自己責任の立場に立つ。

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ホ・オポノポノは、自らの記憶に向けて、「どの記憶が問題を引き起こしているのだろうか」と問いかけた後、「ありがとう、ごめんなさい、許して下さい、愛しています」というマントラを繰り返すことで実践される

ーーーーーーここまで

この中で書かれている「記憶」というのがミソで、ここでいう記憶とは、自分で意識できるような「昨日酔っ払って何を言ったか覚えてない」というレベルのものではなく、自分が生まれてから体験してきた全ての記憶や、地球創生から現在に至るまでに存在してきた全生物、動植物から鉱物まで、そのあらゆるものたちが体験した、とてつもなく膨大な“記憶”を指す、らしいんですよ。


なんか話がすごい壮大なことになってしまっているんですけども。そういえばスピ某所にいた時か他の所でかは忘れてしまったんですけど、人間がお腹の中で形成される時、進化の過程を経てきているっていう話を聞いたことがありました。

私は以前このブログ記事に、「肉体は潜在意識が物質化したものだ」と書いたことがあって、それはスピ某所で教えてもらったことなんですけど、それを踏まえるならその“記憶”は肉体にあるということになるのかなと思ったりもしました。

 

ホ・オポノポノ関係の本も買ったんですけど、その本に書かれていた
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全人類に共通している〈記憶〉は私たちの「潜在意識」に貯蔵されている。
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私たちは、同じ〈記憶〉のフィルムによって共通の〈世界〉を創造しているわけだ。そういう意味で、私と、私以外のすべては、まさに「ひとつ」。ものすごくはっきりと、運命共同体だということになる。
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もうなづけるなと、なんか私は思いました。

 

色々調べてみると、唱える言葉は4つでなくてもまとめて「愛しています」だけでもいいらしくて、私は「愛しています、愛しています、愛しています、ありがとうございます」にしています。

なんか「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」「ありがとう」の順番で唱えていたら、「愛しています」が「愛してください」になってしまって…(前の言葉と混ざったw)言葉を考えなくても大丈夫なようにしました。

ちなみにただ機械的に唱えるだけでもいいらしいです。その前に「私の潜在意識の中にある何の記憶が原因で、この問題が起きているのだろう?」と自分に向かって尋ねてからですけど。そしてその“記憶”に対して、言葉を唱えることが肝要みたいです。

上記で“ただ機械的に唱えるだけでもいい”と書きましたけど、最初にしっかりその言葉が向かう先を決めておかないと効かないかもしれないと感じました。

 

あと先週からの従姉妹関連で言うと、従姉妹の状況に対して私ができることが何もないのとそれゆえ?に相談されても困る…っていうのもあって、旅行以前の時、なんとなくLINEを見るのを遅らせたりして避けてしまったりもしてたので、「全ての責任は自分自身の投影とされ、完全な自己責任の立場に立つ」のなら私にできることもあるのかなとも思って、唱えるようにしてたりもします。

終わり。