現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

愛の感覚の精度、愛を感じる精度を上げていきたい

ごきげんよう、ゆえのです。

読んで頂いてありがとうございます。

更新曜日ではないですが、書きたくなったので書いていきます。

ホ・オポノポノと奇跡のコース/奇跡講座をやりたいのかというと、愛の感覚の精度や愛を感じる精度を上げていきたいから、というのも一つの理由なのかなと考えたりしました。

 

愛とは何かを考える時に参考になる文章をまた見つけたので紹介します。

 

抜き書きーーーーーー

エリック・シーガルという人の『ラブストーリー』
という恋愛小説とその映画化が大ヒットしたことがあった。
前にも書いたことがあるが、そのときのキャッチフレーズが

Love is never to say sorry.
というのである。

これを配給会社は「愛とは後悔しないこと」と訳した。
「愛とは後悔しないこと」では、「とにかく後先考えずに情熱に身を任せて突っ走れ」というふうに誰でも理解するだろう。

 

しかし、意味はまったく違うのである。
この台詞は、身分違いの資家の娘と結婚した息子を勘当にした大富豪の父親が、天逝したその娘の葬儀のときに数年ぶりにあった
息子に、お悔やみとともに、「Im sorry」と言うのに対して、息子が顔も見ずに返す言葉なのである。

「もし、あなたが私を愛していたのであれば、あとになって『すまぬ」などと言うような行為をするはずがない。つまり、あなたは息子である私を昔もいまも愛してなどいないのである」という、これは絶縁の言葉なのである。


「愛」というのは、あとで「ごめん」といわねばならないような仕儀に立ち入らないように、一瞬たりとも気を緩めないほどにはりつめた対人関係のことである、ということを私はこのとき学んで、「おおお」と目からウロコを落としたのである。
「愛する」とういうのは「相手の努力で私が快適になる」ような人間関係のことではなく、「私の努力で相手が快適になる」ような人間関係のことなのである。
ーーーーーーここまで

 

実をいうと、そこで“ごめん”て言われてもさーというようなことが前にあって…どう対処したらいいもんか分からなくて悩んでいた時に見つけた文章でした。

この文章のように関係を切ることはしたくないので、そこのところは超えていかないといけないなと思っているんですけど。

 

ホ・オポノポノや奇跡のコース/奇跡講座をやっていくことが一つの手段としてなってほしいと思います。

終わり。