現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

米津玄師、新曲「M八七」MVと歌詞の解釈と考察・後編(映画のネタバレ込み)

ごきげんよう、ゆえのです。

いつも読んで頂いてありがとうございます。

米津さんの新曲「M八七」のMVと歌詞の解釈と考察・後編(映画のネタバレ込み)を書いていきます。

 

「M八七」ばかり過集中みたいになって聴いていて、話題になっているCDの3曲目の「ETA」を昨日までに1回くらいしか聴いていなかったんですけど、昨日からやっと少し聴けるようになりました。

 

話を戻して、

今回のMVの解釈と考察を前編後編に分けたのは、歌詞の後半部分を考えていたら余りにも映画との繋がりがあり過ぎて、先に映画の解釈と考察をしないことにはこのMVと歌詞の解釈と考察も成り立たないなと感じたからです。

今まで解釈と考察をする時は、タイアップがある楽曲であろうとその楽曲のMVと歌詞だけに着目してタイアップ先との繋がりとかはあまり注視してこなかったんですけど、この楽曲に関しては映画の解釈と考察も重視しないといけないなと思って、前編後編の間に映画の解釈と考察も挟み込みました。

 

前編で書いた解釈と考察の所は割愛しますので、ご了承ください。一応リンクを貼っておきます。

米津玄師、新曲「M八七」MVと歌詞の解釈と考察・前編 - 現実と妄想のはざま(改)

 

では、MVと歌詞の全体的な解釈と考察を書いていきます。

私なりの解釈と考察ですので、これが正解という訳ではありません。

youtu.be

 

歌詞ーーーーーー

Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/kenshi-yonezu/m87/

 

遥か空の星が ひどく輝いて見えたから
僕は震えながら その光を追いかけた

割れた鏡の中 いつかの自分を見つめていた
強くなりたかった 何もかもに憧れていた

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上二行は、前編で書いているので割愛します

下二行は、感想の記事でも書きましたが、

「割れた鏡」とは、その時に壊れてしまった自分の心を指していて、

「いつかの自分」とは、その時にその星を救えなかった自分のことなのだろうなと思いました。

 

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君は風に吹かれて 翻る帽子見上げ
長く短い旅をゆく
遠い日の面影

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"君"は、前編でも書いたMVの米津さんの中に融合しているウルトラマンのことを指していて、

「長く短い旅」の旅とは、心を埋められる満たせる"誰か何かとの絆"を探すことであり、「長く短い」とはそれが見つかるまでは長いけど見つけることができたならそれは短いと感じられるものになる、ということかなと思いました。

それが「遠い日の思い出」になっているということは、その求める"絆"を見つけることができたから歌えるものではないのかと考えました。

 

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君が望むなら それは強く応えてくれるのだ
今は全てに恐れるな
痛みを知る ただ一人であれ

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Bメロのことを踏まえると、"誰か何かとの絆"を「君が望むなら それは強く応えてくれるのだ」という意味になりそうですが、相手がいることで自分が望むから必ず応えてくれるかというとそういう訳でもないと思うので、この歌詞にはもう一つ意味が隠れているように思いました。"必ず"という言葉ではなく、使われている言葉は「強く」の言葉だからというのもあります。

 

映画「シン・ウルトラマン」をなぞらえるなら、

「君が望むなら」は"君がその選択をするのなら"という言葉に置き換えられるのではないかと思いました。そして、「それは強く応えてくれるのだ」は、"応答"の意味ではなくて、"反応"の意味に近いのではないかと考えました。

「応えてくれる」という言葉には良い応答をしてくれる、というニュアンスがあるように思えますが、良くも悪くも反応するという意味で考えると、望んだことが悪く出る場合も有り得るということです。

ここでは、ウルトラマンが望んだことに一人の人間が応答した、と捉えていいのではないかと考えました。

「今は全てに恐れるな」とは、手に入れた"誰か何かとの絆"を失うことばかりを考えるなということで、失う痛みを知るからこそ今ある"絆"を大切にできるということではないかと解釈しました。

 

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いまに枯れる花が 最後に僕へと語りかけた
「姿見えなくとも 遥か先で見守っている」と

そうだ 君は打ちひしがれて 削れていく心根
物語の始まりは 微かな寂しさ

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ここも前編でほぼ書いているので割愛します。

「物語の始まりは 微かな寂しさ」とは、昔あった"誰か何かとの絆"を失って、それを寂しく感じる心から新しい"絆"を求めることを指しているのだろうと解釈しました。

 

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君の手が触れた それは引き合う孤独の力なら
誰がどうして奪えるものか
求めあえる 命果てるまで

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「君の手が触れた」とは、ウルトラマンと人間との融合のことを指していると解釈しました。MVでは「それは引き合う」の辺りで一瞬浮かぶ岩が映るシーンがあるのですが、映画になぞらえるならこの"岩"はウルトラマンの故郷「光の国」を指しており、ウルトラマンと人間との融合が禁忌であることを指しているのだろうと考えました。

「孤独の力」とは前述したような"誰か何かとの絆"を求める寂しさのことをさしていて、「誰がどうして奪えるものか」の誰がの中には「光の国」のことも入っているのだろうと考えました。そして、映像での沢山の米津さんが映っているけど、歌っているのは一人だけというのは、禁忌であるウルトラマンと人間との融合に他のウルトラマン達は誰も手を出さないだろうということを現しているのではないかと考察しました。

 

ーーーーーー

輝く星は言う 木の葉の向こうから

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下記のスクショ画像は、ここの歌詞部分の映像なんですが、上はウルトラマンがこの"絆"を守り抜くことを決意する感じに思えるのと、

下の画像は、審判の場に立っているような感じに思えました。

なので、

「輝く星」は、「光の国」のことで

「木の葉の向こうから」というのは、空高くから眺めているので「木の葉」に遮られて地上に立つことで見えるものが「光の国」には見えていないことを指しているのではないかと解釈しました。

ちなみに、映像で米津さんの周りに花びらが舞っている時の映像は全てウルトラマンの心情を描いているのだと考えています。

 

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君はただ見つめる 未来を想いながら
僕らは進む 何も知らずに彼方のほうへ

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ここの二行目の歌詞の「僕らは進む 何も知らずに彼方のほうへ」の「何も知らずに」の言葉に、何度も聴いているうちに違和感が出てきていました。ほぼ全知全能に近いウルトラマンと融合していて何を知らないことがあるというのか?と思いましたし、まぁ神ではないから知らないこともあるだろうし、未来という言葉も近くにあるので未来のことまでは分からないよね、とか考えていて、でも未来のことなら「分からない」という言葉になるだろうし、「何も知らずに」という言葉は未来に向けられている言葉というより、過去に向けられていないか?と考えて、"何も知らずに"「何をした?」という言葉に繋がるのではないかと考察しました。

映画になぞらえると、光の国では禁忌である人間との融合を望んだのは確かにウルトラマンだけど、そうなるように仕向けたのはメフィラス星人であることを考えて、そこら辺の繋がりも歌詞に盛り込まれていたのかなと考えました。

 

ーーーーーー

君が望むなら それは強く応えてくれるのだ
今は全てに恐れるな
痛みを知る ただ一人であれ

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そうするとこの歌詞が出てくるのは楽曲内では3回目ですが、1、2回目の意味とは違って、"君がそれを選択するのなら 「それは強く(良くも悪くも)応える(反応する)のだ」という意味合いが強くなると思いました。映画になぞらえると、ウルトラマンが人間との融合を選択したせいで、人類が滅亡の危機に瀕するということを指しているのではないかと考察しました。

 

ーーーーーー

微かに笑え あの星のように
痛みを知る ただ一人であれ

ーーーーーー歌詞ここまで

ここの歌詞の「微かに笑え」とは、初代ウルトラマンのデザイナーである成田亨さんという方の下記の言葉、

mobile.twitter.com

から引用されているのではという話を聞きました。

こちらの方のツイートを貼らせて頂きましたが、この言葉とウルトラマンの口元と映画の中のウルトラマン=神永さんの微かに笑うシーンを並べられているのが素敵だなと思ったんですが、

ここってウルトラマンが人類に技術提供をする(多分二つ目の禁忌を犯している)シーンでもあって、自分のせいで大切に思う人たちを危機に陥らせてしまったことに対しての責任というか何としてでも助ける、そのために自分にできることを最大限やるという決意の表情でもあると思ったんですよね。

 

そうすると、「あの星のように」というのは何か?と考えると自分の故郷「光の国」ののことで、その脅威から人類を守ろうとしているのに「あの星のように」「微かに笑う」というのは少しおかしい感じもするんですけど、もともと自分の故郷でもあり、それと敵対することになったという所に、歌詞の内容と題名「M八七」の両義性を感じると考えました。

 

そして、映画「シン・ウルトラマン」と米津さんの主題歌を合わせて考察してみて、この言葉に出てくる「本当に強い人間」とは?という定義を考えてみると、それは自分の選択や行動の結果の責任を取れる人、と言えるのではないかと私は考えました。

 

MVの最後の映像では、守り切ることができて安らぎを感じているような映像にも思えました。

終わり。