5/21、最後の方に駄文追加。二回目の感想をスペースの後に追加。
最初の方に置いて置いておいたらスペース空けている意味がないので、場所移動しました。
ごきげんよう、ゆえのです。
いつも読んで頂いてありがとうございます。
更新曜日ではないですが、映画「シン・ウルトラマン」の感想と考察という名の妄想といった内容で書きます。
昨日は米津さんの新しいCD「M八七」のフラゲ日、今日はReolさんの新曲「赤裸々」の配信日ですが、それらを一旦横に置かせていただき、書いていきます。
ネタバレ込みなのでネタバレを読みたくない方はご注意下さい。
初っ端からデカイのを書いているので、スペースを空けておきます。
あと、パンフレットは買いましたが、監督の方々の詳しいインタビュー等が載っている「デザインワークス」は買っておりませんので、多大に自分が感じて考えたこと(いわゆる妄想)が大部分を占めると思うし、監督はそんな意図は持ってないと思われることを多大に書いているので、そういうのが嫌な方も気分悪くされると思うので、読まないほうが賢明だと思います。
二回目の感想を追加。
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二回目、観てきましたー。泣けた(ノ_・。)米津さんの主題歌じゃない所でだけど。
んー、確かめたくて何となく書いていなかったんだけど、やっぱりウルトラマンは自分が人間と融合したことで人類が全滅の危機に陥ったことに、ものすごく責任を感じてたんだなぁと思いました。だから何とか助けるために自分が持っている技術の提供をしたりしたんだけど、多分それも「光の国」的にはタブーなことなんだろうなと思いました。その技術提供から最後にゼットンをなんとか退けて、巻き込まれないように力を尽くすけど結局ブラックホールみたいなのに飲み込まれてしまうところまでめっちゃ泣けました。
ゾーフィと話している時にウルトラマンであることを捨てて、人間としてこの星で生きていきたいと言ったのも、「光の国」に対しての責任を取ったとも言えるのかなと考えたりしました。最後に仲間の元に帰って来たときに今後のことも考えて記憶がないのはまずいでしょう〜とか思ったりしましたけど、初代ウルトラマンでは全くウルトラマンの時の記憶はないようにかかれていたみたいですけど、どうなんでしょうねぇ。
それを踏まえてのゾーフィの「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」という台詞だったみたいなことが分かって、、一回目に見た後に書いた自分の解釈がすごい悪意のある見方に思えて、ああああ〜〜〜!恥ずかしい〜〜!って悶えました。
あと、ゾーフィが、最初この知的生命体がいずれ「光の国」に匹敵する程の技術力を持つだろうから、今のうちに殲滅させるっていうことも言っていたのに、最後に許したのは、ウルトラマンからの技術提供があってもこの程度しかできないことが分かったからっていうのもあるのかなと考えたりもしました。だから人類からウルトラマンを引き離せばそんなに大したことはできないだろうということで、ウルトラマンを「光の国」に連れて帰ろうとしていたのかなと思ったりもしましたー。
他には、物語の筋はメフィラス星人とウルトラマンが公園で話している時にめっちゃ言っているやん!って思ったりしたけど、その方法がウルトラマンの人間の融合であることは話してないですがそれ折り込み済みなんだろうなとやっぱり思ったり。
二回目の感想はそんな感じです。
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ここから一回目の感想です。
はい。ということで、書いていきます。
今回の映画での1番のネタバレになるのって、ウルトラマンの故郷である「光の国」が人類を滅ぼそうとした、ことでは思っています。
この映画に出てくる怪獣「禍威獣」は地球に古代に隠された生体兵器で、ウルトラマンが変身するときに使っているベータカプセルは人類を生体兵器に転用するものらしく、ウルトラマンが人間と融合をして人間を巨大化させるということは全人類が生体兵器になってしまう可能性を全宇宙に知らしめてしまった行為であり、人類を生体兵器にして利用しようと考える外星人がこれからわんさか押し寄せてくることになってしまう。
で、それを未然に防ぐために宇宙の全体の平和を守るために、「光の国」は裁定者ゾーフィを地球にいるウルトラマンの元に遣わせて人類を地球ごと殲滅させる作戦を取ったんですよね。
ウルトラマンの故郷である「光の国・M87」が人類を滅ぼそうとするなんて、いわばウルトラマンの敵になるなんてどういうこと?と感じて、ウルトラマンと敵対する関係になるのにその「光の国」を主題歌の題名にするって…米津さんは一体何を考えてるの?って感情的になって映画の余韻が薄れるまでは、楽曲自体まで聴きたくないほどになってしまいました。
でもそこから色々考えて、ウルトラマンのことを歌っているのとその真逆の立ち位置に今回立つことになった「光の国」を題名にすることで、両義性として成り立たせているのかなと考えました。
そして冷静になって色々と考えてみると、そもそも今回ウルトラマンが人間と融合しなければならないというのには必然性はないんだよなということを考え始めました。
初代ウルトラマンの時は自分の仕事に巻き込まれて死ぬことになってしまったハヤタ隊員を助けるために融合したという話ですが、今回のウルトラマンは地球に降り立った際の衝撃に子供を救助するためにに動いていた神永さんが巻き込まれて死ぬことになっているんですけど、ウルトラマン的には怪獣を倒すまでそこに彼が居ることにも気付かなかったみたいだし、気づいてその子供を助けるために自分の命を犠牲にした神永さんの行動を理解したいと思って神永さんと融合したという経緯になってるんですよね。
初代ウルトラマンのことはこちらに。
『シン・ウルトラマン』を見る前に知っておきたい『ウルトラマン』のキホン① | Febri
でも「光の国」では人類との融合は禁忌とされているもので、ウルトラマンだってそれを知っているはずなのに上記の思いだけで禁忌とされていることを実行されているなんてよっぽどだよなと思ったんですけど、それが結果的に「光の国」に人類殲滅の決断をさせたというのは何とも皮肉だなぁと思ったりしました。
身も蓋も無い言い方をすれば、人類が滅亡の危機に晒されたのはウルトラマンが人間との融合を選択したせいとも言えると思うんですよね〜。
そもそも何でウルトラマンが地球に降り立ったのかというと、地球で「禍威獣」が暴れていたからなんですけど。
古代に隠された生物兵器である「禍威獣」がなぜ目覚めたのかは人類が環境汚染をしたからだと言われてましたが、映画の中では日本にしか「禍威獣」は現れないということになっていて、地球全体で環境汚染は起こっているはずなのにそれもちょっとおかしいよなぁだろと思う、何らかの作為を感じる描写がありました。
もし他の外星人が何かしらの関与があるとするなら、それは後で出てくる「メフィラス星人」ではないのかなと思ったりしました。
私が考えたことはこうです。
地球に古代に隠された生物兵器があるということを知り、現代の人類も何らかのことをすれば生物兵器として活用できるのではないかと最初に気づいたのは「メフィラス星人」ではないのかなと。
そして、禍威獣を使ってウルトラマンを地球におびき寄せて、あわよくば人類と融合させて巨大化させれば生物兵器としての活用が可能だということを仕組んだのではないかと考えました。
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そしてその目論み通りになって、メフィラス星人が登場して居酒屋でウルトラマンとこれからの地球の共闘を持ちかけるのですが、その時にウルトラマン自身がこの地球にきて人間と融合をした経緯までが、既にメフィラス星人の計画に盛り込まれていたと気がついたのではないかと。
持ち掛けられた時点で、既にメフィラス星人の中ではウルトラマンは共謀者になっていることをウルトラマン自身が知ったのではないかと思いました。
そう妄想できるくらい居酒屋での対話のシーンが素晴らしかったです。
下記は「M八七」のジャケット写真ですが、今回の映画ではカラータイマーがなくてウルトラマンの活動の限界がない分、活動エネルギーが少なくなってくると全身の赤い色が緑色に変わるという設定になっています。
ジャケット写真を見ると全体的には赤いんですが胸の辺りが緑色に変わっている。それはウルトラマンの心のエネルギーが少なくなっていて、そこをメフィラス星人に付け込まれたとも言えるのではないかと考えました。
全てを見通す知略を持ったメフィラス星人がゾーフィが現れたことであっさり手を引いたのは、ウルトラマン一人ならどうにでも?なるけどその後ろまで出てきてしまったから、今回の計略はここまでと悟って、損しないように自分の所で開発したベータカプセルはしっかり回収して撤収したのではないかと思いました。
自分の故郷の「光の国」が下した決断(ほぼウルトラマンがしたことの尻拭いとも言える)をなんとか退けて、最後のゾーフィとウルトラマンが話すシーンの所での「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」の台詞は、初代ウルトラマンのゾフィの言葉とはかなり異質で、お前のせいで絶滅の危機に陥ったのにまだそれにこだわるのか、みたいなあきれるニュアンスが多分に含まれているような気もしました。
初観賞後に上記のことまで思い至っていた訳ではないですが、
最後のシーンではウルトラマンはウルトラマンとしては死んで、神永という人間として戻っていったんですけど、ここでもウルトラマンとしての力を失ったということではないのか?もうウルトラマンには変身できないんじゃないのか?神永さんとウルトラマンを分離させるということは。なのに外星人はやってくる訳でしょ?人間だけで守れるのか?この後どうなるんだろう?とか色々ぐるぐるしてしまって、米津さんの主題歌に全く集中できませんでした。
初代ウルトラマンの時はハヤタ隊員は記憶がない状態だったらしいですが、今回の顛末でそれはまずいだろうから多分記憶はあってウルトラマンの時の知識も残っていて、それらを使って何とかしていくじゃないかなぁなんてことを思いました。
分かりませんが。
まあそこら辺のことを踏まえて検証する意味合いも込めて、もう一回見に行ってこようかなと思いました。
現実的なことを仰っている方もいるので、そちらの動画のリンクを貼っておきます。
良し悪しを冷静に『シン・ウルトラマン』徹底レビュー!【おまけの夜】 - YouTube
終わり。
あと蛇足ですが、自分の総監修の庵野秀明さんの作品との体験を書いておきます。
主に「ふしぎの海のナディア」と「新世紀エヴァンゲリオン」でリアルタイムで見ていました。
Wikipediaより抜き書きーーーーーー
『ふしぎの海のナディア』(ふしぎのうみのナディア、英語: Nadia, The Secret of Blue Water )は、日本放送協会(NHK)で1990年4月13日から1991年4月12日にかけて、毎週金曜(湾岸戦争の臨時ニュースなどで放送休止あり)19:30 - 20:00(JST)に放送されたテレビアニメ。全39話。
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『新世紀エヴァンゲリオン』(しんせいきエヴァンゲリオン、Neon Genesis EVANGELION)は、GAINAX制作による日本のオリジナルテレビアニメ作品。1995年10月4日 - 1996年3月27日にかけてテレビ東京系列他で放送された。全26話。略称は「エヴァンゲリオン」[1]、「エヴァ」[2]、「EVA」[3]。
ーーーーーーここまで
「ふしぎの海のナディア」は、毎週楽しみにしていましたし、最終回の主人公の女の子のお兄さんとの邂逅と別れの所は今思い出しても胸アツですし、最高に大好きな作品です。
「新世紀エヴァンゲリオン」も同じく毎週楽しみにしてました。最終回前の色々ぐちゃぐちゃになっていくっていうのか、、、その所では母に話し掛けられても反応できないくらいのめり込んでましたね。
その後公開された「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」も映画館まで見に行ったんですけど、私の中ではその作品で新世紀エヴァンゲリオンの体験は終わっています。映画に納得できなかった訳ではなく、納得できた?訳でもないと思うんですけど、自分の中ではこれでエヴァンゲリオンは終わりでいいという感覚があってその後の作品は全く見ていませんし、庵野さんの他の作品もほとんど見ていません。
それでも情報は入ってくるので(弟は見たので)一応ここで私が書いた映画の感想と考察(という名の妄想)が後の映画の逆パターンみたいな「シンジ君には記憶があるけど他の人たちには記憶がない」状態のような感じになっているのは理解しているつもりです。
他のシン・ゴジラなどのシンシリーズとか他のウルトラマンの話を見てみたいという気持ちは今のところ湧いてきていないので、他のは見ないかなという感覚です。
以上駄文でした。