現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

気持ち整理2、モラハラ

 7/31、補足追加。

 

続きまして、2、モラハラ  を書いていきます。

その前にモラハラとは何か?を定義しておきます。

 

モラハラは「洗脳」である | 離れられない『モラハラ』『身近な人からの攻撃』対処の超裏技!

ジョーさんという方のモラハラブログの記事からの抜き書きを載せておきます。最も私が感じたことを的確に言い表していると思ったので。

 

ーー抜き書き
モラハラというのは、
モラハラ夫が自分の望むことを、「相手の意志で」させることです。

つまり、モラハラ夫は、相手に、
自分の望むものを直接に要求しないのを原則としています。

基本的に、「ああしろ、こうしろ」と言わないのです。
「~して欲しい」とも言いません。


モラハラ夫が相手に何かをさせたい時は、

相手に視線を送るとか、ちょっと表情を曇らせるとか、

顎を少し上にあげてみせるなどをすることによって、相手が、それを察して、
夫の希望を満たしたいという気持ちになり、夫のために行動する、
という方式をとります。

そして、その相手の動きが気に入らなければ責めるという仕組みになっています。

 


モラハラ経験したことがない人には、
今、私が何を言っているのかわからないかもしれませんが、
要するに「洗脳」です。


モラハラの被害者は、自分の意思が破壊されていて、
モラハラ夫が望むものが自分の望むもの、と考えるように洗脳されていたり、
恐怖によって、それをする以外のアイデア浮かばないようになっています。
ーーーーここまで

2016年10月辺りにそのことを象徴するような出来事があって、今から考えるとあれがそうだったのかも、と思いました。

 

MLは1年更新制で、ある時からあまりMLに投稿しない人と、割と頻繁に投稿してくれる人に分かれてきてしまったので、もっと投稿を促すために前者と後者で料金額を変えるという試みがなされました。

 

その前にスピ某所におけるMLの役割を書くと、トップやリーダーからの情報提供と存在論や哲学的なことを議論する場、としてでした。

なので、投稿しない人というのはその場に参加する意思がないと見なされてしまうというか、情報の習得や意識世界の情報を使って自分の意識を変えていくことに積極的ではないと受け取り、そのようにしたのだと思います。

 

そしてそれは自己申告制でした。自分が投稿する人か、しない人か、は自分が一番よく分かっているはず。だから申し込みをする時に自分で選択するようになっていました。投稿する人より投稿しない人の方が若干料金が高くなる、というしくみでした。

言い忘れていましたが、私たちはお金を払ってその場に参加していたのです。

 

そして結果はリーダーの人が思い描いていたものとは異なりました。投稿しない人も、投稿する人用の料金額で申し込みをしていたのです。

 

 

結論からいうと、リーダーの人は怒りました。具体的な言葉では言いませんでしたが、直訳すると「何でいう通りにしないんだ。やらないお前らが悪い」といった感じに。

 

私はそれを読んで、よく恥も外聞もなくそんなことが言えるなぁと思いました。

自分が企画したことが失敗した原因を皆んなに押し付ける形になったからです。

 

 

その時には、存在の哲理というものが確立されていて、その一つに「美の希求」という言葉がありました。

 

自分はあまり投稿していないけどお金は安く払いたいから、偽って、投稿している人用の料金額で申し込みしちゃおう、みたいな考えは、あまり美しくないなぁと感じたので、

あなたが自分で選択したソレは、本当に自分に恥じないものですか?といった、今一度それがホントに正しいのか、の問いかけを皆んなにする、という内容の投稿をしました。

 

猛反発をくらいました。

そりゃそうですよねー。誰だって後ろぐらいことを指摘されたら反発しますよねー。

 

 

ケンカ腰になってしまったのがまずかったかなぁと今となっては思います。

それくらいその時の状況の中でその行動はまずいのではないか、となんか強い危機感を抱いていました。

 

 

補足:そうだ、思い出した。私の方が分かってます的な言い方をしてしまったんですよね〜、その時。しかも上記の1番伝えたかったことを直に言ったんじゃなくて、すごい回りくどい言い方をしてしまったんですよね。

最初、投稿に点数をつけて誰が1番投稿したかを見える化したらどうか的なことを言ったのを思い出しました。

直接言っても誰にも聞いてもらえないのではないかと思っていたからです。

 

そんで、

「あなたが自分で選択したソレは、本当に自分に恥じないものですか?といった、今一度それがホントに正しいのか、の問いかけを皆んなにする、という内容」がホントに言いたかった、ということを最後に明かしたので、

その後1ヶ月くらいML内の空気が悪くなってしまって険悪なムードになって、私は他の人たちの敵になってしまって(リーダー含む)トップの人には変なことを言い出した罰として、あることをやらなくてはいけないことになったんでした。

トップの人にはそういう意図はなかったのかもしれないんですけど、タイミング的にそうとしか私が受け取れませんでしたね。

 

勇気を出して言ってみたけど、結果は散々。疲れるだけだし、やり方が悪かったという自分が蒔いた種だったんですけど、もう二度と言うのやめようと思ったんでした。

 

 

でもまぁその投稿をしたおかげで、私は境界線概念の前身とも呼べるような言葉を見つけました。

また漫画の中からなんですが、確か魔女の心臓というものです。

「自分の意思で選択したことを他人が否定することはできない」

という言葉です。

 

全文というかそこらへんの流れを掲載

ーーーー

自分の選択に従ったことで死んでしまった人がいました。


R「……黙って行かせるとは思いませんでした
命は大切に、とか 怒って止めるかと」

M「……彼女が 自分の意志で選択をしたから

命は何物にも代え難いものよ。だからこそ
その使い道を他人が否定することは出来ない
そこには正しさも誤りもない」
「そして私には誰よりも それを言う資格がないわ」

〜〜場面省略〜〜

「花売りのあの子 姐さんが彼女に手を貸さなかったのは 何故だと思う

姐さんは 自らの正義と他人の正義が 同じとは限らないことを知っている
自らの選択の代償は 自らが支払うしかないことも

(姐さんにはきっと 今も悔い続けている 過去の選択がある)

 


「だから自らの命と、姐さんの命を懸けて 選択し行動した
彼女の意志を何よりも重んじた
彼女が姐さんを“頼る”選択をしたなら 姐さんはきっと手を貸したんだ」


『自分の意志で選択した事を 他人が否定する事は出来ない』

「姐さんと行く俺の選択を お前が否定することは出来ない」

 ーーーーここまで

あーもうこういう言葉は大好きです。

 

最初とちょっとズレましたけど、この項目はこれで終わりです。