現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

音楽の船と16、母音と子音〜音・音楽について/ルドルフ・シュタイナー

ゆえのです。

いつも読んで頂いてありがとうございます。

 

 今週はなんか…いつもより色んなことがあったように思いました。

1番の理由は、下記の音楽フェスの中止の話を聞いたことです。

news.yahoo.co.jp

私自身は、こういう音楽フェスには今まで行ったことがありません。もっと正直に言うと最初はふーん、そうなんだ。とあまり興味もなかったんですけど、主催者側の方々の心境を知っていくにつれて、直接の引き金になったと明かされている茨城県医師会からの「要請」が非常に曖昧かつ誠実に向き合おうとすれはするほど対応が困難な内容だったらしいのと、主催者側の方々は1年前から準備してきていたのに対し、約1ヶ月前にポンとほぼ何も考えずに出されたように感じる要請には、疑問を感じずにはいられなくなりました。

 

自分が今いる周りの環境にしてもあまりコロナの影響を受けずにいるある意味お気楽な立ち位置にいて、オリンピックに対しても賛成とも反対とも言えないくらい関心を持って見てこなかった自分を痛切に感じました。

遅すぎるとは思うのですが、これからはもっと疑問と関心を持って見ていこうと思います。

 

そして、上の音楽フェスの中止の影響はかなり大きいんじゃないかと感じました。世間一般で言われているようなことだけではなくて、前にTwitterでこちらの素敵な言葉を見つけたんですが、

mobile.twitter.com

 その「音楽という舟」に亀裂が入った、と思えるような事態なんじゃないかなと私は思いました。個人的な意見ですので大げさだなぁと思われる方もいるとは思いますが。

そしてこの亀裂は今対処しておかないと、いずれ米津さんの足元まで来るようにも思えて、自分のできることは何かを考えていこうと思いました。

 

とりあえず今は、スピ某所からのいつもの抜き書きですが紹介しておきます。

不定期に、スピ某所で教えてもらった文章や本などを差し障りのない範囲で紹介しています。

2011年10月頃に投稿されたものです。

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母音と子音〜音・音楽について/ルドルフ・シュタイナー

 

母音と子音について、
ゲーテの系譜を引く人智学者シュタイナーは
以下のように考えていたようです。

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ルドルフ・シュタイナー『音楽の本質と人間の音体験』

話すことや歌うことが、単に思考の産物ではなく、
人間という存在全体に関わるものであるということ、
また、それは、外側の世界だけではなく、
自分自身にも向けられるものだとシュタイナーは考えます。

「言語によって自分を表明し、歌によって自分を表明することによって、
人間は身体、心魂、精神という自分の有機体全体を、
外と内にむけて表現するのです。
人間は音声と音のなかに開示するもののなかに存在するのです」

さらに、
「人類の歴史のなかで、
言語は本来、歌から発生したものです。
歴史以前の時代にさかのぼるにしたがって、
言語は歌に似てきます。
非常な過去にさかのぼると、
歌と言語の区別はなく、両者はひとつのものでした」
『音楽の本質と人間の音体験』より

 

日本語は、アイウエオという母音と
K,S,T,N,H,M,Y,R,Wなどの子音との組み合わせによって、
成り立っています(単独のNもあります)。

シュタイナーは、
母音というのは元来宇宙に存在する音であり、
子音というのは私たちの身体を形作っているものの元であると言います。

「音楽の観点から見ると、人体は楽器なのです。
(中略)あらゆる子音の全体的調和が人体の姿を示すのです。
母音は、人体という楽器の上に演奏される魂です。
(中略)人間の魂は、人体の子音的構成の上に母音的に躍動します」
『音楽の本質と人間の音体験』より

 

シュタイナーが、元来歌と言語は同じであった、
ということを指摘していることを考えるとき、
言葉が思考的な頭の働きによって作り出されるのではなく、
呼吸、リズムのなかかで、産み出されていたというイメージをいだくと、
歌うことがそれらのものと密接に結びついており、
言葉が単なる音の羅列ではないものとして、
捉えられるような気がしてきます。

その辺のことをシュタイナーは次のように述べています。
「かつては、人間はそれほど神経組織のなかには生きておらず、
呼吸組織のなかに生きていたのです。
ですから、原言語は歌のようなものだったのです。
(中略)歌は、生まれるまえの世界で人間が体験したことを思い出すための地上
の手段なのです。
思考組織をもってよりも、
律動組織をもって、わたしたちは霊的世界のずっと近くに立つからです」
『音楽の本質と人間の音体験』より

 

もし、私たちが、宇宙の音を聞くことができたとしたら、
それはどんなものなのでしょうか。
シュタイナーはこう説明しています。
「霊的世界に上昇すると、子音は失われます。
みなさまは、母音で歌われる世界に入っていきます。
みなさまは歌うのを中止します。
「それ」が歌うのです。
宇宙そのものが、宇宙の歌になるのです。
(中略)地上に私たちの身体があります。
母音が発せられます。
霊的な世界では、母音があり、
そのなかに魂が入ってきます。
音は魂の身体になるのです。
みなさまは宇宙の音楽、宇宙の歌のなかにいます。
(中略)地球のまわりに諸惑星(金星、火星等)があり、恒星天があります。
恒星天は、古代から黄道十二宮と呼ばれてきました。
これらの天体すべてから、語りかけるように、歌が響いてきます。
みなさまの知覚は、語りかけるような歌、歌われる言語を聴きます。
(中略)惑星界は母音をとおして宇宙空間のなかで歌い、
恒星は子音をとおして惑星界の歌を魂で貫きます」
『音楽の本質と人間の音体験』より

 

先に子音というのは私たちの身体を形作っているものの元であるということを述
べましたが、
その子音はどこからやってくるのでしょうか。

それは宇宙からやってくるのだとシュタイナーは言います。
「宇宙から語られる十二の子音を思い浮かべると、
それが人体なのです」
「人間から子音を取り出すと、彫塑的に形成しなければならない形態が発生します。
母音を人間から取り出すと、
歌わなければならない音楽、歌が発生します。
このように、地上に立つ人間は二つの宇宙芸術の成果なのです。
一方から、彫塑的な宇宙芸術が到来し、
もう一方から、歌唱的、音楽的な宇宙芸術が到来します。
二重に、霊的存在が活動を統合します。
あらゆる存在(星々からの働きかけ)が楽器を構築し、
べつの存在(私たち人間)がその楽器を演奏します」
『音楽の本質と人間の音体験』より

 *****ここまで

終わり。