万紀子さんのブログを読んで、感じることがあって色々考えました。
上記に書いてあるような、結果を、果実をお金として受け取れるようになるには程遠い話かもしれません。私自身がそういうことを目指すには、まだ遠い所にいると思っているからです。
刈り取りの法則を積極的に使うには、「思い」「思う」の言葉の再定義が前提条件になるのではないか、と考えました。
「思い」「思う」は自分の心に種を蒔く行為、
言葉を発する、言葉をかける、のは相手の心に種を蒔く行為、
という風にです。
「思い」の意味は、
・おもう心の働き、内容、状態
・物事から自然に感じられる心の状態
・(悲しい嘆きで)喪に服すること。喪の期間
です。
「思」という漢字には、「こまごまと考える。思いめぐらす」という意味が含まれます。
意味を調べた時や色々考えている時に、マザーテレサの言葉の「思考に気をつけなさい」を思い浮かべました。
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思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
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マザーテレサの言葉では、最初は「思考」になっていますが、「思」という漢字には、「こまごまと考える。思いめぐらす」という意味が含まれているというのなら、ここで言われている「思考」は「思い」のことを指す、と考えてもいいのではないでしょうか。
つまり、この言葉も「刈り取りの法則」を示しているのではないかと私は思いました。
私は、先日親戚の人から嫌なことを言われたんですけど、それはその人から私の心に種を蒔かれた、ということになり、私はその種を大切?に育ててもいいし、引っこ抜いて捨ててしまってもいいわけです。
嫌な気持ちになっている訳なので捨ててしまった方がいいのですが、自分を大切にすることに慣れていない状態では、自分で植えてしまった他の種と混ざってしまって、どれが嫌な気持ちになった種なのか分からなくなって迷ってしまうような感じが、たぶん今の私の状態なのです。
自分の感情に許可を出す、ということは、嫌な気持ちになっている種と好きな気持ちになっている種をちゃんと見分けて整理することなんだなと思いました。