11/7、題名ちょこっと変更。
いけね。「レヴィナス」を掲載するだけで終わっちゃダメだった。
抜き書きの前にこの投稿があったんでした。
抜き書きーーーーーー
の中核となるテーマは「贈与」。
二人の話は、一神教的世界観と多神教的世界観の内部からそれ
ぞれを対比的に眺めたことによっている。
内田さん、中沢さんはエマニュエル・レヴィナスを研究し、詳
しく、さらに身体性への感性に溢れた思索者。だからこの対談
もその歴統に沿った文脈から書かれている。
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わたしたちは「始原(起源)におくれた者」であり、それはつ
まり何ものかによって贈られた者であるという自覚。
そしてだから、贈られた者であるわたしたちは、その何ものか
に贈る者である(でなければならない)という自覚。レヴィナ
スはそう言っている。
沈黙交易を前駆した「贈与」とはそのことを言っている。役に
立つ、何かいいもの……を贈る。贈るということの初発はそん
なうざいことではないのだと言っているのだ。
つまり贈り贈られるということは意味を贈るのではなく「無意
味」を贈り合うということなのだ。これは重要だ。
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原点化がなすものは、何ものかに対して贈る者となることであ
る。同時に贈られる者になることでもある。
原点化は、贈り贈られる何ものかを産み出すマトリクス(母
型)の近傍にあってマトリクスそのものにもなる「方法のマト
リクス」だ。
原点化(触媒化)とは「エッジ(端と橋)」「アイダ」「縁
起」「触媒」「コーディネータ」が〈存在の必然性〉への鍵と
鍵穴の初源であることを「方法」にしたものなのだ。
そう、世界は反転しレヴィナスの思索から遠く転回して「始原
(起源)におくれた者」は「始源に参加する者」に成りつつあ
る。
ハイデガーの思索は転回して、「世界に投げ込まれた者」から
「世界に自らを投げ込む者」に成りつつあるのだ。
そう自覚してほしいと思う。
ーーーーここまで。