現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

8-2、始源に参加する者。

11/7、題名ちょこっと変更。

 

いけね。「レヴィナス」を掲載するだけで終わっちゃダメだった。

抜き書きの前にこの投稿があったんでした。

 

抜き書きーーーーーー

内田樹中沢新一『日本の文脈』~贈与、

の中核となるテーマは「贈与」。

二人の話は、一神教的世界観と多神教的世界観の内部からそれ
ぞれを対比的に眺めたことによっている。

内田さん、中沢さんはエマニュエル・レヴィナスを研究し、詳
しく、さらに身体性への感性に溢れた思索者。だからこの対談
もその歴統に沿った文脈から書かれている。

***
わたしたちは「始原(起源)におくれた者」であり、それはつ
まり何ものかによって贈られた者であるという自覚。

そしてだから、贈られた者であるわたしたちは、その何ものか
に贈る者である(でなければならない)という自覚。レヴィナ
スはそう言っている。

沈黙交易を前駆した「贈与」とはそのことを言っている。役に
立つ、何かいいもの……を贈る。贈るということの初発はそん
なうざいことではないのだと言っているのだ。

つまり贈り贈られるということは意味を贈るのではなく「無意
味」を贈り合うということなのだ。これは重要だ。

***
原点化がなすものは、何ものかに対して贈る者となることであ
る。同時に贈られる者になることでもある。

原点化は、贈り贈られる何ものかを産み出すマトリクス(母
型)の近傍にあってマトリクスそのものにもなる「方法のマト
リクス」だ。

原点化(触媒化)とは「エッジ(端と橋)」「アイダ」「縁
起」「触媒」「コーディネータ」が〈存在の必然性〉への鍵と
鍵穴の初源であることを「方法」にしたものなのだ。

そう、世界は反転しレヴィナスの思索から遠く転回して「始原
(起源)におくれた者」は「始源に参加する者」に成りつつあ
る。

ハイデガーの思索は転回して、「世界に投げ込まれた者」から
「世界に自らを投げ込む者」に成りつつあるのだ。

そう自覚してほしいと思う。

ーーーーここまで。