現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

米津玄師、楽曲「カナリヤ」の解釈と考察

9/19、ちょこっと編集。

 

今回は予定を変更して、米津玄師さんの「カナリヤ」の私なりの解釈と考察を書いていきます。

前の記事でこの楽曲を、取り立てて書く必要を感じないもの、に入れてましたが、聴き込みが足りなかっただけ、みたいです。まぁそういうこともあります。

 

聴き込んでいて、なんとな〜くこの楽曲、デュエット曲としてでもイケるんじゃね?という思いが湧いてきていました。

というより……この曲、男性目線と女性目線に分かれてない?と思いまして、その視点でもっと聴き込んでみて、そのままこの視点で書いていくことにしました。

基本的に、AメロBメロは男性目線、サビは女性目線だと思っています。

 

今回はMV映像はないので、歌詞から100%です。

 

歌詞抜き書き。

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ありふれた毎日が 懐かしくなるほど
くすぶり沈む夜に揺れる
花を見つめていた

人いきれの中を あなたと歩いたこと
振り向きざまに笑う顔を
何故か思い出した

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「ありふれた毎日が 懐かしくなるほど くすぶり沈む夜」というのは、月日が経って気持ちが沈む夜、という意味に解釈しました。

「揺れる 花を見つめていた」そして、思い出すのは懐かしいあなたと歩いたこと、ということは、この男性は今は一人で、「あなた」はもういないということ、病気で亡くなってしまった、ことを表しているのではないかと思いました。

追記

(そういえば、米津さんの雑誌インタビューなどで『カナリヤ』のことをあんなに書かれていたのに、すっかり頭から抜けていました。病気一択に直しました。明確な言葉は避けさせて頂きます)

 

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カナリヤが鳴きだす四月の末の 誰もが忘れていく白いプロムナード

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プロムナードの意味は、フランス語で「散歩・散歩道」ですが、「白い」と「誰もが忘れていく」という歌詞で、結婚式を挙げた頃、と解釈しました。

 

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あなたの指先が震えていることを 覚えていたいと思う

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そうするとこの歌詞の内容は、初夜、という解釈になります。

そしてここまでが男性目線で、ここから女性目線に移ります。

 

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いいよ あなたとなら いいよ
二度とこの場所には帰れないとしても
あなたとなら いいよ
歩いていこう 最後まで

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つまり、この歌詞の意味は、女性からの男性に対する肯定、になるのだと解釈しました。

それかプロポーズのあとに言った言葉かもしれませんね。

そして、再び男性目線です。

 

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転げ落ちて割れた グラスを拾うあなた
その瞳には涙が浮かぶ
何も言わないまま

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この歌詞では、何かが起こって喧嘩か、揉め事があったことが窺えると思いました。

 

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カナリヤが消えていく五月の末の 木の葉が響き合う湖畔の隅っこ
あなたを何より支えていたいと 強く 強く 思う

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そして、仲直りして男性からの気持ちが描かれていると思いました。

隅っこ、という言葉がなんとなく「まちがいさがし」を連想させるなと思いました。

 

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いいよ あなただから いいよ
誰も二人のことを見つけないとしても
あなただから いいよ
はためく風の呼ぶ方へ

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そして女性目線で、男性を許し肯定している、という解釈になります。

男性から先に謝ったりしていた、のかもしれませんね。

この曲が二人称じゃないかと気がついたのは、ここの部分で、でした。一人だけだと、前の歌詞からの文脈がおかしくなるのではと感じたのです。

 

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あなたも わたしも 変わってしまうでしょう
時には諍い 傷つけ合うでしょう
見失うそのたびに恋をして
確かめ合いたい

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デュエット曲にもなるんじゃないかと思ったのは、ここは気持ち的に二人で歌うところだなと思ったので。二人が互いを想い合うのが強く出ている内容だと思いました。

 

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いいよ あなたとなら いいよ
もしも最後に何もなくても
いいよ    いいよ    いいよ

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ここで、圧倒的に女性が男性を全肯定している、と解釈しました。

 

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いいよ あなただから いいよ
誰も二人のことを見つけないとしても
あなただから いいよ
歩いていこう 最後まで

はためく風の呼ぶ方へ

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全体的な色調は「至高の思い出」

最後のメロディがその色を最大限に現しているなと思いました。

 

追記

相手が亡くなってしまっているのではないかと解釈したのは、一度も「一緒に」って言葉が出てこなかったからです。「最後」しか出てきてません。内在しているとは思いますが、それが表に出てくることはないという意味です。

それは…そういうことなのかな、と思いました。ということは、この曲はデュエット曲にはなり得ないんだなとも思いました。

 

おわり。