現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

贖罪かも1、「私らに一生モノなんてない」にすごく共感すること

書きたいことが溜まってきたので、少し連続して書いていこうと思っています。

今回はこちら。

 

hoshiman.jugem.jp

 

この記事にすごくすっごく共感しまして、どういうところがそうかを書いていきます。

 

まずは抜き書きーーーー

私は今年で26歳になりましたが、26年間「私」という人間を生きていて
一つ気付いたことがあります。
それは、「特定の物事と一体化することが出来ない」ということです。
人でもそう、習い事でもそう、仕事でもそう、
「私はコレとしっかり向き合っていくんだ」というものを
見つけられたことがありません。
と言うよりも正確には、「コレ!」と決めたものほど自分から
台無しにし、一切関わらないところまで逃げてしまうのです。


26年という短い人生ながらも、私は今までさまざまな夢を抱いて、
専門的な勉強に励んできました。
しかし、自分なりに努力したところで、ある一定のところまで行くと
サーっとその対象に対する熱が引いていく感覚をいつも経験してきました。
そして、今までの努力が嘘だったかのように、
その対象との関わりを完全に断ってしまうのです。

 


周囲の人々には、そんな私の姿は不可解に映ったことだと思います。
私はもともと要領がいいというか器用なので、その分周囲の期待値も高まるのですが、
そんな期待をいつも裏切って、台無しにしてきました。
それでも、基本的に真面目なので、周囲の人はそんな情けない私に対しても、
「〇〇ちゃんならきっといい世界を見つけられるよ」
と優しい言葉をかけてもらうことが多く、その言葉を励みに
「自分が本当にやりたいこと」を手探りで探してきました。

しかし、今になってようやく気づいてしまったんですよね。
「私は一つの対象に自分を捧げられる人間ではない」と。

どうしても無理だったのです。
何を志しても、いつも、「(その対象と)一生付き合わなくてはならないのかもしれない」
ことが自分にとって重荷でした。
そのような感覚は、その対象と自分を深く結びつけようとすればするほど
強く表れ、そのたびに逃げ出してきました。

ーーーーここまで

私がこの記事を読んで連想するのは、スピ某所のことです。

そこにいたのは、今までの記事のどこかにも書いたかもしれないですが、初めて接点を持つことになった出来事から逆算すると約18年は居ましたかね。

 

これねー、実を言うと、常に常に常に常に常に常に、他に何かないか探しながら、だったからできたと自分では思っています。

 

私は決して、一途に、真面目ではあるんだけど真面目系クズとも言えるくらいにそこで言われていたことを実践するようなヤツではありませんでした。ほんとーに、目を向けつつも目線を一生懸命反らしながら、そのスピ某所にいました。

 

何で私ってこうなんだろうって思っていたんですけど、この記事を読んで、ようやく合点が行きました。

思い返してみると、RCメソッドの時にもこの作用が起きていたような気がします。

 

また抜き書きですが、

ーーーー

ここからは占いの話。

私の場合、自分が愛着を持ったり、
自分のモノにしたいと決めた対象を、自ら遠ざけていることがわかります。
これを表しているのはおそらく、金星と天王星のハードアスペクトです。

〜中略〜

では天王星の作用とは何か?

天王星は「水瓶座」の支配星ですが、「水瓶座」には「価値の撤廃」
という意味があります。
物理的・心理的に、「一つの価値に偏らない」ことを目的としています。
つまり、出すぎているものは引っ込めて、引っ込んでいるものは出す、
近すぎるものは遠ざけ、遠ざかっているものは近づける、
持ちすぎているものは捨て、足りないものは補う、
という風に調整を行います。
つまり、「多すぎる」とか「遅すぎる」といった
「〇〇すぎる」という”超過”をなくそうとする働きがあるんですよね。

ーーーー

金星と天王星のハードアスペクトを、私も持っています。

私の場合は、蠍座天王星牡羊座金星で、オポジションといってこの2つの星が180度の位置することになります。

 

>金星を支配星とする「牡牛座」はそのまんま”愛着”や”固定”を意味します。
>物事に愛着を感じ、形作っていく過程を表しています。

 

宝瓶宮占星学によると、オポジションの意味は簡単に言うと、

「体現者にとってはなくてはならないアスペクト

オポジションをなす星は、どちらか一方が意志や方向性を発揮し、相方がそれを受け止めてレスポンス(反応)を返す位置関係です。そのレスポンスは、今度は相方の星の意志や方向性として発揮されていることになります。それを元の星が受け止めてレスポンス(反応)を返します。こうやって関係を続けていくために体現されるものがあるのです。」

とありますけど、私の場合、天王星アセンダント合でもあるので、意志や方向性を発揮するのは必ず天王星が先、ということになります。


アセンダントとは、第一ハウスを起点にとり、東の地平線にあたり、上昇点と呼ばれています。いわばホロスコープの起点となる所です。

特に重要なポイントとなっており、上昇点の星座や、近くにある惑星は人生観を色づけるものでもあります。

 

そして、金星がレスポンスを返したとしても天王星の作用によってほぼほぼ打ち消されてしまうようなものなのかなと思っています。それでもしつこく金星がレスポンスを返し続けて、今の自分の才能のようなものを形作ることができたけど、その価値は天王星によって撤廃されている(何も意味がない)ということになったのかなと感じました。

 

それでも私がスピ某所にい続けてきたのは、トップやリーダーの人格等は置いといて、スピ某所で言われていたことが「本物」だと感じ取ってきていたからだと思っています。

その「本物」を彼らが裏切っている、と感じたので私はやめましたが。

 

 

 

そして、この話がどこに繋がっていくかというと、運命の相手との関係をどうすればいいかっていうことなんですよ。前置き長いけど。

>「私は一つの対象に自分を捧げられる人間ではない」
>「(その対象と)一生付き合わなくてはならないのかもしれない」ことが自分にとって重荷

しかも私は受け皿側なので、別にこの相手じゃなくてもいいという…状態です。

 

1つのというか唯一の希望としては、相手との相性ホロスコープを見てると、その私の問題の天王星と合になっている星が1つあります。

 ケレス(またはセレスとも呼ぶ)という星です。

 Wikipediaよりーーーー

ケレスまたはセレス(英語: Ceres [ˈsɪəriːz];[20])は火星と木星の間の小惑星帯メインベルト)に位置する準惑星

ーーーー

占星術では、十惑星の他に準惑星小惑星といった、見つかっている星々を使うところも多々あるのですが、宝瓶宮占星学で使っているのはこの「ケレス」だけです。

 

理由は、「万有引力ケプラーの法則」といったものを使って見てみると、太陽系惑星はきれいに一直線上に並ぶ、らしいんですね。その中でこの「ケレス」だけがその一直線上に入る、ということで採用されているようです。

詳しい説明はこちらのページに書いてあります。

ホロスコープと配列の法則

 

そして、この「ケレス」の象意が重要なんです。

 宝瓶宮占星学によると、「ケレス」の象意は簡単に言うと「ない」ということらしいのです。まだまだ勉強中なので、ここから書く解釈は本当に自分なりの考えで間違っている可能性もあります。

 

つまり、ケレスの象意で天王星の作用を失くせるのではないかと考えました。

でもケレスは

太陽、月、水星、金星、火星のパーソナル・プラネット、

木星土星天王星海王星冥王星のソーシャル・プラネット

の中間に位置するみたいなので、「力関係」的なことを言うと、足りないんですよね。

天王星に負ける、というのか。別に勝ち負けじゃないんですけど。

 

そして、宝瓶宮占星学ではこの「ケレス」は「火星」と組み合わさることで「冥王星」の象意を持つことになるということが書いてありまして。

つまり、「火星」+「ケレス」=「冥王星」といった具合です。これらの共鳴星(=支配星)は蠍座なので、その中でなら「天王星」よりも「ケレス」の方が力を発揮しやすいということであると解釈しています。

 

そして、「火星」の象意である行動・アクションを、私が「ケレス」の象意の「なくす」ということで使えば、天王星に勝てるんじゃないかなと考えました。すごい独自解釈してますが。

天王星があるのは第1ハウス(室)です。第1ハウス(室)の象意は、本人が生きる基本的な意志や方向性です。

つまり、私が自分で、自分の意志や方向性を「なくす」方向に動く、ということになります。まぁ、滅私奉公的に生きる、というのが一番近いのかなと思います。

 

それが運命の相手との関係を保つのに、最も重要かつ必要なことなのかなと考えています。

 

 

私がそこまでする必要があるのかということを考えると……私側にはそんなに必要がある訳でもない、んですけど、相手側のことを考えると、前回の記事で書いた、例に出したブログの話は実際にその相手さんがやったことでして。

 

相手は奇跡まで起こして、私の所に来てくれているのに、それを無下にするっていうのは人としてどうかという気持ちもあります。

 

 

でも境界線の視点で見るなら、ものすごい冷たい言い方になるんですけど、それって相手が「勝手に」やったことなのよね、っていう思いもあります。

 

私がそうしてほしいって頼んだわけでもないし、私の決定権の範囲内では全然ないし、相手が勝手に影響を受けて(それを相手が選んだ)そして、頑張って想いを繋げてここまで来た。

それに付随する実績や功績は、その相手だけがもつものです。

私には全然関わりも責任もないことで、私は何もやっていないんです。ただブログを書いていただけ。

 

だから逆に言うなら、私はその人に完全降伏するしかないんですよね。それがどれだけものすごくものすごいことか、が分かるから。

 

全ては相手の望むままに、ということです。

 

 すごく長くなりましたが読んで頂いてありがとうございました。

 

追伸

なんか、カナリヤが聴けるようになってきました。