現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

米津玄師、楽曲「再上映」の歌詞解釈と考察、ゆめうつつ新パートの感想

ゆえのです。

いつも読んで頂いてありがとうございます。

 

先に、米津さんのnews zeroのエンディングでかかっている楽曲「ゆめうつつ」が5月から新パートになっているので、その感想を書いていきます。

んー、1番なのか2番なのか全然わからないな…。しかも1/4の最初に出てきたのと同じでBメロから始まっているみたいだから、このまま6/16のCD発売までフルは分からずじまいになるのか、6月とかにAメロを新バージョンとして流してくれるのか、はたまた配信かMVかが来て全容が明らかになるのかならないのか…。

もおぉ〜〜〜!って感じでした。

全体的にとても優しいけれど、所々胸が痛くなるような歌詞たちでした。

感想終わり。

 

そして、今回は楽曲「再上映」の私なりの歌詞解釈と考察を書いていこうと思います。この楽曲は、3枚目のアルバム「Bremen」の3曲めに入っている曲です。

 

youtu.be

2015.10.7 リリース
【CD 収録曲】
01 アンビリーバーズ MIZUNO WAVE ENIGMA5 TV-CMソング
02 フローライト
03 再上映
04 Flowerwall ニコン D5500 TV-CMソング
05 あたしはゆうれい
06 ウィルオウィスプ
07 Undercover
08 Neon Sign
09 メトロノーム
10 雨の街路に夜光蟲
11 シンデレラグレイ
12 ミラージュソング
13 ホープランド
14 Blue Jasmine

 

4月末頃にようやくアルバムとして買いまして(それまで07のUndercoverしか持っていなかった)この「再上映」と「あたしはゆうれい」くらいしかまだまともに聴けてないのですが、「再上映」を聴いていて…サビのメロディの感じがなんか聴き覚えがあるなぁって思いました。

よくよく聴いて考えてみたんですが、この部分って米津さんの最初のアルバム「diorama」の1曲めの「街」のサビ前半部分と同じじゃね?って思いました。

厳密にいうと違いはあるものの、雰囲気というのか曲調というのかよく分からないですけどなんか同じとしか思えなくて、そこから「再上映」のサビで歌われている「そんな歌」とは、楽曲「街」のことだろうと推測しました。

私の耳が悪いだけかもしれないんですけど、この認識を軸にして、今回の解釈と考察を進めていきます。

 

歌詞ーーーーーー

ここは劇場街 いくつもの映画を
只ひたすら映しだす 退屈な街 光ばかり目立つ
壁一面の広告の中で
僕はそのひとつを 選びきれず 突っ立ったままいる

繰り返し思い耽けて やっと何か見つけて 辿り着いたところで
それは子供のころに観たものの 只の再上映

ーーーーーー

実を言うと、歌詞の意味としてはそのままを受け取ればいいのではないかと思うので、歌詞の意味の解釈ではなくなってしまうんですけど、このあとのサビで歌われる「そんな歌」が米津さんの過去の楽曲「街」であることを踏まえて考えた時に、とある漫画を私は連想しました。

走馬灯株式会社」という漫画です。

走馬灯株式会社 - Wikipedia

内容は、

>ふとしたことから自分の人生を振り返る事ができる場所「走馬灯株式会社」に迷い込んだ人物がDVDに記録された自分のこれまでの人生を観たことで不思議な出来事に巻き込まれていく。wikipediaより

というものなんですが、「劇場街」「映画」と差異はあるもののひょっとしてこの楽曲は、この「走馬灯株式会社」のオマージュソングではないか?と考えました。

単行本の発売が2010年〜2014年なので、まぁ可能性としてはなくはないなと思いました。米津さんの過去のインタビューなどでそんなことは一言も言っていないので真偽は分かりませんが、そう考えた方が後々まで辻褄が合うので、真に勝手ながらそういうものとして見ていきます。

つまり、この“僕”が見ているものは、過去の自分の記憶の「映画」ということだと思いました。

 

ーーーーーー

「そんな歌でも僕は歌うさ 何度でも繰り返し その答えを
たとえ世界が変わらなくとも いつまでも叫ぶよ その答えを」

ーーーーーー

「そんな歌」とは、“過去の米津さん”が出した楽曲「街」のことだと考えてこの歌詞を解釈すると、「その答え」とは楽曲「街」の中に書いてあることだと考えました。

下記に「街」のサビを抜き書きしておきます。

*****

『その献身の先へ 心は行く 強く
その諦観の奥へ 言葉は行く 深く
ほらー君の疑うものすべて
いつの間にか 君から抜け出した君だ』

*****

つまり、「再上映」のサビと「街」のサビ部分は、互いに呼応する関係になっているのではと考えました。

 

ーーーーーー

ここは劇場街 観客もまばら
それでも狂いなく 演者は歌う 光の向こうで
懐かしいような つまらないような
只ひたすらそれを 薄ぼんやりと観て 時は過ぎていく

ここで生きてる僕は 彼とどう違うのだろう?
何もできないままで やる気も無くただ口を開いて 日々を潰す僕と

ーーーーーー

>ここで生きてる僕は 彼とどう違うのだろう?

とありますが、“彼”は過去から未来の線上にいる自分であり、“僕”は“彼”の未来にいる自分だけども、現在という点にいる自分なのだろうと考えました。

 

ーーーーーー

「こんな僕でも風に押されて 何度となく未来へ運ばれてきた
きっといつしか僕に続いて 歌う人へ言葉を引き継ぐため」

*****

『その勾配の先へ 心は行く 強く
その幽閉の奥へ 言葉は行く 深く
ほら 君は一つずつ治しながら生きているよ
今 懐かしい朝の為』

ーーーーーー

つまり、“彼”は過去ー未来の線上で「街」を歌っている、ということです。

 

ーーーーーー

やっと映画は終わって 席を立ってなお僕は
彼の台詞がずっと 頭で響く
明日は多分こんな 今日に似ている毎日
悲しくなるくらいに 忘れていく日々で
そうだ僕は生きているんだ
手垢にまみれていようと

ーーーーーー

この部分の解釈はもう書かなくても言わずもがなって感じですけど、現在という点の視点から、過去ー未来の視点に気がついたということだと思いました。

 

ーーーーーー

「そんな歌でも僕は歌うさ 何度でも繰り返し その答えを
たとえ世界が変わらなくとも いつまでも叫ぶよ その答えを」

*****

『その献身の先へ 心は行く 強く
その諦観の奥へ 言葉は行く 深く
ほら 君の疑うものすべて
いつの間にか 君から抜け出した君だ

意味なんてない 退屈で美しいんだ
今 変わらない朝の為』

ーーーーーー

これで解釈と考察は終わりです。

いやぁ〜ホンット面白いわ、この人の楽曲。

 

そして、このアルバム「Bremen」は過去の米津さんのインタビューで“曲同士を対話させたかった”と言っていてそういうコンセプトになっているそうです。

じゃあ、この「再上映」の対話している楽曲は何かと考えたら、「Undercover」なのかなぁと思いました。

他にも「04 Flowerwall」と「10 雨の街路に夜光蟲」もそうかなぁとか

「05 あたしはゆうれい」と「11 シンデレラグレイ」もそうかなぁと思いました。

後者は特に、「あたしはゆうれい」が白雪姫っぽいのでそういうところでも関連しているのかなと考えました。

分かりませんが。

個人的には、「あたしはゆうれい」は「でしょましょ」とプレイリストに入れて鬼リピしてますが。

終わり。