現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

米津玄師、新曲「さよーならまたいつか!」朝ドラ『虎に翼』主題歌の感想と考察

ごきげんよう、ゆえのです。

読んで頂いてありがとうございます。

更新曜日ではないですが、書いていきます。

 

4月になっていよいよ朝ドラ「虎に翼」が始まりました。

[虎に翼] 伊藤沙莉 4/1(月)放送スタート!予告(2分Ver) | 朝ドラ | 連続テレビ小説 | NHK - YouTube

 

米津さんの主題歌のみのバージョンもアップしてくださっていたので貼っておきます。

[虎に翼] 主題歌 米津玄師「さよーならまたいつか!」オープニング(ノンクレジットVer.) | 朝ドラ | NHK - YouTube

 

感想は、朝聴くのにふさわしい爽やかな雰囲気の曲だなと思いました。途中で色々ドキッとしたりしたけど。

他の人たちの感想を見ると、「空に唾を吐く」や「しらねーけれど」の言葉が印象に残ったという声が多かったのですが、私は何故に「燕(つばめ)」なんだろう?ということが気になりました。(Aメロの歌詞に“燕”が出てくるのです)

燕…つばめとは?いや鳥だけど、その意味とは?それに類する言葉は何だろう?と色々検索してみたら、“燕は何の象徴ですか?”という質問があって、あ、これだと感じました。

 

ツバメ(燕)|日本国語大辞典・世界大百科事典・日本大百科全書|ジャパンナレッジ

抜き書きーーーーーー

ツバメの訪れは“快適な春の象徴”であり、泥をふくんで夫・仲よく巣づくりにはげむ姿は<双燕>と呼ばれ、天子の訪れのない宮女や夫と離れて暮らす妻,あるいは寡婦の悲しみをそそるものとしてしばしば詠まれる。また中国の画や詩では、ツバメとシダレヤナギとの組合せが見え,動と静の対比を通して優美な感じを与える。

ーーーーーーここまで

上の文章は、「伝承と習俗」の項目の「中国」からの抜き書きなんですが、正直コレで主題歌の部分(たぶん1番)は全部説明できる、と感じました。

 

>ツバメの訪れは“快適な春の象徴”であり、

のところは、歌詞の「どこから春が巡り来るのか知らず知らず大人になった」の部分に該当すると思いました。春とは米津さんの楽曲で言うなら“恋に落ちる”などの意味になると思うし、主人公の寅子が「天真爛漫で今までそういう“恋に落ちる”ことも知らずに、大人になる=結婚しなければならない」という状況を指しているのだと考えました。

 

そこに「見上げた先には燕が飛んでいた」の歌詞が続き、“快適な春”とは恋の成就を指しているのだと思いました。

「気のない顔で」というのは、日本でも

>害虫を沢山食べてくれることから、人にとって益鳥とされている。
「ツバメが巣をかける家は縁起がよい、幸せになれる」と、昔からの言い伝え

があり、人間には色々言われているけど当の燕からしたら“そんなん知らねぇよ”ということの意味なんだろうなと解釈しました。

 

>泥をふくんで夫・仲よく巣づくりにはげむ姿は<双燕>と呼ばれ、

の部分は「夫・妻仲よく」とありますが、“男女の分け隔てなく対等に肩を並べて”という意味にも取れると感じて、この朝ドラの舞台、今まで男性しかいなかった法廷の場に女性が入るということにも通じる気がしました。

 

>天子の訪れのない宮女や夫と離れて暮らす妻,あるいは寡婦の悲しみをそそるものとしてしばしば詠まれる。

の部分は、今まですることがそれをできなかった女性の立場や、主人公寅子と共に法の学ぶ女性たちの立ち位置を指しているようにも思えました。

 

>また中国の画や詩では、ツバメとシダレヤナギとの組合せが見え,動と静の対比を通して優美な感じを与える。

の部分は、柳は楽曲「月を見ていた」でも出てきましたが死に関係する樹木としてイメージされるし「動と静の対比」とは“生と死の対比”とも解釈できますね。

歌詞でも「さよなら100年先でまた会いましょう 心配しないで」や「100年先も覚えてるかな」と出てきますが、基本的に100年先には今いる人たちはまあまあ亡くなっている可能性の方が高い訳です。

 

Xでこういうポストも見ました。

 

以前、“中国では「蘇生のシンボル」旅立つ友に柳の枝で輪っかを作り「再会を願って」贈る”というそういった意見も見たことがあります。

 

 

ということで、現在公開された主題歌の解釈と考察でした。この先の2番や大サビはどうなるかはまだ“しらねーけれど”(笑)

配信は4月8日ということらしいので、楽しみにしています♪

終わり。