星野源さんが「音楽リテラシー」という考えを持っていることを最近になって知りました。
読んだ記事はこちらです。
重要だと思う部分を抜き書きさせて頂きました。
ーーーー
リテラシーの意味(ウィキペディアより)
原義では「読解記述力」を指し、転じて現代では「(何らかのカタチで表現されたものを)適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」という意味に使われるようになり(後述)、日本語の「識字率」と同じ意味で用いられている。
これを踏まえると、一般的に”音楽リテラシー”というのは「音楽を適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」といった意味になる。
*****
僕の思う嬉しい感想というのは、自分の中のイメージを話してくれたり、○○を思い出しましたとか、漠然とスゲー好きですとか、すごく良かったですとかっていうのが僕は嬉しくて。それが音楽と一番ピュアに接している一番良いリテラシーなんだと思うんです。
*****
>音楽リテラシーのある人の例(本人の発言より)
>「音楽をそのままの音楽として受け取れる人」
>「音楽を聴いて、そのまま自分のイメージを膨らませることができる人」
>「自然と自分の思いを感じて、音楽をただ受け取ること」
>「自分だけのイメージだったり、自分の思うままの景色を広げる」
ーーーーここまで
読んで思ったのは、正直に言うと、私は結構これができているのではないか?ということです。自分の脳の特性によるところが大きいですが。
以前の記事で書いた
「点で生きる思考なし」と「百ゼロ知性」 - 現実と妄想のはざま(改)
から抜き書きしますが、
ーーーー
それにくっつけている「思考なし」という特徴は、物事の捉え方や言葉の捉え方が、自分の中でそのままで点として、他の点と何も繋がらない状態のままになっていることだと思っています。
他の点というのは、例えば、自分の顕在意識のプールの中での思いや考えや解釈、過去に認識したこと理解していることなど様々な数のものが点になっているというようなことです。
普通の人は、その顕在意識のプールに新しい物事や言葉が入ってきた時、無意識に即座に他の要素と繋がるのではないかと思います。それが、先入観とか偏見とか色眼鏡と言われるものかもしれませんが。
私の場合は、生まれたままの状態というのか何も意識しなければ、何にも繋がらず点の状態のままでい続けるということです。
ーーーーここまで
の部分が、見方が変わると上記の「音楽リテラシーのある人」のように見える、ということなんだなと思いました。
事実「カナリヤ」の解釈と考察の記事を書いた時も、米津さんの雑誌インタビューの記事を既に読んだことがあるにも関わらず、一瞬も私の脳は思い出させることはありませんでしたしね。
それだけなんだと思いました。