現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

6、現実とは

スピ某所で教えてもらった文章や本などを差し障りのない範囲で紹介していっています。

今回は「現実とは」に関連したことについて、紹介していきます。

 

《現実との距離》2014/03頃の投稿です。

抜き書きーーーー

まだまだ現実との距離があると思う。深感覚や統覚(共通感覚)はとても大切なものだが、なかなか深まらないのはなぜだろう。

現実にいて現実との距離?何を言っているのか。現実逃避ってことか。

たしかに、現実逃避もある意味距離の問題だろう。だが現実逃避にはどこかで現実を知っているという側面がある。知って距離を取ろうとするのが現実逃避だろう。

ここで現実との距離があるというのは、現実の中に居て現実を知らず非現実化している状態のことだ。するとどうなるか。

まず落ち着かない。どこかしっくりくるものがない。ふわふわと浮遊しているのだがその自覚を持つことはなく、何かをやっていなければ不安に襲われる。

あなたの現実はどこに在るか。イマココ!というふうに指し示すかもしれない。だがその言葉も信用するべきじゃない。自分が使うそのイマココという言葉で自分を欺かないほうがいい。

どこまで行っても逃げることは出来ないと知っている現実逃避には消極的な意味での知性が働いている。一方、欺きのイマココは知性の疎外を起こす。自らによって疎外された知性による非現実化状態。

積極的な知性と消極的な知性は薄紙一枚のむこうとこちらにあるが、その薄紙の深みは見えないブラックボックスのように理解が難しいものだ。

そのブラックボックスには〈べき〉〈べし〉〈つもり〉が詰まっている判断と予定の集積回路。しかし回路図はない。そういうふうにも云える。知らず知らずじわじわ蝕む妄想システムとも云えるだろう。そしてその蝕みはこの世に生まれ落ちると同時に始まる。

わかると思うが、若くして惑星レベルの共通感覚を喪失していくプロセスや人生の晩期に成熟とは真逆の人間をやめてしまうプロセス、これらには共通して見えないブラックボックスが介在している。

〈能動的な最大受容の稽古によって全面受容へと突き抜けて行こう。「能動的な全面受容」こそが、真に「力」と言えるもの〉、リマインダーの呟き

 

仮面の瞑想による目前心後や、「あなたが一番、わたしは二番目」という触媒

これらは〈薄紙の深みは見えないブラックボックス〉を破壊する試みだ。

そしてそこには能動的な判断留保が先行して動いている必要がある。あなたがたがいつも忘れていることだ!

能動的な判断留保、受容、受け止めは真に「力」と言えるものだが、瞬間的に判断留保を忘れ去っていると「力」は生まれない。繰り返し繰り返し忘れる。結局今の自分の心グセで生きるしかなく現実を知ることがない。

ブラックボックスによって現実に居ることは非常に困難になっている。だが徹底的な判断留保によって破壊出来る。少なくともフラジャイルにしておくことが出来る。

だから見えないブラックボックスを破壊して「在る」に近づいていこう。そうすれば現実に居てまぎれもなく現実に居るようになる。あなたが落ち着く。

人生が燃焼することと能動的な判断留保は切っても切り離すことが出来ない。そのことをいつも考えて欲しい。 > ALL

ーーーーここまで

 

仮面の瞑想とは、坂部恵『仮面の解釈学』を元にしてつくられたものです。うまく説明できるほど読み込めている訳ではないので、本だけ紹介しておきます。

あー、今考えるとホント勉強不足だったわー。

仮面の解釈学

仮面の解釈学

  • 作者:坂部 恵
  • 発売日: 2009/10/01
  • メディア: 単行本
 

 

「 あなたが一番、わたしが二番目」という触媒、に関しても同様ですが、現実に関しての投稿があったので、長いですが、掲載しておきます。

 

《(いつだって)あなたが一番、わたしは二番目 〜現実》から抜き書き

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●リスク回避からリスク選択へ
われわれは全てを知っている(内蔵秩序=根源的レベルにある全体性)、だが、方向性とリスク選択により何れの知識を取り出すのか(顕然秩序=立ち現れる宇宙・世界)、それによってわれわれの智が生まれ、人生の美が生まれる。

 → ここに自己組織化の出発点がある
(リマインダーより)


●存在把握へ赴くこと、それはすなわち「現実」に居ること

ちと小難しい話を……(^^;、おまけにちと長いっす

 

すべては自己の裡に在る。「現実」とはそういうふうに根源的レベルにある全体性(内臓秩序)から何を選択するかによって立ち現れる宇宙・世界の総称です。

これは本来的ではあるけれど理解のうえではとても難しいことを云っています。

世界の内臓秩序があなたに開示されるとき、世界はどうしているのでしょう。
世界の内臓秩序があなたに開示されるとき、あなたはどうしているのでしょう。

まず次のことを抜きに云々することが出来ません。
「他者を自己の裡に引き込むか、自己を開き続けて他者の裡に引き込まれるように在るか」

他者を自己の裡に引き込みながら自己に閉じていくような有りようをデカルト風に云えば、紆余曲折しながら近代─現代の精神を目覚めさせた「我思うゆえに我在り」という知性に棲むこと。

〈疎外〉された知性からはなぜ智彗へと向かえないのか、その理由は「非現実」に棲み続けるからです。

「我思うゆえに我在り」という近代精神は〈疎外〉の選択へと向かい、次第に人々に世界の開示は起こらなくなっていった。

何から〈疎外〉されているのかと云えば「存在(在る)」。疎外とは存在へ立ち戻る道(未知)を自ら消し去っていく自家撞着の選択です。方法的懐疑という科学の根幹を成す態度によって、マザーから〈疎外〉されている状態。
(註)日本の思想家吉本隆明は宗教・法・国家と経済を〈疎外〉という角度で論じ、共同幻想論を著した。ここで云う〈疎外〉は似ていますが同一ではありません。

残念ながらこの状態をこれ以上やさしく言い表すことが出来ない、わたしの能力不足のためですが、この状態に無関係なひともいないのです。

 

●自己を開き続けて他者の裡に引き込まれるように在るか

***

どこまで行っても逃げることは出来ないと知っている現実逃避には消極的な意味での知性が働いている。一方、欺きのイマココは知性の疎外を起こす。自らによって疎外された知性による非現実化状態。

積極的な知性と消極的な知性は薄紙一枚のむこうとこちらにあるが、その薄紙の深みは見えないブラックボックスのように理解が難しいものだ。

そのブラックボックスには〈べき〉〈べし〉〈つもり〉が詰まっている判断と予定の集積回路。しかし回路図はない。そういうふうにも云える。知らず知らずじわじわ蝕む妄想システムとも云えるだろう。そしてその蝕みはこの世に生まれ落ちると同時に始まる。

わかると思うが、若くして惑星レベルの共通感覚を喪失していくプロセスや人生の晩期に成熟とは真逆の人間をやめてしまうプロセス、これらには共通して見えないブラックボックスが介在している
(現実との距離 より)

***

「我思うゆえに我在り」は歴史を通して地球を覆い、智彗をじわじわと蝕み、薄紙のような鼻先一枚先に非現実を生み、そこに現実・非現実を隔ててしまう強固なブラックボックスを設置してきました。

現実と非現実があると現実に居ることが出来なくなります。現実が分離したものが非現実であれば双方に居るということもありえますが、非現実は現実が分離した現実ではないので、非現実に居ることしか出来ない。

われわれは、生まれ落ちると「他者を自己の裡に引き込むか」から始めます。

三途の川の中点から生まれた死ともっとも親密な状態の意識は、手始めに「他者を自己の裡に引き込む」ように生き始めるのです。この時、ブラックボックスはまだ強固なものではなくふにゃふにゃで柔らかい。まだ、〈べき〉〈べし〉〈つもり〉が詰まっている判断と予定の集積回路ではないのです。

「他者を自己の裡に引き込むか、自己を開き続けて他者の裡に引き込まれるように在るか」という2つは、ふにゃふにゃで柔らかいブラックボックスがすでに介在していたとしても親密です。

ここでは、嬰児や幼子が全能感に浸っていたとしても親密なのです。まだ生まれ落ちるための条件とリスク選択が高い水準を保って効いているからです。

しかしあっという間にこの状態は崩れます。

すくなくとも3歳になる頃には「我思うゆえに我在り」型の強固なブラックボックスが生成され、結果、非現実の中に幽閉されて生きるようになるのです。

エソテリックに云う1番のチャクラは、肉体の基礎を養う3歳・5歳・7歳のタイミングで活動状態を変えていきますが、その最初の3歳のときにはすでに「我思うゆえに我在り」型の強固なブラックボックスはあるということです。

問題はここからです。

チャクラ1番から7番への旅は、物質重力と意識的重力のパラドックスによってしかも必然的に生じる強固なブラックボックス解除の旅であるはずだったのです。それは、エソテリックな教えを紐解くまでもなく、惑星レベルの共通感覚を使いながら〈成熟〉しかも〈死への成熟〉の旅です。

ところが真逆なことが起こるようになった! 或る日本の哲学者は「人生とは生まれた時に始まる無限後退かもしれない」と言いましたが、彼の感想に近い旅路が始まる。

現実って○○○のものだからと言われてもワカろうはずもなく、非現実って□□□なんだからそこから出ておいでと言われてもサッパリです。そもそも言語的理解を超える問題だから言葉で指し示すことは困難。これでは方法(=希望)にならない。

われわれは全てを知っている(内蔵秩序=根源的レベルにある全体性)は、われわれは自己についてほぼ何も知らないという地点からその二重性を逆立的に問わなければならず、現実・非現実を直接扱うことは出来ません。

しかし方法はある。現実との距離と同じ帰結ですがもう一度書いておきます。

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〈能動的な最大受容の稽古によって全面受容へと突き抜けて行こう。「能動的な全面受容」こそが、真に「力」と言えるもの〉、リマインダーの呟き

仮面の瞑想による目前心後や、「あなたが一番、わたしは二番目」という触媒

これらは〈薄紙の深みは見えないブラックボックス〉を破壊する試みだ。

そしてそこには能動的な判断留保が先行して動いている必要がある。あなたがたがいつも忘れていることだ!

能動的な判断留保、受容、受け止めは真に「力」と言えるものだが、瞬間的に判断留保を忘れ去っていると「力」は生まれない。繰り返し繰り返し忘れる。結局今の自分の心グセで生きるしかなく現実を知ることがない。

ブラックボックスによって現実に居ることは非常に困難になっている。だが徹底的な判断留保によって破壊出来る。少なくともフラジャイルにしておくことが出来る。

だから見えないブラックボックスを破壊して「在る」に近づいていこう。そうすれば現実に居てまぎれもなく現実に居るようになる。あなたが落ち着く。

人生が燃焼することと能動的な判断留保は切っても切り離すことが出来ない。そのことをいつも考えて欲しい。

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〈「あなたが一番、わたしは二番目」という触媒〉と〈自己を開き続けて他者の裡に引き込まれるように在る〉をイコールで結んでおいてくださいな。> ALL

ーーーーーーここまで

終わり。