現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

新年のご挨拶と米津玄師、楽曲「Flowerwall」の感想と連想しての運命の相手の考察。

1/16、ぶっ飛ばすを飛ばすに訂正。

 

明けましておめでとうございます。🎍⛩🌅⛩🎍

今年もよろしくお願い致します。

 

年末の夜は夕食に年越しそばを食べて、紅白を見ていました。

毎年のことですが、今回はコロナウイルスの影響で色々趣向というのか工夫を凝らされていて、楽しく観させて頂きました。

私の場合、紅白というと、最後に蛍の光を歌う時の、出演された皆さんが皆んな舞台に立ってわちゃわちゃした中での映像が思い浮かぶんですが、今回はそれができないということで、改めて大変な年だったんだよなということを思いました。今も現在進行形ですが。

 

年末年始は割とずっと米津さんの楽曲「Flowerwall」を聴いていました。

今回は、感想やそこから連想した「運命の相手」の考察になるので、楽曲自体の解釈と考察はしておりません。ご了承ください。後で、最後にちょこっと解釈と考察を追加しました。

リリースされたのは、2015/01/14。シングルの一曲目です。

MVはこちら。

youtu.be

クリスマス後くらいからぐるぐるしていて、MVも何回か見たのですが、

んー………粉々が気になりすぎて、歌に集中できない、というのが本音でした。

ノド…大丈夫なんですか、とかな。

我慢して何回かは見たんですが、曲自体はとても綺麗で素敵な曲だと思いますが、ちょっと…いや、どうにもこうにも受け付けられない部類に入るMVだなという結論に達しました。すみません。

 

歌詞はこちらーーーー

あの日君に出会えたそのときから 透明の血が僕ら二人に通い
悲しみも優しさも 希望もまた絶望も 分け合えるようになった

知りたいことがいくつもあるというのに 僕らの時間はあまりに短く
あとどれほどだろうか 君と過ごす時間は 灯りが切れるのは

君のその声が 優しく響いた
こんな憂いも吹いて飛ばすように

フラワーウォール 目の前に色とりどりの花でできた
壁が今立ちふさがる
僕らを拒むのか何かから守るためなのか
解らずに立ち竦んでる
それを僕らは運命と呼びながら
いつまでも手をつないでいた

このあまりに広い世界で僕たちは 意味もなく同じ場所に立っていたのに
僕の欠けたところと 君の欠けたところを 何故かお互いに持っていた

どうして僕らは 巡り会えたのか
その為だけに 生まれてきた様な

フラワーウォール 独りでは片付けられないものだろうと
君がいてくれたらほら
限りない絶望も答えが出せない問いも全部
ひとつずつ色づいていく
離せないんだ もしも手を離せば
二度と掴めないような気がして

誰も知らない見たことのないものならば今 僕らで名前をつけよう
ここが地獄か天国か決めるのはそう 二人が選んだ道次第

フラワーウォール 目の前に色とりどりの花でできた
壁が今立ちふさがる
僕らを拒むのか何かから守るためなのか
解らずに立ち竦んでる

それでも嬉しいのさ 君と道に迷えることが
沢山を分け合えるのが
フラワーウォール 僕らは今二人で生きていくことを
やめられず笑いあうんだ
それを僕らは運命と呼びながら
いつまでも手をつないでいた

ーーーーここまで

好きな人との恋が実って、長い時間を共にすると色々な壁にぶつかることと思います。

嫌いだと思う面がたくさん見えてくるかもしれない。喧嘩や対立してしまうかもしれない。でもそれはただの固く冷たい壁ではない。ということを歌っているのだと思いました。

 

最初の

>あの日君に出会えたそのときから 透明の血が僕ら二人に通い
>悲しみも優しさも 希望もまた絶望も 分け合えるようになった

という歌詞や「運命」という言葉も入っていることから、コメント欄でも、「ツインレイ、魂のつながり、ソウルメイトという深い深い繋がりと出会っている人の歌に聴こえる、」というのも見かけました。

 

ツインレイとは何かの説明を下記に書いておきます。

ツインレイの意味ーーーーーー
「ツインレイ」とは、「自分の魂の片割れ」のことを言います。
スピリチュアルな話になりますが、この肉体に宿りこの世に生まれたとき一つの魂が2つに別れると言われています。この時別れたもう片方の魂が「ツインレイ」です。
ツインレイは固く結ばれていて、ほとんどが男女の対になっているので「運命の相手」なんて言われています。
*****
ツインレイ男性とツインレイ女性のつながりは、前世までさかのぼります。 前世では2人は1つの存在として、同じ魂を共有していました。
しかし、輪廻転生のときにトラブルによって、1つの魂が2つに分かれてしまったのです。 2つに分かれた魂は、そのまま2人の男女として転生します。
転生した今でも、同じ魂を共有していた過去が2人をつなぎます。 そのため、ツインレイは運命の人や魂の片割れと言われることもあるでしょう。
ーーーーーーここまで

私も「運命の相手」と出会った、と散々ブログで書いているので、この話題は避けて通れないなと思い、今回自分なりの考えを書いてみようと思いました。年始早々、アレですが。

 

結論から言うと、まぁ同じようなものなんだろうと思っています。感じるものはあるので。

ただツインレイの場合、1つの魂が2つに分かれるとか、輪廻転生の時のトラブルで1つの魂が2つに分かれる、ってのがよく分からなくて、だいぶ懐疑的になっています。

私の場合は前に居たスピ某所での情報から、魂はその人の人生1回こっきりのもので、魂の転生は無いという考え方でいるからです。1つの魂が2つに分かれるとか…ホント意味がわからないんですけど。

 

 

それに「運命」という言葉の意味も、だいぶ世間一般的の考え方と私の考え方で、大きくズレがあるように思いました。

運命の相手=運命的なつながり、と定義するとして、私の中では「運命」と「つながり」が繋がらないんですよねー。

「運命」はそれ以上でも以下でもないような気しかしないんですよね。1人でも2人になったとしてもそれは変わらないと思うんですよ。2人が運命的に出会えたとして、それが「運命」とどうして繋がるのか、が分からない。

 

自分の発達障害の特性が出てるのかとも思ったんですが、まず運命とは何か?を検索すると、

>運命とは、人の意思や思いをこえて人に幸・不幸を与える力を意味する。

>運命論では、人の幸福・不幸などは、人の力を超えたところであらかじめ決まっていると考えること。

とあって…幸か不幸かぐらい自分で決めるワ!とも思いましたが、まぁそれは置いといて。

2人が運命的に出会えたとして、そのあと「つながり合う・つながり続ける」かどうかっていうのは、境界線の概念を用いるなら、その都度その相手がどういう人かによって自分の決定権の範囲内で、今後もつながり合っていくかいかないか、を決められるものだと思うんですよね。

運命的な出会いをしたからといって、その後もずっとつながり合っていなければならないという風に「運命」の言葉が制限をかける材料になるのはちょっと違うんじゃないかなぁって考えたんですよね。

 

好きな漫画の1つに「赤髪の白雪姫」というものがあります。それの3巻からこの話題に合った台詞をのせておきます。

 

Z「あのな、白雪が今この城にいるのは、あの日の事を隠すためじゃないぞ。

………まあ確かに、この先も俺が白雪といられる保障なんてのはないけどな。

いいか、約束されていないからそうありたいと望むんだ。

だから人は動く」

 

こういう考え方の方が好きだなぁ。

 

それと、2人が運命的に出会えたとして、それが「深いつながり」であるとどうして言えるのか?とかそこが繋がらないのかなとも考えました。

それか、「深い」と「つながり」が繋がらないんだろうか?とも思いました。

「深い」という言葉は、「浅い」との比較が出来なければ分からないことのような気がして、ここに自分の特性が出ているような気がしました。

 つまり、上記が繋がらない、と。

 

話を戻して、私が考える「運命」の意味は、この世のどこかに私の人生はこうすれば上手くいく、成功するという人生の取扱説明書みたいなものがあって(それは占星術だと思っていますが)そういうのが「運命」だと考えているみたいです。そして、そのとおりにするかしないかは自分で決めることだとも思っていて、私はずっとそれに逆らうように生きていたのかなぁと思いました。

 

「運命」ってのが本っっっ当に嫌いで、その通りにやれば人生上手くいく!なんて全然面白くないじゃん!と無意識に感じていて、それの逆まではいかないかもだけど、なるべくそれを避けていって、果たして上手くいくのか?みたいなことをこれまでずっと検証してきていたのかもしれません。

まぁ当然のごとく全然上手くいかないんだけど、それでも「運命」に逆らっている感はあるわけなので、ほとんど失敗続きだとしても、それはそれで大変満足のいく人生を送ってきたのかもしれません。

 

つまり、運命通り歩かないことに人生を賭けていたのかもしれません。ホントにぐっちゃぐちゃになっても構わなかったのかもしれません。分かりませんが。

小心者なのでリカバリー?がきくレベルでしかやってない感じもありますが。

 

そんな私にとっての「運命の相手」とは、上記のような、おかしな自分のわがままには巻き込めない、付き合わせる訳にはいかないと思う相手、ですね。

 

*****

そういえばずっと聴いていたら、「地獄か天国か」の歌詞の後ろの言葉は同じ「ごく」って音だなぁと気づきまして。

取り替えてみようか、と考えました。

 

地国と天獄

(注:これは造語です。本来こういう単語はありません。)

 

私は、運命の意味を「天獄」のように感じているのかもしれないと思いました。

そんで、地国=現実で、天獄=夢なのかも。

見るだけならいいけど囚われてしまうと…っていう感じかもしれません。

 

私にとって「運命の相手」とは、夢に属するもののように考えている所があるみたいです。

コメント欄で、「一緒に幸せになろう、よりも、あなたと一緒なら不幸になっても大丈夫、と思える相手を探したくなるような曲」とありましたが、私にとっては、天国が天獄になってしまってもいいよ、と思える相手なのかもしれないと思いました。

*****

Flowerwall」からだいぶ離れてしまったので、最後に戻しておこうと思います。

題名や歌詞は「花の壁」なのに、MVでは何で主に「粉」なんだろう?と思って考えていました。

はっ!「粉」って壁を粉砕した後の粉を表しているのか〜?っていうことに気づきました。

じっくり観てみれば確かに、

>それでも嬉しいのさ 君と道に迷えることが
>沢山を分け合えるのが
>フラワーウォール 僕らは今二人で生きていくことを
>やめられず笑いあうんだ
>それを僕らは運命と呼びながら
>いつまでも手をつないでいた

の歌詞の前?3:50辺りくらいから徐々に、粉が固まりになって落ちてきている描写になっていて、最後に「花の壁」を粉砕して終わっているんだワ!ということに気がつきました。後奏はメロディが壮大な感じになっているので、余計にそう思いました。

 

もう少し細かく観ると、上記の前の歌詞の

>僕らを拒むのか何かから守るためなのか
>解らずに立ち竦んでる

の部分では、「何かから守るため」に花の壁があったのなら、壊してしまって良かったんだろうか?という意味で、呆然と「立ち竦んでる」ようにも見えました。

そんで「それでも嬉しいのさ」って入っていくのは…相当エモいなとも思いました。

後奏では粉砕加減がより顕著になってて、芸が細かいわ〜、好きだわ〜ソコだけだけど。と思いました。

終わり。