現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

「知ってるつもり 無知の科学」という本

8/2、ちょこっと修正。

ゆえのです。

いつも読んで頂いてありがとうございます。

 

前に書いた記事で、

音楽の船と16、母音と子音〜音・音楽について/ルドルフ・シュタイナー - 現実と妄想のはざま(改)

>自分が今いる周りの環境にしてもあまりコロナの影響を受けずにいるある意味お気楽な立ち位置にいて、オリンピックに対しても賛成とも反対とも言えないくらい関心を持って見てこなかった自分を痛切に感じました。

>遅すぎるとは思うのですが、これからはもっと疑問と関心を持って見ていこうと思います。

ということを書いたんですが、それって結局政治のことを考えるということと同義なんだけど、どう向き合っていったらいいのか分からないなぁと思っていた矢先に、下記のこちらの方のこのツイートを見つけました。

 

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この本は前に買ってあって読んでいたんですけど、そんなこと書いてあったっけ…とか思ってしまいました。政治に興味がなかったので読んでいたつもりで読んでいなかったのだということが分かりました。気づかせていただいてありがとうございます。

 

 

該当する部分を抜き書きしておきます。

抜き書きーーーーーー

通常、政策について考えたり議論したりするとき、私たちは因果関係を説明しようとはしない。政策論議の内容は、なぜ自分が特定の考えを支持するのか、自分と同じ意見なのは誰か、政策のどの部分が自分の価値観と一致するのか、それについて今日ニュースでどんな話を聞いたかといったことに終始する。
*****
通常ある問題についての自らの立場を考えろと言われると、なぜそう思うのかを振り返る。そうするとすでに持っている意見を支持するような論拠が浮かんでくるものだ。その政策がどのような良い結果や悪い結果に結びつくかといった因果関係を考えることはない。
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政策の影響は、それに対する自分の気持ちを考えているだけではわからない。政策そのもの、すなわち具体的に誰がどのように実施するのか、その世界では次に何が起こるかを考えなければならない。
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必要なのは、政策そのものを考えること、具体的にどのような政策を実施したいのか、その政策の直接的影響はどのようなものか、その影響の影響はどのようなものかを考えることである。つまり、ふだん行っている以上に物事の仕組みについて深く考える必要がある。

ーーーーーーここまで

つまり、「(意見の)理由の説明」よりも「因果的説明」ができるようになった方がいい、ということなのだと思いました。

 

今やっているオリンピックとコロナの感染が拡大していることの因果関係は、火を見るよりも明らかだと思うんですけど、トップの人たちの目は因果的なことよりも他のことに向いているよなぁということがよく分かる状態になってしまっていますね。

終わり。