ごきげんよう、ゆえのです。
いつも読んで頂いてありがとうございます。
先週書こうと思っていたことを書いていこうと思います。
まあインナーチャイルドの軸シリーズみたいになってますけど。
今回も重たい話になると思うので、【閲覧注意】を付けてます。
ちょっと前になるんですが、ツインレイ関連の講座で女性性を解放するという内容を受けた時に気づいたことなんですが、私は女性性も男性性も両方潰れてしまっているような印象を持ちました。
男性性女性性に関しては、ぶっちゃけ、よく言われる男性脳女性脳やLGBTQ+の中で言われている自分の性がどちらになるのかまたはどちらでもないのかという性自認で出てくる男性女性の区別と、どういう風に違うのかっていうのが未だによく分からないんですが、とりあえずこの記事に関しての男性性女性性の定義として、下記のページを参考にさせていただきます。
男性性と女性性7つの違い:男女が分かり合ってパートナーシップ・夫婦仲をよくする方法 | 一般社団法人アクセスリーディング協会 公式ブログ
この中の
2.男性は受容を、女性は共感を求めている
という部分に自分の女性性男性性が潰れてしまった要因があるなということを感じました。
「女性は共感を求めている」という部分です。
これは女性を蔑んでいるとかディスってるとかそういう意味合いはないつもりです。
でもこの「共感を求める」ことが行き過ぎると、私が思っていること以外は例え論理的世間的には正解であっても全部間違い、みたいなことになるんだろうなぁということを感じています。
私の母の話になるんですけど、そういった意味では女性性の強い人で割といつも自分と同じように思っててくれないと気が済まないみたいな感じになっていたような気がします。ちょっとでも自分の意に沿わなければイヤミを言うし、自分の思い通りに動いてくれないとヤダみたいな感じでした。少なくとも私はそういう意味合いに受け取っていました。
でもそれを子どもにやられると、自分の思いを発することも自分の気持ちを信じて行動を起こすことも何にもできなくなるんですよね。
例え何かやれたとしても、その結果を自分で受け取ることができないという悪循環になってしまっていたような気がしました。
自分でアウトプットすることも、その反応を悪いものも良いものも全然受け取ることができなくて現在このブログでも垂れ流し状態になっています。
そのツインレイ関連の講座で個人セッションもあるのでそういうのを受けて、少しでも改善していけたらいいなと思います。
終わり。