現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

嫌なことに対処する3、境界線

1/23、色々加筆しました。

 

RCメゾットの"心の構造を知るベーシックセミナー"で「境界線」というものを教わりました。

 

心の境界線のことです。決定権の範囲を示す境界線だということを教わりました。

人は、自分の人生全般のことを自分で決めることができる権利を持っています。

それが人権です。

 

前回まで書いていた、私が嫌だと思った叔母の発言や考えを、叔母は言っていいのです。

 もっと言うと、叔母には私を傷つける自由がある、ということです。権利ではありません。

私を傷つける言葉を言うか言わないか、は、叔母が決めることなのです。

 

 

そして、叔母は私が何を言ったら傷つくのかを知らない可能性の方が高いです。

 

今回は、メイク教室に行った私に、自分にはそんなにお金を掛けられないからできればタダで教えてほしい、という欲の方が強くて、実際にそれを言ったら私がどう思うのか、というそこまでの考えには至らなかった、というのが真相でしょう。

 

よくよく考えてみたら、あの場で叔母のメイクしている顔を褒めつつ牽制する、ということはしていましたね。

叔母も馬鹿ではないので、自分の言葉で私がどう思ったか、ということはひょっとしたら気づいたかもしれません。わかりませんが。

 

そして、私自身が自分にした、叔母の言葉に自分を寄せることで自分の経験の価値を打ち消してしまった形で自分を傷つけたことは、私の問題であり、自他の境界線がない状態である、と思っています。

 

 

 

ここまでで2つの境界線が出てきています。

決定権の範囲を示す境界線、自他の境界線、です。

 

自他の境界線は私の決定権の中にあるものなので、大きく分けると決定権の範囲を示す境界線の中に入る、と言えるものなのかなと思いました。

 

でも、決定権の範囲を示す境界線のことを「自由の境界線」という解釈をすると、自他の境界線はそれの前提になる境界線かもしれないとも考えました。

 

自分と他人が違うものである、と認識がないと、相手を自由を認めることはできないからです。

 

追加。

結論を先に言うと、決定権の範囲を示す境界線=自由の境界線、と

自他の境界線は、似て非なるものなのだなと分かりました。

 

自由の意味は、自らに由るとして<自らにもとづく><自らによる>ことです。 

自他の言葉はイメージ的には決定権の外に目を向けるような印象を持ちました。

 

 

 

最近、とある記事を読みました。

忘年会とか食事会などの時に、4万円かかってそれを5人で分けて払うことになりました。1人8千円です。

その中の1人が、5千円の商品券と現金3千円で支払いました。

 

その後で、こういう文句が出たそうです。

5千円の商品券があるのなら、4万円から5千円を引いて3万5千円にしてから5人で分けるべきだと。

 

どこがおかしいのか分かりますか。

 

その文句を言った人は、その5千円の商品券は皆んなで分ける権利があるモノだ、という風に考えたと思うのです。

実際には、それを使う権利は出した人にしかないにも関わらず。

 

お金ならその人にしか使う権利はないということは分かっていると思うのですが、商品券というモノになった途端に、それが分からなくなってしまったのです。

 

自他の境界線がなくなってしまった1つの例だなと思いました。

 

その後で、商品券を出した人がこれは自分にだけ使う権利があるものだ(だってこれはお金と同じモノなんだから)と主張しても、文句を言った人は理解できないと思いました。

出した人と、自分含めた他の4人との境界線が分からなくなってしまっているからです。

 

 

自閉症スペクトラムじゃなくても、まず、自他の境界線で自分と他人の区別をつけることは大事なんだなと思いました。 

あ、でも出した例だと、「所有の境界線」が分からなくなったとも言えるのかな。うーん。でも結局それも自他の境界線がベースだよなぁと思ったりなんだり。

 

追記。

「所有の境界線」の視点から見ると、商品券は誰のお財布から出てきたか?という話になり、所有権は出した人のものだということが分かります。

それをどう使うのかはその出した人の自由なわけで、文句を言った人にその決定権はない訳です。

 

仮に文句を言った人の言う通りにしたとしても、その人を含め他の4人が1千円分得をして、その分を商品券を持っていた人が余分に出さないといけなくなるのです。

それを強制する権利はありません。

 

 

無意識にでしたけど、自他の境界線のことを考えながら書いていたら、「権利」の言葉を連発していましたね。

権利の意味は、

人間の生活関係において各人に帰属すべき利益 (たとえば所有者の現に有する利益,買主の物を取得しうるという利益など) を保護するため,法が各人に与えた利益を主張しうる力。

とありましたけど、この場合は法は特に関係ないので、権に利する(得する)と漢字を分解してみると、なんとなく何を重視したいのかが分かってきますね。

 

決定権の範囲の外に目を向けるようになってしまうのかなと思いました。

「自他」の言葉が、後に他が来るからか、自分に目を向けられなくなってしまうような印象を持ちました。

 

「自他」でも間違ってはいないけど、ただくっつけた言葉とよく練られたものとは全然違うものだということが分かりました。

書かないと分からないものだなとも思いました。

 

失礼な内容になってしまってすみませんでした。

追加2

って何で謝っているんだろうと思ったんですが、なんか百ゼロ思考になっている自分がいますね。謝ったのは知らずに検証する形になってたからなんですけど、RCメゾットを信じる?のなら検証もしてはいけない!という風に考えてたみたいです。

極端に考えることも自閉症スペクトラムの特にASDの人の特徴とも書いてあったんですが、やっぱり無意識に出るんだなと思いました。