現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

米津玄師、楽曲「Undercover」の解釈と考察

今回は、米津玄師、楽曲「Undercover」の解釈と考察です。 

以前の記事にライブDVDを持っていると書いたので、そちらを観ての感想兼解釈と考察を進めていきます。

MV等はないので、こちらを貼っておきます。

youtu.be

0:45辺りから「Undercover」です。

 

楽曲自体のはこちら。公式じゃないので消えるかもですが。

youtu.be

 

 

 

まだDVDの楽曲全部は観てないのでアレなんですが、ざっくり感想を言うと、バンド形式タイプと世界観演出タイプに分かれている感じがしました。

「amen」や「Undercover」は、世界観演出タイプですね。

 

まずは感想から。

Undercover」は太鼓叩く人たちが出てくるんですが(10人ほど)出てきかたからしてもう格好良くて、ですね。照明の使い方も格好良くて、ですね。もちろん楽曲も格好良いもんで、ハマって2時間くらいぶっ続けでコレだけを繰り返し観てて、家族にそれを言ったら「怖いよ!」とか言われてしまいましたが。

 

何でしょーね、この中毒性というか何というか…。

 

そしてそれ以上に…ヤバくない?この舞台演出。って思ったんですよね〜。

「amen」もヤバいと思ったんですが、また違った意味でヤバい!って思ってなんか…怖くなってしまいました。

 

何でしょーね、この曲全体を支配するような「逃・が・さ・な・い」感。。。

 

 

ということで、ここを軸にして解釈と考察をしていきたいと思います。

 映像はここに貼れるものはないのでなるべくネタばれなしで、低くしようと思うのですがヒントをもらっている部分もあるので、映像から1%、歌詞から99%で。

ちなみに「Undercover」の意味は、

秘密に行なう、秘密の、(特に)諜報活動に従事する。隠れて、内密に

だそうです。

 

 

Undercoverの歌詞

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1、

どうやってあがいたって 逃げられやしないもんだって
理解してみたってどうしようもない

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ここで、逃げられやしないって言っています。でも何から?

 

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さあ今夜逃げ出そうぜ ありったけのお菓子もって
きっと役に立つと銃も携えて

ーーーーーー
ここで、逃げだそうって言っています。でも何から?

 

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ハッピーなエンドがいいんだよ 誰だって喜べるみたいなさ
そんなことを思いながら僕はずっと生きていくのか
いつかもし僕の心が 完全に満たされたとしたなら
その瞬間に僕は引き金をひきたい

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それは何故?という疑問も浮かぶのですが、それは後に回します。

 

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どんな今も呑み込んでいけば過去に変わっていく
進む方はただひとつ
いつだってさ この退屈をかみちぎり僕は
駆け抜けて会いにいくんだ

あのトンネルの先へさ

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擬人化してるけど、逢いにいきたいのは「未来」なんだと思いました。

 

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2、
簡単に思えたって 上手くはいかないんだって
もう散々確かめたことだったのに

ーーーーーー
次の歌詞とのアイダにギターの不協和音みたいな音が入っているので、あ、ここで捕まったんだなって思いました。

 

ーーーーーー

もういいやなんて言って 引き返そうとしたって
一体全体どこへと帰るのですか

ラッキーなヒットでいいんだよ こんな苦しみを味わうより

そんなことを思いながら僕は きっと生きていくんだな

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1番の歌詞よりも消極的になっているように思いました。

 

ーーーーーー
いつかもし僕の心が 完全に満たされたとしたなら?
その瞬間へ辿り着くにはどうすれば?

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この問いの答えとして「逃がさない」になったんじゃないかなと思いました。未来を。

 

 ーーーーーー

どんな今も笑っているうちに錆び付いていくんだ
後戻りは無理なもんだ
いつだってさ 不安の腹にナイフを突き刺して
闇雲に手を伸ばした 何を掴むや知らずに

ーーーーーー
洗脳過程に思えました。

 そして、この後に長めの間奏が入るんですが、その間で洗脳完了したんだなと思いました。


ーーーーーー

どんな今も呑み込んでいけば過去に変わっていく
進む方はただひとつ
いつだってさ この退屈をかみちぎり僕は
駆け抜けて会いに行くんだ

ーーーーーー

ここの部分で映像では、米津さんが太鼓隊の人たちを引き連れて舞台前に歩いていくんですが(上の動画にもありますが)観ているとちょっと足を引きずっているように見える箇所がありまして…。(上の動画では切れた後ですが)

あれ?この人足悪かったっけ?って思ったりもしたんですけど、、、ひょっとしてソレ「歩かされてる状態」を表してる?とか感じたんですよね。つまり上のように見えたのは演技してたってこと?とか考えました。(実際に本当にそうかはわからないですが、そう考えた方が面白いので)

 

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消し去ってよ この憂いも全て木っ端微塵にしてさ

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つまり、「憂い」って今の、洗脳されて歩かされている状態を、ってことかなって思いました。

 

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行ける方へ ただ向こうへ

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もう、1番で歌っていたような“明確さ”も定められなくなっている、と思いました。

 

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そんじゃ今は 何もうたわない夜に沈もうか
やがて来る朝を待って

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それも一つの小さな未来、だとも思いました。太鼓隊もバチを収めてるし(曲終わりだからだけど)

 

さて、逃げられないのは、米津さん演じる「現在」か、はたまた「未来」か?ってところかなと思いました。

つまり、太鼓隊の人たちは演出上では「過去たち」という役割も担っているのかなと考えました。

 

過去たちは、現在を通さなければ、「未来」を過去にはできませんからね。

そのために、「現在」を捕まえて操っている、みたいな感じ?

 1番では「現在」は自分の意思で「未来」を追いかけているけど、2番以降は洗脳されて、「未来」を追いかける道具になっているという訳です。。

 

1番で、

>いつかもし僕の心が 完全に満たされたとしたなら
>その瞬間に僕は引き金をひきたい

と歌っていたのは、その後ではもう「過去」のものになってしまうから、かなと考えました。

「現在」が「現在」でいられるのはその一瞬だけ、だからです。

 

面白い!

 

ちなみに、全体的なメロディの色調は、「悲しみの果てに未来へ託すもの」です。

「飛燕」と同じですが、同じ色調でこうも変わるか!っていうことを思いました。

米津さんの音楽の振り幅が大きいっていうことを聞いてて、実はよく分かってなかったんですけど、これを書いてあぁそういうこと!ということを思いました。

終わり。