現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

9、軽み(かろみ)とは「即断」

スピ某所で教えてもらった文章や本などを差し障りのない範囲で紹介していっています。

 

8月末頃にちょこっと書いてた「軽み(かろみ)」の記述を見つけたので、載せていきます。

軽み(かろみ) - 現実と妄想のはざま(改)

 

2012年3月頃に投稿されていたものの抜き書きです。

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>> 何度でもシツコク書きますが、「即」の力は強烈な現前力です。
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> 「これだけは言える。すべてとひとつである状態は、本当にわずか一瞬、ほんの一呼吸しか離れていないところにある。」
>
> 「そしてこのいまという瞬間の継続性の中では、あらゆる瞬間がまったく新しいものなのです。
> つまり、この瞬間、あなたは何でも好きなことができる自由があるのです。」
> (byラムサ)
>
> 人の歓びは何か、という問いに応えたラムサの言葉、
>
> 「人生最大の歓び、楽しみは、積み上げてきたものを全て捨て去ってしまえることでしょう。」
>
> この言葉には、ラムサが「人」を深く理解していたことが端的にあらわれている。
>
> ————————————————————————————————
> ラムサ『真・聖なる預言』より抜粋・抜き書き
>
> 知ること、知ること、知ることだ。必要なのはそれだけなのである。いつも知っていることだ。
>

> 知らない、あるいは知ることはできないと言えば、絶対にそれを知ることはない。もう知っている、と言うこと。そうすれば、すべてを知ることができるのだ。
>
> ————————————————————————————————

ここ一連の「即」にまつわるポストは、「方法の捨てる」から得られるもの。「方法の捨てる」が高度化するほど事態を顕然する力は高まっていく。

去年から「捨てる」をテーマにセッションやポストを繰り返していますが、そこでなかなか理解が進まないのが「捨てる心」を育てるための準備とプライオリティ。

 

●まずプライオリティについて。

★捨てる時、好ましい自分、優れている自分、成功した自分から捨て切っていくことが先行する。

優れた記録を更新し続けるアスリートならみんなそうしている。記録を樹立した自分を捨て去っているから次の記録が生まれるのは自明のことだよね。

★嫌な自分、劣った自分、失敗した自分を捨てるのはその後だ。もう少し深く言えば、そんな自分は捨てなくても構わない。放置しておくという方法もある。

★いずれにしても、肝心なことは捨てるのは前者が先だということ。みなさんどうも逆になっているようだ。だから上手くいかない。

ラムサの深い人間理解から「積み上げてきたものを捨て去ってしまう」と表現したように、歓び(=感動)、心を動かすものは、好ましい自分、優れている自分、成功した自分から捨て切っていくことから生まれる。

好ましい自分、優れている自分、成功した自分から捨て切っていく快感が得られたらもうしめたもの。

日々の日常に沈殿していく微細な澱を感じとれるようになり、とっとと捨てないと生理的に気持ち悪い。

そうなったら捨てることはなによりの楽しみになる。

 

●もう一つは準備。
きっちりためらうこと。それが一般に言う「思考」だ。「思考」とは「躊躇(ためらい)」なのだ。

絶対軸を一切持たない完全相対世界では、徹底的にためらうことが「即」へ向かう準備となる。

徹底的にためらうこと、つまりとことん悩み考え抜くこと。
徹底的にためらうことが出来れば、判断の強迫観念ロボットは抹殺されていく。

曹洞の禅者は禅問答によってためらい尽くしながら、只管打坐(註1)という源思考(註2)へ赴く者達だ。「方法の只管打坐」へ投企し続けることによって、方法只管打坐が「即」存在に成る。

道元はただ坐っていろと教えはしなかった。
禅問答というためらい(準備)なしに、只管打坐が源思考に成ることは出来ないからだ。

思考=躊躇(ためらい)尽くして準備されたエネルギーが弾けることによって、只管打坐は源思考=存在になる。

この源思考を、ラムサは広い意味ではとかっこを付けながら「神=思考」と言い、レヴィナスは「無限者」、ハイデガーは「存在」、ベルクソンは「純粋持続」、カントは「純粋理性」と言った。

現前は決意では甘い、届かない。即断だ。
「即(時間t = 0)」は意識世界のラディカルなのだ。

 

なーんて言うと重くなる人もいるかもしれないが、「即断」とは「軽み(かろみ)」なんだよ。

 

註1)道元は、鎌倉時代初期の禅僧。日本曹洞宗の開祖。
徒(いたずら)に見性を追い求めず、座禅している姿そのものが仏であり、
修行の中に悟りがあるという修証一等、只管打坐の禅を伝えた。
主著『正法眼蔵』は、和辻哲郎ハイデッガーなど西洋哲学の研究家から
も注目を集めた。(by Wikipedia

道元も参照してください。

註2)通常「思考」も「源思考」も「思考」と表現される。ここでは混乱
を避けるためと、存在論的な文脈を重視するのであえて分けて表記した。

ーーーーーーここまで

 

>道元も参照してください。

とあったので、2011年9月頃に投稿されたのも掲載しておきます。長いです。

 

抜き書きーーーーーー

仏界の地上的表現は難解なものが多い。道元も同じく難解だ。
が、道元の多重的言語表現は類を見ないキレと美意識を湛えている。

道元が40年来の恋人であるという松岡さんの『正法眼蔵』案内から、抜粋してポストしときます。
興味を持たれた方は、原本を当たられたい。(関連書多数)

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道元正法眼蔵
注)道元鎌倉時代初期(1200年生)の禅僧。日本曹洞宗の開祖。

道元の言葉は激しくて、澄んでいる。
しかも一切同時現成なのである。
たとえば高速でいて、雅量に富んでいる。
たとえば刀身のようでいて、その刀身に月が映じ、さらにその切っ先の動きは悠久の山水の気運に応じたりもする。
言葉そのものが透体脱落して、観仏三昧を自在に往来しているのである。
漢語が日本語になろうとして躍っているようにも感じる。
こういう仏教哲学は他にはない。

天福元年(1233)、道場の興聖寺を作って正式に法話を語ることにした。
それが『正法眼蔵』の最初の「現成公按」と「摩訶般若波羅蜜」の2巻になった。以降、年を追って巻立てがふえていく。

序「辨道話」
「打坐して身心脱落することを得よ。」、この言葉こそ『正法眼蔵』全75巻あるいは全95巻の精髄である。

一「現成公按」
道元は、仏祖が迷悟を透脱した境涯で自在に遊んだことをもって悟りとみなした。
それが「仏道を習ふといふは自己を習うなり、自己を習ふといふは自己を忘るるなり」の名文句に集約される。

二「摩訶般若波羅蜜
正法眼蔵』は般若心経を意識している。しかし道元は「色即是空・空即是色」をあえて解体して、「色是色なり、空是空なり」とした。
正法眼蔵』はあらゆる重要仏典の再編集装置であるといってもいい。

三「仏性」

四「身心学道」

五「即心是仏」

六「行仏威儀」

七「一顆明珠」
39歳のときの1巻。
道元の好きな「尽十方世界是一顆明珠」にちなんでいる。
よく知られる説教「親友に譲るものは最も大切な明珠であるべきだ」というくだりは、仏典の各所にも名高い。

八「心不可得」

九「古仏心」

十「大悟」
いったい何が悟りかと、仏教に遠い者も近い者も、それをばかり訊ねたがる。
しかし道元は、「仏祖は大悟の辺際を跳出し、大悟は仏祖より向上に跳出する面目なり」と言ってのけた。
これでわからなければ、二度と悟りなどという言葉を口にしないほうがいいという意味だ。

十之一「坐禅儀」

十之二「坐禅箴」

十之三「海印三昧」

十之四「空華」
ここは世阿弥の「離見の見」を思い出せるところ。
道元はそれを「離却」といった。

十之五「光明」
ここにも「尽十方界無一人不是自己」のフレーズが出てくる。
尽十方界に一人としてこれ自己なるざるなし、である。
華厳は十方に理事の法界を見たのだが、道元は十方に無数の自己の法界を見た。

十之六「行持」
「いま」こそを問題にする。
「行持のいまは自己に去来出入するにあらず。いまといふ道は、行持よりさきにあるにはあらず。行持現成するをいまといふ」。
さらに道元は「ひとり明窓に坐する。たとひ一知半解なくとも、無為の絶学なり、これ行持なるべし」とも書いた。
「仏祖の大道、かならず無上の行持あり、道環して断絶せず」。

十之七「恁麼」
「いんも」と訓む。
「そのような、そのように、どのように」というようなまことに不埒で曖昧な言葉だ。
これを道元はあえて乱発した。それが凄い。
「恁麼なるに、無端に発心するものあり」というように。
また「おどろくべからずといふ恁麼あるなり」というふうに。

十之八「観音」

十之九「古鏡」
鏡が出てきたら、禅では要注意だ。
きっと「君の禅を求める以前の相貌はどこに行ったのか」と問われるに決まっているからだ。

二之十「有時」
道元はつねに「無相の自己」(フォームレス・セルフ)を想定していた。
その無相の自己が有るところが有時である。
これを、時間はすなわち存在で、存在はすなわち時間であると読めば、ハイデガーベルグソンそのものになる。

二之一「授記」

二之二「全機」

二之三「都機」
ツキと読む。月である。
「諸月の円成すること、前三々のみにあらず、後三々のみにあらず」。
道元法身は水中の月の如しと見た。

二之四「画餅
「もし画は実にあらずといはば、万法みな実にあらず。
万法みな実にあらずば仏法も実にあらず。
仏法もし実になるには、画餅すなわち実なるべし」という、絶対的肯定観が披瀝される。

二之五「渓声山色」
前段に「香巌撃竹」(きょうげんきゃくちく)、後段に「霊雲桃花」を配した絶妙な章だ。
百丈の弟子の香巌は師が亡くなったので兄弟子の為山(イはさんずい偏)を尋ねるのだが、そこで、「お前が学んできたものはここではいらない。父母未生已前に当たって何かを言ってみよ」と言われて、愕然とする。
何も答えられないので、何かヒントがほしいと頼んだが、兄弟子は「教えることを惜しみはしないが、そうすればお前はいつか私や自分を恨むだろう」と突っぱねた。
そのまま悄然として庵を結んで竹を植えて暮らしていたところ、ある日、掃除をしているうちに小石が竹に当たって激しい音をたてた。
ハッとして香巌は水浴して禅院に向かって祈った。
これが禅林に有名な香巌の撃竹である。
「霊雲桃花」では、その竹が花になる。

二之六「仏向上事」

二之七「夢中説夢」

二之八「礼拝得髄」
きわめて独創的な女性論・悪人論・童子論。
7歳の童子に対しても何かを伝えたいなら礼をもってするべきだというのだ。

二之九「山水経」
曰く、
而今の山水は古仏の道、現成なり」
「空劫已前の消息なるがゆゑに、而今の活計なり」
「朕兆未萌の自己なるがゆゑに、現成の透脱なり」。

三之十「看経」

三之一「諸悪莫作」
仏教では「諸悪莫作」を「諸悪、作(な)す莫(なか)れ」と読む。
道元はこれを「諸悪作ることなし」と読んだ。
もともと道元は漢文を勝手に自分流に編集して読み下す名人なのだが、諸悪など作れっこないと言ったのだ。

三之二「伝衣」

三之三「道得」
禅はしばしば「不立文字」「以心伝心」といわれるが、言葉にならずに何がわかるか、というのが道元なのだ。
それを「道得」という。
道とは「言う」という意味である。

三之四「仏教」
「仏心といふは仏の眼精なり、破木なり、諸法なり」と、3段に解く。
そのうえで「仏教といふは万像森羅なり」とまとめた。
ここには十二因縁も説く。

三之五「神通」

三之六「阿羅漢」

三之七「春秋」
暑さや寒さから逃れるにはどうしたらいいかという愚問に、正面きって暑いときは暑さになり、寒いときは寒さになれと教えた。
絶対的相対性なのである。

三之八「葛藤」
「葛藤をもて葛藤に嗣続することを知らんや」。
煩悩をもって煩悩を切断し、葛藤をもって葛藤を截断するのが仏性というもので、だからこそ仏教とは、葛藤をもって葛藤を継ぐものだというのである!

三之九「嗣書」

四之十「栢樹子」

四之一「三界唯心」

四之二「説心説性」
心性を説く。
しかしそこは道元で、一本の棒を持たせて、その棒をも持ったとき、縦にしたとき、横にしたとき、放したとき、それぞれを説心説性として自覚せよとした。
そこを「性は澄湛にして、相は遷移する」とも綴った。

四之三「諸法実相」

四之四「仏道

四之五「密語」
密語とは何げない言葉のことをいう。
その微妙に隠れるところの意味がわからずには、仏心などとうてい見えてはこないというのだ。
たとえば、師が「紙を」と言う。
弟子が「はい」と寄ってくる。
師が「わかったか」。
弟子は「何のことでしょうか」。
師「もう、いい」と言う。
これが曹洞禅というものである。

四之六「無情説法」

四之七「仏経」

四之八「法性」
「人喫飯、飯喫人」。
人が飯を食えば、飯は人を食うというのだ。
飯を食わねば人ではいられぬが、人が人でいられるのは飯のせいではない。
飯を食えば飯に食われるだけである。

四之九「陀羅尼」
ここは陀羅尼の意味を説明するのだが、
それを道元は前巻につづけて、寺づくりは「あるがままの造作」でやるべきこと、それこそが陀羅尼だというメタファーを動かした。

五之十「洗面」

五之一「面授」
いったい何を教えとして受け取るか。結局はそれが問題なのである。
いかに師が偉大であろうと、接した者がバカチョンになることのほうが多いのは当然なのだ。
しかし面授は僅かな微妙によって成就もするし失敗もする。
道元は問う、諸君は愛惜すべきものと護持すべきものを勘違いしているのではないか。

五之二「仏祖」

五之三「梅花」
「老梅樹、はなはだ無端なり」。
老いた老梅が一気に花を咲かせることがある。
疲れた者が一挙に活性を取り戻すことがある。
「雪裏の梅花只一枝なり」。
道元は釈迦が入滅するときに雪中に梅花一枝が咲いた例をあげ、その一花が咲こうとすることが百花繚乱なのだということを言う。

五之四「洗浄」

五之五「十方」

五之六「見仏」
自身を透脱するから見仏がある。
「法師に親近する」とはそのことだ。
相手を好きになるときに自身を解き、相手に好かれるときに禅定に入る。
が、それがなかなか難しい。

五之七「遍参」
仏教一般では「遍参」は遍歴修行のことをいう。
しかし道元は自己遍参をこそ勧めた。
そこに遍参から「同参」への跳躍がある。

五之八「眼晴」

五之九「家常」

六之十「三十七品菩提分法」

六之一「竜吟」
あるときに僧が問うた、「枯木は竜吟を奏でるでしょうか」。
師が言った、「わが仏道では髑髏が大いなる法を説いておる」。

六之二「祖師西来意」

六之三「発菩提心
越前に移った道元はいよいよ永平寺を構えるという事業に乗り出した。その心得をここに綴っている。
そしてその事業の出発点を「障壁瓦礫、古仏の心」というふうに肝に銘じた。
そこにあるものを寄せ集めた初心を忘れるなということだ。

六之四「優曇華

六之五「如来全身」

六之六「三昧王三昧」
仏教が最も本来の三昧とする自受用三昧のことである。
道元は三昧を一種としないで、つねに多種化した。

六之七「転法輪」

六之八「大修行」

六之九「自証三昧」
ここにも「遍参自己」が出てくる。
「遍参知識は遍参自己なり」と。
先達や師匠のあいだをめぐって得られる知識は、
自分をめぐりめぐって得た知識になっているはずなのである。

七之十「虚空」

七之一「鉢盂」
「ほう」と訓む。
飯器のようなものだが、禅林ではこれを仏祖の目や知恵の象徴に見立てて、編集稽古する。
このときたいてい「什麼」(しも)が問われる。
「什麼」は「なにか」ということで、この「なにか」には何でもあてはまる。
それゆえ、何でもいいわけではなくなってくる。
その急激な視野狭窄に向かって、道元が「それ以前」を問うのである。

七之二「安居」

七之三「他心通」

七之四「王索仙陀婆」
寛元4年(1249)、大仏寺は日本国越前永平寺となった。
開寺にあたって道元は寺衆に言った、「紙衣ばかりでもその日の命を養へば、是の上に望むことなし」と。

七之五「出家」
道元は53歳の8月に入滅した。
あれだけの大傑としては、早死にであろう。
遺偈は「五十四年、第一天を照らし、趺跳(ふちょう)を打箇して大千を触破す。噫、渾身もとむる処なく、活きながら黄泉に陥つ」。

ーーーーーーここまで

終わり。