6/4、ちょっとボソッとをまた追加、
ゆえのです。
いつも読んで頂いてありがとうございます。
05/31に米津さんの新曲「PaleBlue」が配信されました!
ようやく台詞なしで聴ける〜と思って聴いたんですけど、良すぎて…思わずツイートもしてしまったけど、一回聴いて余韻に浸りながらになってしまって、全然リピートできない、という事態に陥ってました。
少し日数が経った今は、少しの時間リピートはできるようになってきたけど鬼リピまではいかないなという感じです。そんなことしたら脳細胞が破壊されますがな!みたいな。
なので、感想が良すぎる!しか出てこないです…。まだ頭の中が痺れてる感じで語彙力なくなってる感じです。
やー、これ今週の金曜日にMVが来る可能性が高いんだよね…。持つか?
シヌかもしれない…。
で、これだけだとなんなんで、私がなるほど〜と思ったこちらの方の記事を貼っておきます。
短いけど以上です。
ちょっとボソッと。
そういえば…ここんところの歌詞で、
>どれだけ生まれ変わろうとも 意味がないくらい
>どこか導かれるように あなたと出会いたい
>今更言いたいことなんて 一つもないのに
>私あなたに恋をした 苦しさと一緒に
>ずっと ずっと ずっと
「カナリヤ」MVの時の伏線が回収されてんなということを思いました。
私が勝手に思っているだけなんですけど、「カナリヤ」MVの時におばあさんを亡くしたおじいさんが後を追ってから、最後の方でカナリヤが同じように一度死んでも生まれ変わってまた会えるような感じで、希望があるような動きをするじゃないですか。
でも実際は、生まれ変わって身体も変わってしまって記憶もない魂も全く違う(これは私の持論ですが)のに、その前世で一緒に過ごした人だってどうやって分かるのさ。っていうのがあって、白い服の米津さんも、「見失うそのたびに恋をして“確かめ合いたい”」って歌った後になんかちょっと呆然としたような、何かに気づいてしまったかのような表情をしてると私は思ってるんですけどそれは、“確かめ合いたい”と思っても確かめ合う術がない、確認のしようがないことに気づいてしまったのでは?と思ったんですよねー。
最後の黒い服の米津さんも、歌い終わった後に浮かない感じの表情になっていると私は感じていて、カナリヤの時の米津さんのインタビューで言っていた「この曲の根底にも救いのなさがある」って言ってたのはそれかなーと思いました。
「でも最終的には希望のある歌として着地させたい」ともあったので、あんま触れない方がいいのかなと思ってどこにも書かなかったんですけど…。
登場した人たちが最後にそれぞれの空を見上げるのも、最後に白い服の米津さんが出会えたカナリヤたちを探すような見つけたいような目の動きをするのも、1番最後のENDが逆さ文字なのも、それを表現するためのものだったのかなって今思いました。
そんで、その伏線が回収されてるっていうのは、その生まれ変わって身体も変わってて記憶もなく魂も違うから確かめようもなくても“どこか導かれるように”前世でも一緒に過ごしたあなたと何度生まれ変わっても出会いたい、出会わせてほしいっていうことなのかなって思いました。
でもホントにそうなれるかどうかなんて分からないから、そのあとの「苦しさ」が指すのは結局、アイネクライネの時の「今痛いくらい幸せな思い出が いつか来るお別れを育てて歩く」であって、この歌詞が一言になった感じなんだなと思いました。
そして、最後の
>ずっと×3
の後ろに歌詞がないのは…厳密にいうと入る言葉が違うから、ではないかと考えました。
この「ずっと×3」の後ろにくる“想い”があるとしたら、“一緒にいたい”ではないかなと思いました。
ちょっとボソッとがちょっとじゃなくなったけど。
終わり。