ごきげんよう、ゆえのです。
読んで頂いてありがとうございます。
今回は、米津玄師の新曲「LADY」のMVが公開されたのでその感想を書いていきます。
その前にちょっとお知らせです。
私のゆえのTwitterアカウントを削除することにしました。理由としては、最近とある諸事情が起こりまして、その気持ちの対処をしている内にTwitterアカウントを削除してしまおうという風になりまして。まあそんなにフォロー数もフォロワー数もないし、そんなに呟いてもいないので、まぁいっかーと思いました。
ここで言うのもなんですが、絡んで頂いた方々読んで頂いたりいいねを押して頂いた方々には感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございましたm(_ _)m
お知らせ終わり。
ということで本題の「LADY」MVの感想です。
MVはこちら。
感想。
先日歌詞の解釈と考察記事を書きましたが、
米津玄師、新曲「LADY」歌詞の解釈と考察 - 現実と幻想のはざま(三改)
それとは全く違って全然恋愛要素無し!でしたね。
同日書かれたこちらの記事によると…
米津玄師「LADY」インタビュー|“変わり映えしない日々の倦怠感”を軽やかに歌にして - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
「いかに倦怠感をまといつつ、しかし晴れやかに、軽やかにいけるか。」ということを考えながら作ったということで、
「恋愛ソングの体をなしてはいるんですけど、あまり恋愛ソングというつもりで書いていなくて。」とも答えられていました。正直言って(は?)とも思いましたけど。あれだけ歌詞から歌声からして恋愛恋愛させといて…どの口で言うとんねん、と。
さすが二義の悪魔。まあいいですが。
そんで、MVの物語的にはガソリンスタンドで働く青年が道路に引かれた白い線を機に空想の中に入るというような感じで、靴にも同じような白いテープでぐるぐる巻きになっているのも一つのアクセント?みたいにはなっているのですが、これはガソリンスタンドのバイト生活設定で靴が壊れても新しいのをすぐには買えないから白いテープで補強しているというような、そこで生活感を出している感じなのかなと思ったりしました。そういうのでもこの青年の生活の中に恋愛なんてしている余裕はないっていうのも含まれているのかなと思ったりしましたけども。
ってか逆に言うと、本当の意味でそういう壊れた“黒い”靴にテープで補強するなら目立たないように“黒いテープ”寄りになると思うんですよね。まあこれはMVだから見栄えも含めてなんだろうけど、あえて「白いテープ」というのはそこに意味があるような気がしています。
恋愛要素が全く見当たらないこのMVに、歌詞や歌声から感じる、相手か対象かに対する優しさや愛おしさみたいなものを当てはめるとしたら…「LADY」の隠喩は“白い”テープもしくはずっとその上を歩いている“白い”線ということになるのかなと考えたりしました。分かりませんが。
あと、センター分けの米津さんを見慣れないせいか…MVを見ている時間で何回かは(誰や、このイケメン…)っていう思いが、何回見てても湧いてきてたりしてます。
それと、最後の方で白い円の中心で横たわっている体勢から起き上がるのに、全く手を使ってないのは何気に凄いなと思って見ていたりします。
以上です。終わり。