現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

米津玄師、新曲「死神」ショートMVの感想、解釈と考察

ゆえのです。

いつも読んで頂いてありがとうございます。

 

米津さんの新曲「死神」のショートMVが、6/24の22:13に公開されました。

なので、更新曜日ではないですが、感想等を書きたいので書いていきます。

 

先日紹介した新CDシングル「PaleBlue」の3曲めに収録されています。

 私はその告知を公式のツイッターで読んで、随分中途半端な時間に公開するなと思いましたが、そこにも秘密が隠されていました。

 

音楽ナタリーの記事で紹介されていたので、リンクを貼っておきます。

米津玄師「死神」MV公開時刻に隠された秘密と永戸鉄也監督からのコメント公開(動画あり / コメントあり) - 音楽ナタリー

抜き書きーーーーーー

またこのMVは昨日6月24日16:13に米津のYouTubeチャンネルにプレミア公開のページが登場し、同日22:13に公開されたが、これらの時間に込められたメッセージが明らかに。プレミア公開が始まった時刻は午後4時(=死)台で、13の数字はタロットカードの死神のカード番号13に由来する。公開された時刻の22:13には、タロットカードの寓意画が描かれたカード・大アルカナの枚数である22と、プレミア公開が始まった時刻と同じく死神のカード番号13の刻が選ばれた。

ーーーーーーここまで

 

 

 

youtu.be

プレミア公開だったのでチャットがあったんですけど、そこにも米津さんご本人がコメントを寄せていたようでした。

 その様子をツイートされていた方がいましたので載せておきます。

mobile.twitter.com

🥶の絵文字は「PaleBlue」やリコカツの宣伝ツイートでも使用されていたので分かりますが、🤪の絵文字や「わろた」は完全にふざけてるでしょ…。正直言ってどうした?とか思ってしまいました。

他にも公開終了後には「ちょっと短いバージョンでした」「ありがとうございます」という書き込みもあったようでした。

私もその時、チャットを開いてはいたんですけど流れが早すぎたのとMVに集中していたので全然気がつきませんでした。

 

前置きが長くなりましたがまず感想を書いていきます。

 この楽曲は古代落語の演目「死神」からモチーフを取られているそうで、最初こそ洋装の革靴で歩いている様が写されていましたが、そのあとは完全に落語家のようになっていてビックリしました。

米津さんには珍しい和装から色んな米津さんはいるわ、後でこれまた珍しいスーツ姿の米津さんも出てくるわで…、この楽曲は元々も3分と短いんですが、ショートverということでこの動画自体は2分で終わっているんですが、その短い間に大盤振る舞いでチョー濃縮された時間でした。楽曲自体も濃縮されているんですけど。

ツイッターで他の方の感想を読んだりしてその時間は大いに楽しませて頂きました。

 

そんで次の日、てゆーか昨日仕事中にも関わらずなんか思い返しなから色々と考えてしまいました。一体何だ?あの過剰とも言えるようなファンサービスは…と。

 

まず、多くのファンが待ち望んでいたであろう着物姿とスーツ姿、そんで客席には複数(5人)の米津さん、その中には過去のMVに限定するとLemonを彷彿させるカメラワークで映される米津さんや赤系の服を着たFlamingoっぽい米津さん、破れたズボンで膝小僧を見せてチャラそーな米津さんも居ましたし、あとはちょっと分からないですけど。

そして、そこで脱ぐ必要ってあるのか?と思ってしまう(結び目に手をかけた時はえ?脱ぐの?と思わずドキッとしてしまいましたが)「羽織を脱ぐ」という色っぽい所作(美しかったですけど)と、これまた美しい手を魅せる、顔の側に手を持ってくるとか呪文と合わせた死神を追い払うための拍手などの所作。

色々目まぐるしく変わる全体的に黒っぽい表情と、2分間の中にとにかく今までそんな見せたことがなかったようなファンサービスの大盤振る舞いで……なんかおかしくない?って感じたんですよねー。

 

そして1番好きな所で1番気になったのは、客席に向けるこの視線と表情でした。

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これが、このMV全体を象徴する所だなと感じました。

 

そしてこれを軸にして解釈と考察をしていきます。私なりの解釈と考察ですのでこれが正解ということではありません。

 そしていつもの如く、今回落語から取られていることも一切考慮せずに、このMVとだけで向き合って書いていますのでご了承ください。

 

結論から先に言うと、このMVは「ゆめうつつ」の別視点バージョンなんだなと思いました。

この「死神」はCDシングルの3曲めという位置付けですが、過去の米津さんのシングルでも同じ事柄を別視点から見て作られていると感じるものがありました。

 

過去記事でも書きましたが、

米津玄師、誕生日への言葉と自分への誠実さと相手への誠実さ - 現実と妄想のはざま(改)

で書いた楽曲「Flamingo」と「TEENAGE RIOT」は、「Lemon」の時に起こったことへの別視点で作られていると、私は思っています。

 

それと同じように今度は「ゆめうつつ」の別視点バージョンがこの「死神」MVショートverなんだと思いました。

「ゆめうつつ」のこの解釈の参考になる記事を紹介します。

米津玄師 ビタースイートな「ゆめうつつ」|wild orange|note

 

news zeroのインタビューでも言っていました。ゆめうつつは

 「自分の意識としてはものすごく怒りに満ちた曲になったと思います」

であると。“怒りに満ちた、人を突き放すような曲”であると記事内でも書かれています。

 

抜き書きーーーーーー

「また明日」は、やはり明日になればいいことが待っていると言うような安易な綺麗事ではなかった。

「明日がいい明日だとは限らないし、おそらくしょうもない明日なんですよ。(略)それを受け入れないことには生活というのは始まらない。」(NewsZeroより)

 さらに、こう続ける。

「夢の中が大事だと説きながらもそこに閉じ込めるのもまた違う。(略)平凡な猥雑な明日というものを提示しないことにはフェアじゃないなと。」

”ゆめうつつ”は厳しく残酷な現実と、安らかな夢の中を反復する歌だ。にも関わらず、聴く者はついつい安寧な方を求めてしまう。

ーーーーーーここまで

 

つまり、出てくる着物姿の米津『幻師』さんの役割とは、見る人を夢の中(このMVの中)に閉じ込めることで、後で出てくるスーツ姿の米津さんは現実を象徴する役割なのではないかと、そう思いました。

スーツというとやっぱり仕事着なワケだし、仕事が世間一般的には生活や現実を象徴するものとして1番最適なのではないかと思ったのでは、と考えました。(ってゆーかここまで書かないと分からんもんか?って思っちゃいますけど)

 

4/9に発売されたハイスノバイエティのインタビューの中でも仰っていましたが、

「神様とか仙人に近づいていけばいくほど、聴いてくれる人を、自分の世界に閉じ込めるような結果を招いてしまうと思うんですよね。まぁ、そこまでみんな馬鹿じゃないと思いますけれど」 

 

けれど、結果としてはどうでしょう。米津さんの作り出す世界に閉じこもりたい人たちばかりなのではないかと。

 

そういう人たちに対して、上記の視線は挑むような挑発するような煽るような視線を向けているのではないのかなと私は感じました。

大盤振る舞いのファンサービスはそのためで、その夢の中に閉じ込めようとする力に対してどれだけ抗って現実に戻っていけるのか?ということを問うているようにも思いました。

 

着物姿の米津さんの黒い表情を見ているとこっちも“死神”で、手を打ってから動いて消えていく客席にいる米津さん達も“死神”で(客席にいる人たち=ファンも、米津さんにとってしてみたらある意味“死神”で)最後に出てくるスーツ姿の米津さん(現実の象徴)も“死神”で、

最後は夢の中に閉じ込めようとする着物姿の米津さんの命の火を吹き消すことで、現実に戻っていくことができて?いる形を取っていますけど、現実的にはそんな“死神”なんていない訳だし、一人一人が自覚して動いていってくれないとこちら側(米津さん側)としてはもうどうしようもないんですけど、みたいな感じなのかなーと思ったりしました。

 

そうやって考えると、このMVショートverだけでホント完成している作品だなと感じました。

まぁ私のこの解釈と考察は正解ではないので、都合が悪ければゴミ箱に捨てるなり忘れてしまったりしても構いません。私は米津さんみたいに優しくはないので、他の人がどうなろうと別にどうでもいい所もありますしw

 

あと、こちらのツイートも参考になると思ったので載せておきます。

 

mobile.twitter.com

 

以上です。終わり。