現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

RADWIMPSの新曲「MAKAFUKA」の感想とMV解釈

ごきげんよう、ゆえのです。

いつも読んで頂いてありがとうございます。

 

今回は、11/05に配信、同日にMV公開されたRADWIMPSの新曲「MAKAFUKA」を聴いた感想などを書いていきます。

 

この楽曲は、スマートフォン向けアプリゲーム「グランサガ」のテーマソングになっていて、それのスペシャルアニメの動画も貼っておきます。

記事はこちら。

『グランサガ』RADWIMPS書き下ろしの新曲を使用したスペシャルアニメが公開 - 電撃オンライン

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最初の感想は、綺麗な声だなぁということでした。RADWIMPSの楽曲はこのブログで書いたことがある天気の子の主題歌「愛にできることはまだあるかい」を聴いたくらいで、一応野田洋次郎さんの声は知ってたんですけど、この楽曲ではそれが際立っているように思えました。それと歌詞も良いなと思ってフルで聴けるのが楽しみになりました。

 

そして先行配信で改めてフルを聴いてみて、まずイントロで鷲づかみにされて大サビのところでその綺麗な声にエフェクト?がかかってまた違った感じになるところで大好きになって、最後の歌詞の言葉で心が震えたりして大忙しでした。

 

そしてMV公開。

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と、割と恒例になってきた2枚1組スクショ画像。

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初めてMVを見ての感想は、、、これはどういうシチュエーションなんだろうな?ということでした。

音楽を奏でるために野田洋次郎さんの元に集まる人たち。

それを悲しそうに、でも決意と何かを託すように送り出す人たち。 

まるで「戦地」へと、しかも生きて戻っては来られないような「死地」に送り出しているような、でも希望?を託すような表情をしているのが気になりました。

 

それと出かけて行く人たちの表情も、しいていうなら「特攻隊」みたいな、自分たちが犠牲になっても残った人たちに希望を残すみたいなそんな感じに見受けられて、えー?これはどういうシチュエーションなの?と。

曲か終わった後、照明が上がった先を見つめて安堵する表情を浮かべているのは何故なのか?たぶん悲願達成したからだと思うんですけど。

どう解釈したらいいんだろうと思って、頭を抱えてしまいました。

 

正直分っかんねーとか思いながら、他の人たちはこのMVをどう解釈したのか気になってコメント欄を拝見させて頂いてました。

 

そして見つけたのがこちら。

コメントーーーーー

〜前略〜

人は皆、生命の音楽を奏でている事が前提とします。今回、何かのきっかけで沢山の人が天に召される時、最後の音楽をみんなでオーケストラとなって奏でている様子ではないかと思っちゃいました。

〜後略〜

ーーーーーーここまで

このコメントを読んでちょっとほどけてきました。

でもこれだけだと色々と足りない気がするので、このコメントを前提にして私なりにですが色々と足していこうと思います。

 

ます、この世界では葬式みたいな亡くなった人を送り出す儀式のようなものがないと想定します。そして、亡くなった人は自動的?には天へ昇れないという世界の仕組みになっているのではないかと考えました。

そして「何かのきっかけで沢山の人たちが天に召される時(亡くなる時)」上記がないために行き場を失ってさ迷うことになってしまって、見えないけど亡くなった人たちが溢れかえる事態になってしまっているのではないかと考えました。その人たちを天へ上げられる方法はただ一つ、生きている人が「命の音楽を奏でる」ことによって天に昇れる道を創る、というものです。

それをやらないと世界に悪影響を及ぼすというものだとも思いました。

 

そして楽器を使って「生命の音楽を奏でる」ということができる人とできない人がいるのではないかと考えました。つまり、「生命の音楽を奏でる」ことは体の内側では生きている人は皆やっているけど、その波動なり鼓動なりを楽器を使って体の外側に出せる人というのはごく限られる、ということです。

そして、それができる人たちが集まって「最後の音楽をみんなでオーケストラとなって奏でる」ことによって、天に昇れる道を創るということをやっているのではないかと考えました。

もちろん自分の命の波動を外側に向かって放出している訳なので、それを行った後はこの人たちも亡くなる、という世界の仕組み?になっているという感じなのかなと考えました。

映像が真夜中なのは、丑三つ時を表しているからではないのかと考えました。

 

そういった解釈じゃないとちょっと映像の説明がつかないなと思いました。

本当にそういう意図かどうかは分かりませんが。

歌詞では誕生する時のことを歌っているのに、MV映像では亡くなる関連のことを描いているのは面白いなと思いました。

 

米津玄師のMVの解釈と考察している時にも感じるんですが、映像に集中すると楽曲がBGM化してくるんですよね。それもどうなの?と思ったりするんですけど、そこからサブリミナルみたいになってより心の奥に浸透するような感じがしています。

良いのか悪いのかはちょっと分からないんですけど。

 

ゲームのテーマソングでもある楽曲ですが、私なりの解釈なので世界観など当たり前だけど一切関連等はありませんのでご了承ください。

終わり。