現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

正直さと誠実さの話

ごきげんよう、ゆえのです。

読んで頂いてありがとうございます。

 

今回は、正直さと誠実さの話ということで去年書こうと思って書けてなかったことの一つを書いていきます。

あまり意識はしてないけど、自分の中でもこの二つは大事にしていることだと思っているので、この二つが比較?されているような文章を見ると自然に惹かれるところがある気がしています。

 

これから正直さと誠実さについて書かれた記事やツイートを載せていきますが、読んで自分が考えた結論を先に書くと、「正直さ」にはグラデーションがあるような気がしました。

二つを線上に並べると下記のようになるのかなと思うんですけど、

正直ーーーーーー誠実

このようになると思うんですけど、「正直」寄りの正直さと「誠実」寄りの正直さがあるような気がして、後者は「素直さ」と呼ばれるとも思うんですけど、正直さって一つではないような気がしました。

 

"正直"と"誠実"は、まったくちがうという話。 | Books&Apps

抜き書きーーーーーー

「よく誠実であることと正直であることを混同することがあるけど、それは違う。誠実と正直は全く違うものだって話。そもそも誠実は人間の内面に自然発生的に生じる状態ではない。そうしようとして到達する状態だ」
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“誠実”とは結果への責任だ。これによってどういう結果が引き起こされるか、それを考えて行動することこそが“誠実”なのだ。
なにごとも事実をそのままに記述することを“正直”であるとするならば、“誠実”はときに事実を捻じ曲げることもある。
結果、“正直”ではない状態も誠実”に含まれる。嘘を交えたり本心を隠したりして“正直”でなくとも“誠実”は成立するのだ。
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冒頭でも述べたが、人は自然発生的に誠実な状態にならない。
“正直”は内面的なものなので自然でそうである人もいるが、“誠実”は外的要因も絡んでいて自己完結しないので、自然にそうはならない。
全ての人に対して“正直”であることは可能だけど、全ての人に対して“誠実”であることは不可能だからだ。

ーーーーーーここまで

 

 

 

あと、「正直さ」には伝えた相手に選択肢を与えるような印象があります。内容にもよるけど、正直に伝えて相手がどうするかは相手が決めることであるというか、そんな感じです。

終わり。