ごきげんよう、ゆえのです。
いつも読んで頂いてありがとうございます。
昨年の米津さんの「でっけーネコちゃん」の予約で1匹買ったんですけどそれに合わせて、小さいネコちゃん/ミント色のを買っていまして、それが昨日届いたので嬉しくて記念に書いています〜。
写真をお借りしました。
下の写真みたいに合わせられたら可愛いかなと思いまして。
その前に部屋を片付けなければなんだけど。
大きいネコちゃんが3月に届くのが楽しみです♪
そして、今頃ながら「PaleBlue」MVのよもやま話2を書いていこうと思います。
前の記事はこちら。
米津玄師、新曲「PaleBlue」MVの解釈と考察 - 現実と妄想のはざま(改)
「PaleBlue」の考察の考察みたいなよもやま話 - 現実と妄想のはざま(改)
今回の着眼点は2点です。
「PaleBlue」MVの米津さんの最初の登場シーン、花束で顔を隠すまでの佇まいが、こわれもののような儚さと消え入りそうな透明感があると表現されている方がいらして、
私的には「カムパネルラ」MVの最期の立っている姿がこんなような感じに思えたので、スクショ撮って並べてみました。
ほぼ影になってしまっているし遠いのでよく分からないですけど、可視化したら「PaleBlue」の最初の佇まいのような表情をしているのかなと思いました。
あと、以前のテレビのインタビューで、恋の始まりのことを
「ドアを開けたら目の前に立っている、
それくらい突然のものであって、偶発的なものだと思うんですけど」
と発言されていることがあって、
この楽曲は失恋から始まる歌なので、恋の終わりのことも逆張り的に指しているかなということで、曲の初めにドアの所に米津さんが立って、花束を指し示しているのは、前にも書いた「花束」と「花」の違いで、枯れてしまったらそれで終わりの恋のことを指しているのかなと考えました。
そしてもう一点。
花束を大事そうに抱えている米津さんと、あまり大事にはしてない扱いをしている米津さんの違いって何だろう?と思ってMVを見ていたんですけど、「運命のリネン」の外側に出ている時とシーツに囲まれている時の違いなのかなとも思いました。
スクショで撮ってみたんですけど。
そこから見ても、「ずっと 恋をしている」ためには、1度枯れてしまったらそれで終わりの恋の「花束」ではダメなんだろうな、ということを考えました。
尻切れトンボみたいですけど。
終わり。