現実と幻想のはざま(三改)

日々の中で色々刺激を受けて思ったことや感じたことなどを書いています。あと米津玄師の楽曲MVの解釈と考察など。

HSPと自閉症スペクトラム4、叔父との境界線をどう引くか?

前回の記事で 、年内の記事の更新を終了します、と書きましたがちょっと困ったことが起きているので、愚痴になるかもしれないですが整理の意味合いをこめて書いていきます。

 

 

書きたいテーマは、題名にもある「HSP自閉症スペクトラム4、叔父との境界線をどう引くか?」です。

 

 

私事ですが、先日父方の祖母が亡くなりまして、今日明日とお通夜お葬式になりました。

そして、父の弟も父の実家であるこの家に来ているのですが、まーその人が、本人の自覚はないけど、自閉症スペクトラムの可能性が高い人なんですね。

 

そして、私と同じように「自分と他人の区別がつかない」でそのまま成長してきて、現在60代後半に至っていると思われる人です。

結婚はしておらず独身です。

 

困ったことというのは、私がその叔父にナチュラルにあごで使われる、という事態になっている点です。

顕著なのは食事時で、自分では動かず人を使う人なので、本当に色々動かされます。

こっちはお客さんだからということもあるんですが、向こうはここは自分が生まれ育った家だからお客さんという意識は全くないんですよね。

 

そして、いつもはこうして親戚が集まる場には父の妹の叔母もいるのですが、今年の年末年始は、娘家族と海外旅行に出かけていてお葬式に帰ってこられない状態なんですね。

 

いる場合は、その人が動いてくれてるというか、その人は叔父にとっては姉になるんですけど、それでも構わず、いるなら叔父は使い放題使っています、いつも。

叔母は文句を言いながらも動いてくれてる訳ですが。長年の関係性でそうなってしまってるんですよね。

 

 

そして、私と同じように「他人と自分の区別がつかない」と書きましたが、

私の場合は、他人主体で他人と自分の区別がつかない、と思っているんですけど、

叔父の場合は、自分主体で自分と他人の区別がつかない、ので

すこぶる悪い意味で、めっちゃ相性が良いんだなということに、昨日気がつきました。

 

葬儀の準備しているドタバタの中で、自然な流れで叔父に従うような形になってしまっていることが多い私を見て、母からは叱られたりしてるんですが、常に叔父に対して嫌な感情を保ちながら接するというのもまた疲れるし、疲れればまた隙を突かれる形で流される、という悪循環になってしまって、どうしたもんかいなと思っている所です。

 

以前の記事で紹介した、発達障害のことが詳しく書いてあるブログで

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境界線が曖昧であると、同一化も身近な人間であればあるほど、どんどんきつくなります。そのため、発達障害がある子と定型の親が家族として長時間いると、子供の要求度が「他人の域を超えて」親に過剰な要求をするようになるので、制限なく許し、また要求され、限界がない状態に困惑するということが起こります。

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という記述がありましたが、まさしくこれじゃんって思います。

適度な所で境界線を引いておかないと、本当に際限がない状態になるので、

 

「 自分は自分、他人には他人の自由がある」

「 自分と他人の趣味、好き嫌い、欲しい物、要らない物、大事にしているものが違う」

 

ということを徹底していこうと思います。

その適度な所、ってのが分からなくて、ずるずるしてしまうんですよねー。

自分はどう接したいのか?を常に考えていきます。

 

喪中のため、新年のご挨拶は控えさせて頂きます。

更新も4日以降の予定です。